日経新聞のWEBサイトにあるCOMEMO。
その中で、気になるコラムがあった。
COMEMO:地域に埋もれた「魅力」は掘り出しても魅力的ではないというお話
確かに「埋もれた地域資産となるものを掘り出しても、魅力的ではない」というのは、一理あると思う。
ただこれまで「地方創生」等と言われながら、行政の多くはどこか他人事のような感覚だったのでは?と、感じることが多々あった。
「埋もれた地域の魅力すら、掘り出そうとしていなかった」、というのが本当のところなのでは?という、気がしているのだ。
その背景にあるのは、「お上(国)が、何等かの指示を出し、そのガイドラインに沿ってやる」という「他人任せ」というか「よそ事感覚」が、地方行政にあるような気がしていたからだ。
実家に帰省すると、「何のアイディアもなく、ただただ寂れていくのを待っているのでは?」という気がする時がある。
それほど街全体に活気が無く、何より地元の人たちが他人事のような感覚で、成功した自治体の姿を羨み、「自分の地元には、そのようなモノがないからな~」という思考で、止まっているような印象を持っている。
そしてそのような地方は、数多くあるのでは?という、気もしている。
コラムにあるように「魅力を掘り起こしたが、どのように全国に発信していいのか分からない」というのであれば、打つ手はある。
その道のプロにお願いすれば、費用は掛かるがいくらでも提案をしてくれるからだ。
いっそのこと「掘り起こし」からプロにお願いすれば、もっとスムーズにいくかもしれない。
だが、それは一時のことだ。
継続的に「地域資産の魅力を発信し、常に新しくしていく」というのは、自治体側には相当の努力と手間が必要だ。
そのための人財育成も同時に行う必要がある。
おそらく「人財育成などが必要だ!」と、考えている人は少なくないだろう。
国も手をこまねいているわけではない。総務省肝いりのプランとして「地域おこし協力隊」という、縁もゆかりもない若い人を派遣して、地域の魅力を掘り起こし、発信してもらう為の事業プランがある。
にもかかわらず、成功事例の数よりも多い数の失敗があるのでは?という、気がしている。
というのも、以前「地域おこし協力隊」の活動状況を知る機会があり、任期3年の内1年以上は、地域の人たちに顔を覚えてもらう為の活動に充てている、などの話を聞いたことがあるからだ。
地元の協力は必要だが、そのためのスタート時点でコケているような気がするのだ。
それよりも効果的なのは、自分たちの街のルーツを知り街全体のリノベーションをする、とではないだろうか?
拙ブログでは度々書いてきているのだが、戦後の高度成長期に地方が目指したのは「ミニ東京化」だった。
その結果、地方色が失われ本来あったはずの「魅力」も失せてしまったのではないだろうか?
「地域の魅力を掘り起こし、発信する」前に、街のルーツを探る・・・ということを、考えてみてはどうなのだろう?