「日本の底力」にコメントを下さった、兵庫県の・・・さんが指摘されていた「日本のものづくり」について、もう少し考えてみたい。
某経済評論家の「いつまでも『ものづくり日本』では、経済発展は無い」的趣旨の発言は、マーケティングという立場からすれば「分かっちゃいないね!」と言いたいですね。
以前から指摘がされていますが、名誉あるノーベル賞の中で唯一受賞後「あれは・・・」と、受賞内容評価が下がるのが経済部門。
経済評論家といわれる人達のなかには、流行で登場する方もいらっしゃいますし、科学などの部門と違って、その発言について後々責任を負うということが、殆どありませんから・・・。
「ものづくり」といった時、一体どんなことを思い浮かべるだろう?
チャップリンの「モダンタイムス」のような、「機械に使われるような単純作業的な製造作業」だろうか?
それとも「匠」とか「マイスター」と呼ばれるような、職人的なモノづくりだろうか?
「日本のものづくり」の現場というのは、「創造性という『知的財産』によって、つくられている」と言っても過言ではないだろうか?
会社員時代、メーカー販社に勤めていたこともあり比較的近いところに「ものづくり」の現場もあった。
海外に生産拠点を移している日本のメーカーも、その基本となる技術やデザインといった「知的財産」部分を海外拠点に移しているわけではない。
確かに、製造工程において必要な技術提供は、海外へも輸出しているがあくまでもそれは「製造工程」という一部に限られている。
最近何かと話題の中心となっている、IT企業はどうなのだろうか?
様々なところで「虚業」といわれている。
特に、スポーツ界とメディアの重鎮といわれる人たちからは、すこぶる評判が良くない。
そこには「ものづくり」の基本となる「知的財産」となる「何か」が、ないからではないだろうか?
番組のネット配信=番組のリセールそのものには「知的財産」と言われるものが、あるとは思えない。著作といった問題もあるが、今話題になっているIT企業の多くは、「情報の切り売り」をしているだけだからではないだろうか?
ある本を読んだ時こんな一文があった。
「今は、ITというと『インフォメーション・テクノロジー』と訳されるけど、ITという言葉が初めて日本で紹介されたときは『インテリジェンス・テクノロジー』だった」。
ITという言葉が「インテリジェンス・テクノロジー」と解釈すれば、日本のモノづくり現場こそが「IT」なのではないだろうか?
某経済評論家の「いつまでも『ものづくり日本』では、経済発展は無い」的趣旨の発言は、マーケティングという立場からすれば「分かっちゃいないね!」と言いたいですね。
以前から指摘がされていますが、名誉あるノーベル賞の中で唯一受賞後「あれは・・・」と、受賞内容評価が下がるのが経済部門。
経済評論家といわれる人達のなかには、流行で登場する方もいらっしゃいますし、科学などの部門と違って、その発言について後々責任を負うということが、殆どありませんから・・・。
「ものづくり」といった時、一体どんなことを思い浮かべるだろう?
チャップリンの「モダンタイムス」のような、「機械に使われるような単純作業的な製造作業」だろうか?
それとも「匠」とか「マイスター」と呼ばれるような、職人的なモノづくりだろうか?
「日本のものづくり」の現場というのは、「創造性という『知的財産』によって、つくられている」と言っても過言ではないだろうか?
会社員時代、メーカー販社に勤めていたこともあり比較的近いところに「ものづくり」の現場もあった。
海外に生産拠点を移している日本のメーカーも、その基本となる技術やデザインといった「知的財産」部分を海外拠点に移しているわけではない。
確かに、製造工程において必要な技術提供は、海外へも輸出しているがあくまでもそれは「製造工程」という一部に限られている。
最近何かと話題の中心となっている、IT企業はどうなのだろうか?
様々なところで「虚業」といわれている。
特に、スポーツ界とメディアの重鎮といわれる人たちからは、すこぶる評判が良くない。
そこには「ものづくり」の基本となる「知的財産」となる「何か」が、ないからではないだろうか?
番組のネット配信=番組のリセールそのものには「知的財産」と言われるものが、あるとは思えない。著作といった問題もあるが、今話題になっているIT企業の多くは、「情報の切り売り」をしているだけだからではないだろうか?
ある本を読んだ時こんな一文があった。
「今は、ITというと『インフォメーション・テクノロジー』と訳されるけど、ITという言葉が初めて日本で紹介されたときは『インテリジェンス・テクノロジー』だった」。
ITという言葉が「インテリジェンス・テクノロジー」と解釈すれば、日本のモノづくり現場こそが「IT」なのではないだろうか?