1910年
樺戸集治鑑札分鑑から脱走した無期懲役囚が
ある村の役場の戸籍係として潜り込み
偽名の自分の戸籍を作成。
この時代、まだ戸籍法は成立していなかった。
1903年(明治36年)、日本の監獄制度が大きく改められ
特別な囚人を収容する施設「集治監」が廃止になり
名称が樺戸監獄に変更されて一般の監獄施設の一つとなります。
1919年(大正8年)に樺戸監獄の廃監が決まり
39年の歴史に幕が下ろされました。
うちの娘をどこの馬の骨かも分からねえ
おめえみたいな奴にくれてやんねえ!
けえれ!けえってくれ!
馬の骨か分からんと言う表現は、
役立たずで身元も素性も良く分からん奴の意で、
その頃は、現代と比べて情報収集力が限られていたので
突然、合って欲しい人がいるのって娘から突然いわれたら
そりゃどこの誰なのか分からんので
親としては心配するんは当然だろうし、
大切な娘を嫁に出す心の準備もできていないだろうから
まあ2つ返事で「娘を宜しく。」とは、まずならんよね。
となると娘の新郎チェックの方が役場より厳しかった?
当時の役場って一般の会社と比べると給与に差があったので
人気の就職先ではなかったと聞いたことがあるんですよね。
希望者が現れたら厳密な調べもせずに
誤魔化しの身元や素性であっても採用し………
まさかそんなことはあるまいと思いたいのですが
脱獄犯が役所の職員にって結果だけを見れば
かなりの緩々だったとしか言いようがないっす。
で身元と素性を証明してくれる戸籍を作成して
素性を完璧に偽ることに成功したはずでしたが
どこもかしこも矛盾なくは無理だったのか、
脱走犯を追う警察の捜査によってあぶりだされて
御用になったのは素晴らしい仕事ぶりですが
どうしても緩々感が否めない。
現代、ある国が世界中に工作をかけているなかで
難民問題の甘いと言わざる得ない扱い方や
外国人労働者を国の宝と招き入れて
問題が溢れるようになったりと
今の日本って大丈夫なのだろうか。
国民が性善説で対処するのは言いにしても
公的機関まで性善説で判断するとなると
甘いを通り越して只の馬鹿で無能かなと。
頭が馬鹿だと足が酬いを受けると言うように
まさか頭と足が別物だと思っていたりして。
さらに只の馬鹿の度を超すような対処をしている者は、
もうそれは工作員に準ずる者と認定しても
良いんじゃないかと思ったりする。