先日発表された、米国映画最高作品に与えられる「アカデミー賞」。
下馬評通り「オッペンハイマー」が、主要部門総なめするような結果だった。
ナタリー:第96回アカデミー賞(2024年)
オッペンハイマーという映画によって、再びフォーカスされることになったのが「原爆」であり、「第二次世界大戦」だったのではないだろうか?
元々米国の「原爆研究・開発」は、敵対国・ドイツに対する危機感によるところが大きかった。
ところが、米国の原爆実験成功の前に、ドイツは降伏をしてしまう。
既にムッソリーニ率いるイタリアも降伏をしている状態。
「三国同盟」の中で残っているのは、日本だけだった。
それだけではなく、米国にとって日本をターゲットにする「大義」もあった。
それが「パールハーバー奇襲」であり、日本が第二次世界大戦へと本格的参戦をしたことだった。
そのような歴史的背景を知りながら、日本人側目線で見る映画「オッペンハイマー」と、「第二次世界大戦を終結させたオッペンハイマー」という、米国目線で見るとその印象も感想も大きく違うものになるだろう。
ただ、この「オッペンハイマー」という映画が、日本映画「ゴジラ‐1.0」が、同じ年に「アカデミー賞」を受賞した、ということに大きな意味があるような気がしている。
「原爆の父」と呼ばれた、オッペンハイマーは広島・長崎に原爆が投下され、罪のない多くの市民が犠牲になったことで、科学への不安を抱えていた、と言われている。
それは、一緒に原爆の研究・開発に携わり、その後ノーベル物理学賞を受賞したR・ファインマンも同様だった。
ファインマンはノーベル賞受賞後、日本での講演会に出席すべく来日をしている。
その時、「自分が原爆開発に携わった人間と分かった時、日本人はどう思うのだろう」と、悩んだようだ。
しかし、暖かく迎えられたことで、逆に「自分の研究開発を平和の為に使わなくては」という思いを強くした、という趣旨のことを自伝の中で書いている。
それほど、当時原爆開発に携わった科学者たちは、その後科学者として悩み苦しむということになる。
一方、ご存じの方も多いと思うのだが、映画「ゴジラ」は1950年代後半から始まった、米ソ(当時はまだソ連邦だった)の「原爆・水爆開発競争」という時代の中で誕生した。
「水爆実験によって、ゴジラが目を覚まし、東京の街を破壊する。それに立ち向かう人々」という構成ではあるが、そもそもゴジラが目覚める切っ掛けは、米ソによる「原水爆実験」であり、「人が手に負えないようなモノを手に入れ、それを武器とすること」に対する「警告」という、意味を含んでいるのだ。
決して、娯楽映画という部分だけの映画としてつくられたわけではない。
このような背景を持つ2つの映画が、同じ年に米国映画の最高峰とも言われる「アカデミー賞」で部門は違うとはいえ、受賞作品として選ばれたことは、エポックメイキングなことのように思えるのだ。
最新の画像[もっと見る]