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「玉音放送」公開の意味

2015-08-01 20:57:34 | 徒然

今日、宮内庁が「昭和天皇の玉音放送」をはじめとする、先の大戦関係の資料について公開をした。
宮内庁:当庁が管理する先の大戦関係の資料について

新聞各社がこの資料について特集を組んでいるので、新聞紙面などでご覧になられた方も多いと思う。
その中でも一番注目されていたのが「玉音放送」だろう。
私たちがテレビドラマなどで聞く「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という部分ばかりが、これまでクローズアップされてきたが、その全内容となると聞くことができなかったからだ。
そして「玉音放送」全内容を拝聴すると、先の大戦の目的の一つは、「アジアの安定」であったという事がわかる。
確かに「第二次世界大戦中のアジア」の中で、独立国であった国というのは少なく、インドや東アジア諸国などは、いわゆる「列強国の植民地」であった。
その中で唯一と言ってよいのかもしれない日本が、列強国に対抗できる力を持ち、その力でアジアの安定を図ろうとした、のが発端だった、という事がわかる。

第二次世界大戦後、アジアの国々が次々と独立運動が活発化し、列強諸国の植民地から独立を獲得したのは1940年代後半~1960年代だ。
その中でも有名な独立運動の一つがインドのネイル・ガンジーによる「非暴力による独立運動」であり、もう一つが「インドシナ戦争からベトナム戦争へと続く戦争」だろう。
インドシナ戦争そのものは、現在のベトナムがフランスからの独立を目指したものだったが、その後共産主義と資本主義に分裂。共産主義を推し進める側についたのが中国と当時のソ連で、資本主義側を支援したのが米国であったことから「独立戦争」というよりも、「イデオロギーの代理戦争の戦地」となってしまったのが、ベトナム戦争だった。

そして「ポツダム宣言」を受け入れるだけではなく、原爆投下について、強い憤りを昭和天皇が持っていらっしゃったのでは?という感じを受けた。
決して「(英米支蘇に対して)耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」ではないような気がしたのだ。
むしろこの言葉は「国民が戦争によって、数多くの苦しみを得ることになったことに対して、天皇として申し訳ない気持ちであり、日本という国が平和で文化豊な国と今後なるのであれば、私はどのような(非難や批判があっても)耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ覚悟がある(あくまでも私の感覚だが、今の安倍さんに、そのような覚悟があるのだろうか?)」と、話されているような印象を持ち、テレビドラマなどで使われている「堪え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ・・・」という屈辱的な意味ではないのでは?という気がしたのだ。


今回この「玉音放送」をはじめとする、第二次世界大戦終結の宮内庁側から資料が公開された、という事には大きな意味があると思う。
それは多くの方が感じていらっしゃる、安倍政権に対する今上天皇をはじめとする皇族方のご意思だ。

考えてみれば、安倍さんが尊敬をしていらっしゃる?祖父・岸信介氏は「A級戦犯」として、公職を追放されていた人物でもある。
「東京裁判」そのものについては様々な意見があると思うが、少なくとも「第二次世界大戦を主導した側にいた人物」であったことには変わりない。
だからこそ、今「玉音放送」に込められた昭和天皇のご意思を、国民として知る必要があり、「第二次世界大戦」の経験から学んだことをアジアだけではなく、世界をも視野に入れ日本にしかできない「貢献」を考える必要があるように感じたのだった。

今回公開された「玉音放送」で比較的わかりやすく編集をされていたように感じた毎日新聞のWEBサイトの「玉音放送」です。ぜひ、視聴してください。
毎日新聞:戦後70年:「玉音放送」原盤初公開 50年ぶり、午前会議写真も宮内庁HPで