あるプロ野球のチームが
トレードなりFAなりで別のチームから
一人の選手を獲得するために交渉。
オファーを受けた選手が移籍条件の一つとして
プロ野球の選手としてスタートしたのはBチーム。
なので移籍後も愛着あるBチームのユニホームを
着用OKとすることを要求。
オファーを出したプロ野球チームが
その選手の気持ちを汲んで許諾したことで
移籍後も1人だけ別のユニホームを着た選手が
試合に出場することに。
次の年、その次の年と
他のチームでも同じようなことが繰り返され
全ての野球チームで色々なユニホームを着た選手が
試合に出場することに。
ファン達が応援しているのは
確かにおらがチームに間違いはないけれども
一体どこのチームを応援しているのか混乱し始めて、
これならどのチームを応援しても同じだと
それまで球場のスタンドで贔屓チームを
熱く応援していたファンの姿が消え………。
私のような仕事に就いている者は、
昔から語ってはいけないとされているのが
宗教に関するもの、贔屓チームに関するもの、
政治に関するもの等と言われているのですが。
今、夫婦別姓について各報道機関が
まるで申し合わせたように足並みをそろえて
選択制夫婦別姓を認めないことは
悪であるかのように流したり、
番組に出演した政治家を煽っていますが
どうなんでしょうかね。
私は、選択制夫婦別姓を夫婦が望むのなら
そうすれば良いんじゃないのって思ったりもするのですが、
これまでも本名とは違う名前を使って
仕事をしている人達は、ごまんといますよね。
例えば、分かりやすい所で言うと
アントニオ猪木、ジャイアント馬場、ラッシャー木村。
プロレスラー以外にも漫画家、小説家、芸能人、ボクサー、
飲み屋のお姉さん等々、それじゃダメなのかなあ。
以前、企業に勤めていた時に、
新社長の方針で分社制度が採用され
会社内が、かなり細かく分社に分けられ、
各分社が利益を追求するよう求められました。
結果、所員は自分達の分社の利益を
上げることに重きを置く動きをし、
違う分社に所属する社員同士の
コミュニケーションが少なくなり、
以前のように各職種同士が協力し合うことも
眼に見えて減ることに。
全体を構成する人員は誰一人代わっていないのに
何かを区分する概念の登場したことで
ほんの僅かな期間で
見事に支社内の空気が大きく変化しました。
全体としてそれほど良い成果が上がらなかったのか、
会社内の雰囲気が悪くなったからなのか、
1,2年後にその制度は廃止となりました。
選択制夫婦別姓を施行することで
具体的な違いとか影響が十年や二十年で
起きるとはとても思えないのですが
もっとゆっくりとじっくりとしたペースで
社会に影響を及ぼしていくかも知れません。
私が勤めていた会社のように
物は試しと施行してみて
あまり良くはないと判断したら
遅きに失することなく
制度を廃止する決定をすれば良いのですが、
ただでさえ一度決めた法律を戻すなんてことは
今までの例からしてもまあ無いことですし、
その影響がじっくりやんわりであるとするなら
それこそ余計に無いような気がします。
そもそも夫婦別姓について、
現在の夫婦同姓は悪法なので変えるべきって
思う人ってどれ位いるのなのだろうか。
夫婦同姓であることで被る大きな不利益や
精神的苦痛を我慢に我慢しながら
夫婦生活を送っている方がどれ位いるのだろうか。
仮に夫婦別姓でも良いし、夫婦同姓でも良いと
感じている人が大半だとするなら、
よからぬ真の目的を袂に隠して
もっともらしい理由を述べ、大半の人達を丸め込み、
家族の精神性や在り方を変えようとする者達に
良いようにされるのは御免なんですよね。
そのような集団や組織の方々に大抵共通するのが
女系天皇を推し進めようともしていることも
夫婦別姓のキナ臭さなんですよね。
ことある毎に夫婦別姓の声を高らかに
電波に乗せて流すことで、
それが国民の大半の総意であるかのような
印象を与えようとしているようにも感じます。
また違う団体もバブルの好景気を不時着どころか
エンジンを切って墜落させて以降、
何らかのカードを切る度に
社会を悪くしているような感があるのも頂けない。
40点の団体と5点の団体が
日本の船長をしているような感じを終わらせて
せめて50点越えの船長に舵を取ってもらいたいと
願うばかりなのですが
まあ世界のどの国も同じようなものなのかな。
随分と前の話ですが
私の友人と結婚したある女性が
私に話した印象的な言葉があります。
「夫と同じ姓となった時に
この人と結婚し夫婦になれたんだなと実感できた。」
こういう感覚を持った人って
古いとか遅れているとか言われる人達で
今の日本じゃもう少数派なのかなあ。
日本の国が夫婦別姓に舵を切るのか、切らないのか、
はたして………。
大事は常に小事から