今回の名所巡りの目的は、京都の名庭園巡りです。
阪急電車に揺られて2時間弱で
今回の最初の目的地、南禅寺金地院に到着です。
金地院は、室町幕府4代将軍足利義持によって
京都洛北に建立された寺院洛北に建立された寺院で、
その後、南禅寺の住職であった以心崇伝(いしんすうでん)によって
現在の位置に移転され南禅寺の塔頭となりました。
この崇伝は、徳川家康のもとで
江戸時代の法律の立案、外交、宗教統制を一手に引き受け
幕政に大いに関わったことから「黒衣の宰相」との異名を持っていて、
ちなみに徳川家光、忠長の諱(いみな)は、
崇伝により名付けられたそうです。
さすがに徳川の時代には、一向一揆時代とは違って
そこまでの力を宗教集団は持ってはいなかったと思うのですが、
僧侶の身分は、士農工商の身分制度の枠外の
特別な位置に置かれていたのは間違いないようですね。
超有名な天海大僧正を忘れていました。
天海は、崇伝とならんで家康から重宝されていましたね。
<!-- 南禅寺 -->
南禅寺 金地院 庫裡
金地院は、南禅寺の塔頭の一つで
庭園は、国の文化財保護法に基づいて特別名勝に指定されています。
金地院の境内中央に位置する方丈の前には
作事奉行として数々の建築や庭園の建築に携わった
小堀遠州が作庭と唯一確証された枯山水庭園、
「鶴亀の庭」があります。
明智光秀が寄進した「明智門」(唐門)
弁天池
明智門をくぐってすぐある弁天池を
左手に向かうと「東照宮」からの「鶴亀の庭」、
右手に向かうと「鶴亀の庭」からの「東照宮」と、
庭園を巡ることが出来ます。
金地院 方丈
方丈庭園の「鶴亀の庭」
写真では分かりづらいですが
長方形の広い庭園の大部分は、白砂で砂紋が描かれています。
鶴亀の庭の奥にある開山堂
崇伝が小堀遠州に作らせたもので、
この庭の完成まもなく寛永10(1633)年に崇伝は死去してしまい
崇伝本人は完成した庭園を一度も見ることはなく、
また家光に見せるという願いも叶わなかったようです。
左側に鶴首を位置する「鶴島」
頭を右とする「亀島」
樹齢400-500年といわれるビャクシン
鶴島は、巣篭もり中の鶴の姿、
亀島は、海に潜ろうとする亀の姿を表したものらしいのですが、
私には美のセンスが無いのか、
どうしても鶴と亀の姿に見えないのが悲しい。
現在では、
木々が成長して庭園から東照宮を臨むことは出来ませんが、
小堀遠州は、
東照宮がある高台まで登っていかなくとも
美しい庭園から東照宮を拝めるようにと、
鶴島と亀島の間に置かれている長方形の平べったい石、
「遥拝石」(ようはいせき)から拝めるように作庭したようです。
開山堂
開山堂の横を奥へと進み
御成門(おなりもん)
金地院 東照宮(拝殿)
金地院の東照宮は、
家康の遺言による全国に3つある東照宮の一つで、
江戸と日光の方角に向いて建てられていて
金地院東照宮の本殿には
家康の遺髪と念持仏が納められているということです。
東照宮(拝殿)と御透門(おすかしもん)
東照宮参道
弁天池
金地院の庭園は、竜安寺の石庭の如くシンプルで
方丈に腰を下ろし庭を眺めていると自然と心が落ち着く
そんな庭でした。
今日のように雨の日には
東照宮へと続く細い参道に伸びた枝と広げた傘が
何度となく接触し、庭園の手入れが行き届いていないのか、
あえてそうしているのか分かりませんが、
木々の間を縫うように歩く今の状態の方が
侘び寂び的とでも言いましょうか、私は好きです。
金地院を後にして次の目的地、
南禅寺の方丈庭園へと向かいます。
南禅寺 中門
2度目の南禅寺拝観です。
三門前の庭園?緑地?
佐久間玄藩の片燈籠
南禅寺 三門
南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、
上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられます。
前に来た時にしっかりと写真に収めているのですが、
この迫力ある三門を撮らずにはいられませんでした。
三門をスルーすることは、
私的には、何か髪も身体も洗わずに
お風呂タイムを終えるような感じなのです。
雨の南禅寺三門
え~と、この三門に登れるようなのですが、
スケジュール的に前回、そして今回もスルーしてしまいました。
次回、訪問の機会があったときには
登って三門からの京都の景色を観てみたいと思っています。
南禅寺 法堂
南禅寺 水路閣
南禅寺と言えば、三門とこの水路閣なので
三門同様に写真におさめることに。
南禅寺 本坊の庫裡
南禅寺 大玄関
そして、前回の訪問時にはスルーしてしまった
方丈庭園の拝観に向かいます。