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成田悠輔氏の発言は、目新しいことなのか?

2023-02-17 22:18:12 | 徒然

今週、話題になった成田悠輔氏の「高齢者は…」という発言は、日本国内よりも海外で注目されたようだ。
私自身は、成田悠輔氏の本を読んだことも無ければ、テレビやYouTubeなどで見たこともない。
ただ、時々目にする左右が違うデザインの眼鏡をかけている人、という程度の認識だった。

この成田氏の発言を聞いて、不快に感じた方も数多くいらっしゃるだろう。
何より、日本国内よりも海外の方がこの話題を積極的に取り上げられたようだ。
何故、それほどまでに海外で話題になったのか?
逆に言えば、何故日本ではあまり注目されなかったのか?ということを、考える必要があるように感じている。

成田氏は「ちょっと過激なたとえ話」をした、という感覚なのだろうが、やはり多くに人にとってギョッとする発言だったのではないだろうか?
何故なら、「集団自決」だとか「切腹」といった、「(積極的な)死」をイメージさせるような言葉が使われていたからだ。
今の若い世代の方たちにとって「集団自決」とか「切腹」という言葉は、歴史の中に登場する言葉であって、現実的なとらえられ方はできないのでは?と感じている。
昭和という時代に生まれ、育ってきた世代にとっては「自決」や「切腹」という言葉には、「大義」があり自分の信念に応じて自刀を選ぶ事でもある。
ただ「集団自決」という言葉の中には「自刃を選びたくはないが、周囲の圧に押されて・・・」という、人達も第二次世界大戦中にはいただろうな~と、想像することはできる。
だからこそ「集団」という言葉に、嫌な気持ちになってしまうのだ。

そのことを成田氏自身はどのような気持ちや考えを持って、発言をしたのかは分からない。
ただ、かつての日本には「姥捨て山」といわれる行為があったと、言われている。
伝承となっているが、深沢七郎は「楢山節考」という小説として発表し、その後木下恵介が脚本・監督をし映画化され、大ヒットしている。
あくまでも伝承なので、現実として行われてきたのか?という点では不明だが、かつて日本では「社会的に負担となった高齢者」に対して、そのような共通意識があったのでは?ということも考えられる。
それが成田氏によって、「集団自決」とか「切腹」という言葉に置き換えられたのでは?ということなのだ。

確かに、日本が直面している「高齢者社会」は、「2025問題」のように社会保障費を含め、社会的経済負担が大きくなる社会でもある。
それを解消するための方法を検討する必要はあるだろう。
その一つが「後期高齢者の医療費負担」の改訂だ。
他にも「高齢者になっても、働いてください」ということを象徴するような「70歳定年」ということも、言われるようになってきた。
言い換えれば、「自分の生活費や社会保障費は、年金に頼らず自分で稼いでください」、ともとれる。

その一方で、高齢者が現役として働く事で、若年層の職を奪うのではないか?という、指摘もある。
「若年層が活躍できる社会のために、高齢者は社会から退場してもらいたい」という考えが、「姥捨て山」や成田氏の「集団自決・切腹」という考えの根底にあるのではないだろうか?
「高齢者がいるから、若年層の様々な社会負担が増え、職が奪われるのか?」という根本から考えなくては、このような事が繰り返し言われるのではないだろうか?

今の若年層もいつかは高齢者となる。
その時、自分たちはどうしたいのか?
自刀を暗に選ばされる社会であってほしいのか?
それを成田氏に問いかけたい。



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