すまねえ。おいらはここまでだ。
お前ならいけるさ。おいらがいなくても大丈夫。
嵐電とは『四条大宮駅』でお別れです。
阪急で烏丸駅、烏丸線で京都駅、
京都駅から近鉄京都線と乗り継いで到着したのが
真言宗総本山の『東寺』および『教王護国寺』で、
『東寺』の方が広く知られています。
京都 真言宗総本山 東寺
東寺は、平安京鎮護のための官寺として建立が始められ、
その後、嵯峨天皇より弘法大師『空海』に下賜されたお寺で
真言密教の根本道場として栄えました。
1934年(昭和9年)に国の史跡に指定され、
1994年(平成6年)12月に『古都京都の文化財』の
構成資産として世界遺産に登録されました。
東寺 灌頂院【重要文化財】
灌頂院(かんじょういん)は、密教の奥義を師匠から弟子へと伝え
阿闍梨(指導者)の地位を授ける『伝法灌頂』や、
真言宗の最高儀式である『後七日御修法(ごしちにちのみしほ)』を
執り行うための堂舎。
東寺の堀にもまたアイツ(アオサギ)がいました。
堀の鯉でも狙っているのかも知りませんが、
身体もデカいアイツは、人間を全く怖れていないのか、
目と鼻の先まで近づいても何のアクションも取らずです。
東寺の五重塔は、高さ54.8mで木造塔として
日本一の高さを誇ります。
東寺の五重塔は、雷や不審火で4回も焼失していて
現在の五重塔は、五代目の塔で
1644年に徳川家光の寄進で建てられました。
東寺 石標
南大門の東側の【真言宗総本山 東寺】と銘記された立派な石標。
東寺 南大門【重要文化財】
東寺の伽藍の正門となる八脚門の『南大門』は、
幅約18m高さ約13で東寺の最大の門になります。
1601年に、豊臣秀頼によって
三十三間堂の西大門として建てられたものを
1895年(明治28年)に
平安遷都1100年を記念して移築されました。
東寺の拝観は、境内の南中央に位置するここ南大門よりも
東側の北端にある慶賀門(けいがもん)からの方が
有料拝観エリアの出入り口に近く、
慶賀門の直ぐ横には駐車場の出入り口もあって便利です。
東寺を訪れたのは三度目ではあるのですが、
初拝観の時には、有料拝観エリアに入りましたが、
二度目は、外観の撮影だけを目的に訪れただけなので
境内に入るのは、今回が二度目になります。
東寺 五重塔と八嶋社殿
南大門を通り抜けて直ぐ東側(右手)にある八嶋社は、
東寺の伽藍の建立に先立ち弘法大師『空海』が
造立成就、方位安全、法道繫盛の祈願をした社です。
東寺 南大門と修行大師像
南大門を通り抜けて直ぐ西側(左手)には、
弘法大師空海の修業時代の姿の像があり
その西隣には東寺の鎮守、八幡宮があります。
東寺 鎮守 八幡宮
本尊の八幡三神像は、檜材の一木造りで
弘法大師作として伝わる秘仏に加えて、
僧形八幡神座像と女神座像が安置されています。
鎮守の八幡宮の西側には、灌頂院【重要文化財】の東門。
灌頂院【重要文化財】 北門
東寺 金堂【国宝】
東寺の金堂【国宝】は、中心伽藍で諸堂塔の内で
最も早く建設が始められた建物で
東寺が弘法大師に下賜された823年には完成していました。
1486年に土一揆で金堂と共に本尊の薬師如来像も焼失。
1603年に豊臣秀頼の寄進によって金堂が再建され、
本尊の薬師如来像は、桃山時代の仏師『康正』によって復興。
東寺 講堂と金堂
何度かの火災によって創建当時の建物は残っていないのですが、
南大門、金堂、講堂、食堂と南北一直線上に並ぶ伽藍配置や
各建物の規模は、平安時代のままとのことです。
金堂【国宝】の北側に立つ講堂【重要文化財】は、
東寺が空海に下賜された823年には建立されておらず
二年後の825年に空海より建設工事が着工され839年に完成。
東寺 講堂
839年に講堂が完成した頃は、
講堂と金堂の周囲を廻廊が巡る形をとっていましたが
1486年の土一揆で金堂と共に焼失しました。
金堂の再建は、焼失してから117年後の
1603年にと豊臣秀頼の寄進により再建となるのですが、
講堂の再建は、焼失後から僅か5年後の1491年。
講堂は、金堂と共に東寺境内の中心にあり、
弘法大師(空海)が密教を伝え広めるために建立された建物で、
建物内には、密教の教えを視覚的に表した立体曼荼羅があります。
東寺 本坊 勅使門
東寺の2度目の訪問で、外観を撮影するだけで終わったのも
初拝観の時に十分に拝観出来た感があったからなのですが、
まだ観賞出来ていない桜の季節の景観を観賞するために
最低あと一回は訪れることは前々から決めていました。
主だった堂宇の観賞を足早に終えて
有料拝観エリアへと向かい念願の桜満開の東寺の景観を観賞し、
折角なので金堂と講堂の仏像の観賞もさせて頂くつもりです。