今朝、ネットでニュースのチェックをしていたら、詩人の谷川俊太郎さんの訃報を知った。
産経新聞:評伝・谷川俊太郎さん 透明な詩情、音楽のように 日常語で深く広い世界へ読者誘う
谷川さんの詩というよりも、谷川さんが使われる言葉にどことなく安心された方も多かったのではないだろうか?
安心する理由は、産経新聞の見出しにある通り「日常語」=飾らない普段使いの言葉を、軽やかに表現されていたからだと感じている。
例えば、10年ほど前だっただろうか?ネスレの企業CMに「朝のリレー」という詩が、起用されたことがある。
谷川さんご自身が朗読をされている動画が、Youtubeにあった。
Youtube:谷川俊太郎作者ご本人が朗読する「朝のリレー」
世界各地の地名が登場するのだが、リレーをするのは子供たちだ。
そこに大人の姿は無い。
それは「朝」という時間を、どのように受け取とっているのか?ということにも繋がっているのだろう、とその時に感じていた。
そして使われる言葉は、私たちが毎日当たり前に使っている、飾り立てた言葉ではなく平易で普段使っている言葉だ。
だからこそ、心の中に何かしら響くものを感じるのではないだろうか?
批評家の若松英輔さんは、ご自身の随筆の中でリルケの言葉を引用し、「詩はそぎ落とされた言葉で表現される」という趣旨のことを書いていらした記憶がある。
難しい言葉ではなく、平易でわかりやすい言葉だからこそ、伝わるのだということなのだろう。
そしていくらAIが進化し、AIが自由に言葉を操るような時が来ても、「言葉をそぎ落とし、平易でわかりやすい一文」を創ることは、難しいのでは?と、感じている。
何故なら、そこには「言葉から伝わる風景が見える言葉」が、使われなくては受け手となる読者に伝わらないからだ。
仕事上、コピーライティングをすることがある。
難しい言葉ではなく、シンプルで平易な言葉で伝える、という作業は、思いのほか大変だ。
語彙力という問題もあるが、それよりも伝える為に受け手である生活者に「コピー文から風景を見てもらう」ということを考えるからだ。
その意味で、谷川さんの創られる詩はとても勉強になっていた。
谷川さんのような詩人と商売で使うコピーと同列に見て欲しくない、と思われる方もいらっしゃると思う。
それでも、あえて言いたいのは「詩」というそぎ落とした平易な言葉を使い、読者に風景を見させる、ということはとても難しく、大変なことであり、その先にあるのが「伝える・伝わる」ということなのだと思うからだ。
最後に朝日新聞に特集されている、谷川さんのメッセージを紹介したい。
朝日新聞:谷川俊太郎 未来を生きる人たちへ
最新の画像[もっと見る]