心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

世界遺産 和歌山編

2015年06月09日 | 名所巡り(和歌山)

朝~。



7時30分起床で朝食に向かいます。


昨日、母親にと速玉大社で購入した御札と御守り




朝食




私たちの他には一組の外国の方だけで、

他の宿泊客の皆は、まだ寝ているのかなと思っていたのですが、

昨日の夜に6台ほど停車していた車が一台もない所をみると

もう出発したようです。


私達が遅いのか、皆が早いのか、

もしかすると旅行ではなく出張なのかもしれません。





朝9時頃、御世話になったホテルを出発して

今日の予定、熊野三山の最後の一つ熊野那智大社へと向かいます。



しばらく県道車を走らせると、山道に突入。

ホテルから熊野那智大社まで25分。(グーグル調べ)


ナビに従いマイクロバス以上の車両は通行できない防災道路(有料道路)を通り

那智山 青岸渡寺(せいがんとじ)と那智大社の直ぐ近くに到着しました。



ちなみに那智大社と那智山 青岸渡寺は、

同じ敷地に建てられているかのように隣合わせで、

共に世界遺産登録がされています。



駐車場に隣接した納骨堂




三重塔

駐車場から一段下に降りた所にあります。

2階と3階は、展望所になっているそうです。




那智山 青岸渡寺の本堂に向かいます。




鐘楼




下の写真には、灯篭のようなものが写っていますが、

宝篋印塔と言い、現在は供養塔、墓碑塔として建てられていますが、

元々の目的は違ったものだったそうです。

この宝篋印塔は、1322年の造立とされていて

重文に指定されているようです。




那智山 青岸渡寺 本堂




これまた物凄く朽ちた感じが独特の味わいを感じます。

最初、厳島神社の時にあった千畳閣(豊国神社)のように

今は使われていないのかなと思ったくらいです。




本堂の前の庭と言うか広場




灯篭の横からの景色

三重塔と那智の滝




今日は、気候も天気も良く

標高500メートルから見る景色も絶景でした。



実際に見た時の感じが上手く映し撮れないことを嘆いていたのですが、

ここにきてあることに気が付きました。


写真を大きなサイズで見ると

その時に見た感じに結構近づくので、

腕の良し悪しやカメラの性能の違いが全ての原因では無かったようです。




現存の本堂は、織田信長の軍勢によって焼き打ちされた後に

豊臣秀吉が弟秀長に再建させたもののようなのですが、

以前訪問した延暦寺も信長に焼き打ちされていて、

ここも焼き討ち。



当時、いくつかの宗派は

高利貸しを行い返済出来ない人の田畑を取り上げたり、

妻、娘を売り飛ばす。

酒を飲み女を抱くなどの悪行三昧を繰り返したりと

もう本来の仏教の姿では無くなっていたようです。



しかも、

ちょっとした大名どころか朝廷にさえも圧力をかけるほどの

強大な兵力を持つ武装集団と化していたようで、

そうなると天下統一を進める信長と一戦交えることになるのは

自然な流れとも言えます。



堕落した宗派を本来の姿に戻すために成敗したと言う人もいれば、

信長の命令に従わない天下統一の邪魔になる集団だから

成敗したと言う人もいて本当の所はどうなんでしょうかね。




は、天下を統一する寸前で亡くなりましたが、

何故ゆえにあのような事件が起きることになったのかは

未だハッキリとしたことは分かっていません。



仮に信長側には大義名分が成り立つ行動であったとしても

その手法が力技過ぎると強い敵愾心を生み出し

己の敵対勢力を生み出すことになるので、

あのような結果を呼び込んだのかもしれないと思っています。



後に天下を取る



そんな気性の激しい信長と折り合いを付けて仕えていたのですから

二人の懐の広さはかなりのものだったのではと想像します。



私なんかは懐がそんなに広くないので

到底無理で袂を分かつことになること間違いありません。



大きくて沢山のものを入れるには大きな入れ物が必要であるのと同じで

沢山の人の協力がなければ成し得ないことをやる場合、

様々な人を懐に受け止めるだけの大きさがないまま強引に突き進んでも

どこかで破綻してしまうのかもしれません。



ちなみに、



は、人たらしの能力に相当長けていて



は、「鳴くまで待とう」の忍耐力にプラスして

信長並みに相当気性が荒かったという説もあるようです。




100円だったか200円だったか

私が購入した線香が中に写っています。




ここ那智山 青岸渡寺は、西国三十三か所の一番札所になっています。


日本には観音様をおまつりしたお寺を巡礼する習慣が

室町時代に始まったようで、

その最古のものが近畿一円に点在する

「西国三十三箇所」への巡礼とのことです。


他に、関東地方の秩父三十四ヶ所と坂東三十三ヶ所の三つ全部お参りすると

合わせて100になることから百観音の巡礼と言うのだそうです。




観音様の仏像




手水舎




階段の下の方に山門が見えましたが

ここは何となくスル―して




この違う階段を下りてみると




尊勝院



宿坊とあったので一般の人はどうか分かりませんが

宿泊出来るかもしれません。


さらに先へと下って人がいる所に行ってみると




さきほど上から見下ろしていた

青岸渡寺の山門がありました。

本来ならこの階段を上って入っていくのだと思います。




いつもなら山門の金剛力士像を写真に収めに行くのですが

今回は何となく止めました。



写真でも分かるように、

珍しいことに金剛力士像が設置されている場所が

金網以外の素材で囲われています。


そこにいた人達は、ガラスに囲われていると言っていましたが、

実際に真近で観ていない私が言うのも何ですが

強度面から考えてアクリル樹脂だと思うのですがどうなんでしょう。。。



先ほどの山門を見上げることが出来る場所のすぐ左に

那智大社に通ずると思われる鳥居があります。




鳥居をくぐって前には階段

直ぐ左に手水舎が




手水舎




そして、

手水舎の左手前には、橋と庭と奥に階段がありましたが

足を踏み入れていないので

この先に何があるのか確かめていません。



私は階段を上って大社には向かわず、

青岸渡寺の方へと一旦引き返しました。





次は、熊野三山の残りの一つ

熊野那智大社に足を踏み入れます。




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