桜の開花情報が伝わる某日に
友人と車で赤穂城へと向かいました。
一時間30分ほどの所要時間で、
赤穂城に到着。
いつものことながら
ナビに目的地周辺で突き放され、
駐車場の関係で追手門からのスタートではなく
水手門跡からのスタートです。
赤穂城 水手門跡
黒鳥?
白鳥ではなく黒鳥らしきものがいたので
パチリ。
写真撮影になれていないのか
シャッターを押す瞬間に
顔を隠すようなご覧のポーズ。
橋を渡って中に入ると
広大な公園となっていました。
赤穂城は、
明治の前期の廃城令によって
石垣と堀を残して破却されたものを
現在、順次再建中とのこと。
赤穂城・本丸南隅櫓台(南横矢枡形
赤穂城花見広場
二の丸を南北に仕切っていた
赤穂城 二ノ丸西仕切門
の後ろの景色
浅野家時代には厩口門(うまやぐちもん)
森家時代には台所門と呼ばれたそうです。
この文字の読み方が分からずに、
友人とああかな、こうかなと全く答えが出なかったことから
友人と私の間では、ああでもない門と呼んでいた門。
赤穂城 本丸厩口門
おお、桜がもう満開かと思わされた花
本丸門(櫓門)と本丸御殿跡
櫓門の前にある御殿跡
台の上には、ここに台所があって、ここに廊下があって、
ここに部屋があってとか示されていました。
本丸御殿跡
赤穂城は、1661年に完成とされていますが、
赤穂城に詳しいボランティアの方の説明では
実は、未完成の城だと言っていました。
それは天守閣だけでなく
石垣の上に築かれる白壁もまたところどころが未完成なことから
平和の時代だから必要ではなくなったと言うことではなく、
一番の原因は、
1661年に京都御所が炎上し
赤穂藩主の朝の長直が新内浦造営を
赤穂藩主浅野長直が新内裏造営を命じられた際の出費が
今のお金で50億超とかで、
つまり、城を立てている最中にお金が無くなったことが
一番の原因だと説明してくれました。
本来なら5層の天守閣が立てられるはずだった
天守台跡
天守台からの眺め1
御殿の台座を上から見ると
広い敷地に御殿が立てられていたことが分かります。
本丸御殿跡
天守台からの眺め2
本丸門(櫓門)
の内側
赤穂城・本丸大手門枡形内
本丸表門(復元)手前高麗門(二の門)奥櫓門(一の門)
大石頼母助屋敷門
武家屋敷公園
大正元年(1912)に、
赤穂義士47人、萱野三平、浅野家三代、森家先祖七代を
祭神として建立された大石神社。
大石神社 鳥居
参道の両側の47士の像
生涯に3回も仇討ちをやっちゃった
堀部安兵衛像
大石内蔵助像
大石神社境内
大石神社 拝殿
大石神社・義士宝物殿
元禄14年(1701)の刃傷事件を知らせる早籠が、
この門を叩いたとの逸話が残されています。
大石良雄(内蔵助)宅跡
赤穂城 三ノ丸大手門内側
赤穂城 三ノ丸大手門内側
赤穂城 大手門
赤穂城 大手門と大手隅櫓
赤穂城 大手門と大手隅櫓
近いからこそ足が向かないで
なかなか訪問するようにならなかった
赤穂浪士で有名な赤穂城に今回初めて訪問で
偶然に出会ったボランティアのおじさんから
興味深い話を色々として頂いたことで
面白い小旅行となりました。
赤穂城は未完成の城?
浅野家は名君?
酷い年貢徴収と高利貸しの藩主?
私の中の浅野家のイメージがゆらゆらと揺れています。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計