豊臣秀吉時代の中期に
大和国(奈良辺り)・紀伊国(和歌山辺り)・和泉国(大阪南部)の
100万石の領主として豊臣秀長(秀吉の弟)が郡山城に入城し、
100万石領主に相応しい城とするために
城を大規模なものへと増築させました。
秀長は、秀吉から重用され、
豊臣政権における調整役であり、
秀吉に異を唱え制御できる数少ない人物の一人で
政権の安定には欠かせない貴重な人物だったようで、
秀長あっての豊臣時代とも言う人がいるほどです。
ですので今回の郡山城には、
城観光もそうですが、歴史的重要人物のお城として
興味と期待を持って訪れることに。
郡山城 石垣とお堀・1
ナビの案内で到着して駐車場を探していると
城の周りをぐるっと一周したことで
現在の城の敷地は、そう広くはないことを確認。
柳澤神社参道から郡山城内へ
ワクワクして入城したのですが、先制パンチを食らいました。
いつものようにと言いましょうか、何なんでしょうか。
天守台石垣改修工事とのことで柳澤神社、郡山城天守台には
立ち入り禁止で行くことが出来ませんでした。
確か、1週間位後なら入れたみたいです。
郡山城 石垣とお堀・2
郡山城 石垣とお堀・3
極楽橋跡
こういうものが再建されると、さらに城の魅力アップ間違いなしですね。
天守台
改修工事のため立ち入り禁止となっていた天守台を
入城?入場できた反対側の場所から眺めます。
天守台
郡山城内の梅
郡山城は、日本さくら名所100選に選定されているようですが、
梅の名所なのではと思うほど
城内の公園には梅の木も数多く見ることが出来ました。
来たー。梅に鶯!じゃなくてメジロ?
3羽のメジロだと思うのですが、
梅の花にクチバシを突っ込んで何をしていたのやら、
ハチドリではないので
まさか花の蜜を食べていたとは思えないのですが、
梅の花と鳥が絵になるのでパチリ!
可愛いお尻だけですが何とか撮れました。
郡山城内庭園
追手門櫓・多聞櫓・追手向櫓
追手門の櫓と梅の花
追手門の櫓と梅の花
追手門櫓・多聞櫓・追手向櫓と梅
追手東隅櫓と多聞櫓
十九間多聞櫓と追手東隅櫓
追手東隅櫓
追手門
追手門
追手門
追手向櫓
追手向櫓
追手向櫓・多聞櫓・追手門
1873年に郡山城は破却され、
郡山城の櫓、門、堀などの建築物は
入札によって売却されたとのことですが、
石垣や堀の多くは今も当時の姿を留めているようです。
ちなみに城下の永慶寺に城門が
山門として移築されて現存しているようです。
郡山城とはここでお別れしました。
滞在時間は、約1時間でした。
そして、次の目的地
特別名勝(特別史跡)平城京左京三条二坊宮跡庭園へと向かいました。
特別名勝とは、我が国の記念物のうち重要なものを
史跡、名勝又は天然記念物として指定し、
特に価値が高く重要なものを特別名勝としています。
現在、36件が登録。
特別名勝(特別史跡)・平城京左京三条二坊宮跡庭園
郡山城から車で約15分程度のはずなのですが、
今日は奈良市内の渋滞が発生して思いのほか時間がかかりました。
復元建物
そして、今回は何と此処もでした。
「ブルータス、お前もかあああああ!」
平城京左京三条二坊宮跡庭園のメインが修理のため
建物に覆われていました。
修復中の園池
修理期間中の園池は覆屋の外から窓越しに見ることになります。
特別史跡 平城京跡
朱雀門
朱雀門を訪れるのは二度目、
今回は、朱雀門の向こうへと足を踏み入れます。
朱雀門から向こうは、
甲子園球場がいくつも造れるであろう野原(広場)が広がっています。
ここ平城京跡にあるもう一つの特別名勝・東院庭園まで
広い野原を、おっちらおっちらと歩いて向かいました。
特別名称・東院庭園
再建中の建物が一つありましたが、
メインの庭園は大丈夫でした。
平城京左京三条二坊宮跡庭園と東院庭園は、
今まで見てきた日本庭園の様式とは違うもので
時代の違いを感じさせてくれました。
雰囲気が似ているものとして
あえて言うなら宇治の平等院の雰囲気が一番近い感じがします。
庭園に植えられている木がもっと成長すると
雅感がさらに増してくると思われます。
こんな庭がある家に住みたいものです。
いまなら奈良へ
いくなら奈良へ
いまならカルボナーラが食べ頃を迎えています!
皆んな仲良く列んで奈良へ!!
今、京都でラーメンの様なカルボナーラで話題になっているお店があると聞いていますが、奈良にもカルボナーラで有名なお店があるのでしょうか。奈良は奈良漬けでとなるような。。。
あっあっあっ。。。もしかして、
カルボナーラ。カルボ奈~良。
風の谷の奈良鹿の方にスポットを当てて欲しかったです。
駒を沢山持っていますねえ。
ビックリしすぎて、おならが出ました。