醍醐寺の次に向かったのは
醍醐寺から歩いて15分程度の距離にある随心院です。
現在の時刻は、午後3時40分なので
何とか随心院の拝観はギリ出来そうですが、
随心院から徒歩15分の距離にある
勧修寺の拝観は出来そうにありません。
随心院 総門
ここ随心院は、日本で言われる世界三大美人の一人である
小野小町の所縁の寺として有名で、
1229年に後堀河天皇より門跡の宣旨を賜ったことで、
隨心院門跡と称されています。
皇族その他の出身者が住職をつとめる寺院を
門跡寺院と称されていて、
日本の20万以上のお寺の中で17寺院しかないとのことで、
京都には17の門跡寺院の内の13の門跡寺院があります。
薬医門
今日の三宝院と随心院の拝観で、京都の13門跡寺院の内、
これまで7つの門跡寺院を拝観させてもらったことになるので、
ここまで来たら残りの6つの門跡寺院を拝観したいと思います。
拝観入り口
随心院 庫裡
小町歌碑
「 花の色は うつりけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせしまに 」
桜の花の色は、衰えむなしく色があせてしまった
春の長雨が降っている間に。
ちょうど私の美貌が衰えたように
恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。
庫裡 衝立
以前拝観させて頂いた紫式部の廬山寺、
今日の一休さんの酬恩庵と小野小町の随心院。
実在していた人物なんだろうけれども
私的には、おとぎ話の登場人物のような感じです。
表書院
奥書院
天井の駕籠
表書院 玄関
表書院玄関から薬医門
杉戸絵 樹下双鶴図 狩野派
表書院
当時の雰囲気を感じさせてくれる杉戸絵は
各所で観ることが出来ます。
随心院の素敵な襖絵も撮影したいのですが、
襖絵は、多くの寺院と同じように撮影禁止です。
能之間 襖絵
能之間の襖絵「極彩色梅匂小町絵図」は、撮影OK。
この襖絵は、2009年に完成したもので、
4面の襖絵には、小野小町の生涯が描かれています。
左から
「生誕の図」秋田県で生まれて生活する様子、
「饗宴の図」仁明天皇のもとで宮仕えをする様子、
「伝承の図」宮仕えを辞し小野の地で過ごす様子、
「夢幻の図」小野を出て諸国を放浪する様子を表しています。
この絵が奉納された時は非公開だったそうですが、
絵を観たいとの要望が沢山あったことで
公開されるようになったそうです。
私達が訪れた時は、絵の人気が落ち着いたのか
ゆっくりと絵を鑑賞することができました。
本堂
本堂と能之間では、随心院で結婚式を終えたばかりの二人と、
その友人達が記念撮影をしていたのですが、
花嫁衣裳と羽織袴の二人の装いが
能之間の襖絵や本堂の建物と非常にマッチしていて
思わず撮影させて欲しいと言いそうになりました。
本堂前庭
随心院の庭は、以前に拝観させて頂いた青蓮院門跡と同じ
白砂ではなく苔庭となっていました。
砂紋の白砂の庭も素敵ですが、苔庭もまた素敵です。
回廊
小町堂
奥書院
右の各部屋で味わい深い襖絵を観ることが出来ます。
気持ち的には、一部屋の襖絵を5分~10分位はかけて
鑑賞したいところです。
能之間
能を鑑賞するための空間だと思うのですが、
畳の上で能を舞うとは思えませんので、
先ほどの小野小町の生涯を描いた襖絵の奥に
舞台が備わっているのか、
庭に能舞台を特設し能の間から鑑賞するのか。。。
小野梅園
拝観入り口の参道を挟んだ反対側にある小野梅園は、
山紅梅、白梅、薄紅梅等、約230本の梅の木があります。
先ほどの能之間の襖絵「極彩色梅匂小町絵図」の
特徴のある色使いは、
この梅園と関連した色を使用したんでしょうか。
小町化粧井戸
この化粧井戸に隣接して小野小町の住居があって
小野小町は、この井戸の水を化粧の際に利用していたそうです。
現在は竹林になっていて、その竹林の多くの竹が
醍醐寺の参道の木と同じようになぎ倒されていました。(台風?)
時刻も午後5時近くとなったので、
京都市役所前から高瀬川沿いに阪急河原町駅に向かいます。
高瀬川の桜並木
京都市役所辺りから四条辺りにかけての高瀬川沿いの桜並木は、
京都の桜の名所の一つになっています。
桜の木の大きさは、さすがに醍醐寺の桜ですが、
今日の時点での桜の咲きっぷりは、
高瀬川沿いの方が良いように思います。
綺麗なものを観てあげると
心を喜ばせてあげることが出来ますね。
「時よ。とまれ!」
今回の名所巡りは、高瀬川の桜で終わりとなります。
今回、訪れた一休寺、醍醐寺、随心院は桜の季節でもあり
見所、撮り所が満載だったようで
パンパンに充電したデジカメのバッテリーが3個目に突入しました。
私の趣味に付き合って頂いた読者の皆様、
ありがとうございました。