1958年 都内の宴会の席で
タクアンが一切れ少ないことで喧嘩となり
男が相手を殴打しました。
殴られた被害者は、加害者の男に
治療費を求めた裁判で東京地裁は、
加害者の男に60万円の支払いを命じました。
短気は損気と言いますが、
殴った男は、60万の支払い命令を受け、
傷害の刑事事件として起訴される可能性も含めて
それだけの犠牲を払うだけの意義が
タクアン一切れにあったのでしょうか。
男っちゅうのはなあ。
ここと言う時には戦わなあかん時が
あるんや。
その考えについては理解できるにしても
タクアン一切れがその時では
絶対に違うっしょ。
1958年の頃といえども、
タクアンがキャビアなみに
高価な食べ物だとは思えないので
殴るほどのトラブルになったのが謎。
被害者の方も謎でタクアン位なら
「俺のをやるよ。」って
ならなかったのは何故なのか?
タクアンのやり取りの中で
売り言葉に買い言葉で攻撃的な言葉が飛び交う内に
雪玉が転がり大きくなるように
大きな怒りへと変貌したのかな。
何でもそうだと思いますが
小さな始まりを見過ごしたり
気に留めなかったことで大きな問題へと繋がったり、
小さな一歩を歩み出したことで
やがて大きな成果を生み出したり、
良いも悪いも
「その始まりは常に小さなことから。」