アメリカの作曲家フォスターの作品には
妻ジェーンをモチーフにした
『金髪のジェニー』と言う曲があります。
妻ジェーンの髪は金髪ではなくて薄茶色で、
この曲の原題も「薄茶色の髪のジェニー」。
日本では「薄茶色の髪のジェニー」の題名が
「金髪のジェニー」となっているのですが、
フォスターの訳詞を多く手掛けている津川氏が
「金髪のジェニー」としたためだそうです。
フォスターの曲で私が思い出すのが
「主人は冷たい土の中に」と「おおスザンナ」。
フォスターの曲は、
小学校だったか中学校だったか
音楽の授業で使用されていたので
私達の世代には馴染み深い名前ですが、
今はどうなんでしょうか。
邦題になって題名が変わったと言うより
最初の原題が間違ってつけられた有名な曲は、
ベートーヴェンの『エリーゼのために』。
本来の曲名は「テレーゼのために」だったけれども
ベートーヴェンの字が汚くて解読不能だったために
テレーゼがエリーゼとなったと言われています。
映画の場合、原題と邦題が違うのは
当たり前かのように良くありますよね。
映画の場合は、
作品のイメージが伝わりにくいとして
原題の意味とは大きく違う邦題に
されることは良くあります。
カールじいさんの空飛ぶ家の原題は、「Up」。
アナと雪の女王の原題は、「Frozen」。
日本では邦題の方がヒットに繋がりやすくても
アメリカでは原題の方が
ヒットに繋がりやすいのかも知れません。
書籍の題名とか商品名になると
売上に大きな影響を及ぼすようで
紳士用の抗菌防臭靴下の商品名「フレッシュライフ」で
発売した年の売り上げが3億円。
1987年に商品名を「通勤快足」に変更したら
年間の売り上げが45億円の大ヒット。
世界初の缶入り緑茶を
商品名「缶煎茶」で売り出してぱっとせず、
商品名を「お~い、お茶」に変更したら
20年間もシュア1位となる大ヒット。
命名で最も身近なものと言えば
自分の名前なんですが
題名や商品名やお店の看板等、
命名一つで売り上げが
大きく変化することを考えると
子供の命名は重要なことになります。
物心ついてから数えきれないほど書くし、
数えきれない位に人から呼ばれることになります。
私は、姓名判断のように文字の画数どうこうで
自分の運命に違いが出るとは思ってはいませんが、
文字の持つイメージや響きが
繰り返し繰り返し自分に向けられることは
暗示を繰り返し繰り返し入れることと
似ているような気もするので
個人の性質や性格に何らかの影響が
少なからずあっても不思議ではないと思うのです。
また自分の名前の字面から影響を受けなくても
自分の名前には養育者の願望や期待、性格が
表れていると考えられるので
その養育者の影響を幼い自分が
受けてもおかしくありません。
自分の本名を勝手に変更することは出来ませんが、
芸名やペンネームのように仕事上の名前を使用したり、
心の中で名前の前に「決断力がある」とか
「微笑みの」とかを付けるのも有かなと。
自分の名前は勝手に変更できませんが
これから生まれてくる我が子の命名は
我が子に魂を入れるに等しいと考えても
間違いではないように思うのです。
そういった意味で、普通に読めないような
キラキラネームは悪目立ちはするけれども
何らかの良くない影響があるのではと
気になる所です。