日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

プロ野球球団は、経営的には「お荷物」なのか?

2011-10-19 12:41:02 | ビジネス
プロ野球セリーグの横浜ベイスターズの身売り話が、本格化しているようだ。
一部報道では、「モバゲー」などを運営しているDeNAが現在の親会社であるTBSHDから、買収することにほぼ合意した、とある。

なんとなくだが、ここ2,3年ベイスターズはシーズン終了近くなると、このような話題があったような気がする。
でも、本格化する前に頓挫(?)してしまったようで、TBSがそのまま親会社となっていたという印象がある。

考えてみれば、TBSも昨今のテレビ局の経営状況から考えれば、プロ野球球団の経営というのはとても厳しかったのではないだろうか?
戦績もパッとしたモノではなく、積極的な選手補強という話題もなかったように思う。
そのようなコトを考えれば、今回の買収というのはTBSとしては願ったり叶ったり、という気がする。
ただ気になるのは、ベイスターズがセリーグのチームということだ。
某新聞社の主筆の某氏が、「ワシの知らんような企業が、セリーグの球団オーナーになるというのは、けしからん」というようなことを言い出し、口を出してきそうな気がする。

ところで、プロ野球の球団というのは親会社にとってお荷物なのだろうか?
確かに今回のベイスターズのような場合は、「お荷物」というコトになるのかも知れない。
しかしパリーグのチームに目をやれば、決して「お荷物」という感じはしない。
福岡の(ソフトバンク)ホークスにしても、北海道の(日本ハム)ファイターズや仙台の(楽天)イーグルスにしても、とても熱心な地元ファンがおり、戦績とは関係なく地元を元気にさせる力を持ち、愛されているように見える。
もちろん、セリーグにも阪神タイガースのような、熱心すぎるファンがいるチームもある。

そのように考えると、親会社にとってプロ野球チームが「お荷物」になるかならないかは、戦績や特定の選手のファンに頼らない、熱心なチームのファンがいるかいないか、という点が大きいのではないだろうか?
とすれば、親会社を含めチームが考えなくてはいけないのは「ファンの創り方」ということになる。
逆に言えば、これまでしっかりとした「ファン創りをしてこなかった」という点が、問題ということになる。
本当にゲーム会社が買収するのであれば、野球もゲームも好き!というファンから直接アイディアをもらい、ファンを増やしながらチーム強化をすることも可能かも知れない。

テレビというマスメディアの雄から、ゲーム会社へと経営が移るのであれば、旧態然としたプロ野球球団ではない、ゲームユーザーをも巻き込んだファン創りや経営というモノもあるように思うし、そうであって欲しい、と思っている。
社会的変化に伴い、元気な企業がプロ野球球団を買収しながらファンを楽しませる、というスポーツ経営のあり方もあるのではないだろうか?

docomoがiPhoneを売るメリットとは?

2011-10-18 20:43:00 | ビジネス
今日、NTTdocomoが、来シーズンのモデルは発表したようだ。
「NTTdocomo2011冬春モデル新作発表会(注:USTREAM.TV)

この中で、iPhoneの販売について、ある程度の含みを持たせたコトを話されたようだ。
「ある程度含みを持たせた」というトコロがポイントだと思うのだが、本気で取り扱う気があるのだろうか?
iPhone4Sからauも取り扱うことになったが、どう考えてもソフトバンクに比べると、apple社との契約内容は厳しいような気がするのだ。
これまでの販売関係というか、信頼関係という点も含めてのことだ。

これまでのiphoneの日本国内における取り扱いの駆け引きでは、ソフトバンクvsNTTdocomoという状況だった。
だからこそ「auが販売する」となったとき、驚きがあり、apple社との契約内容が厳しいのでは?という、憶測のようなものが一部で指摘されたのでは?と、考えている。

ただ、「含みを持たせた発言」だけなので、将来的にNTTdocomoが「iPhone」を取り扱うようになるかはわからない。
だがNTTdocomoがiPhoneを販売するメリットはどこにあるのだろう?と、考えると、あまりメリットがあるとは思えないのも事実だろう。

その理由のひとつが、スマートフォンの中でも「android携帯」のほうが、iPhoneよりも販売実績が多いからだ。
iPhone1機種に対して、android搭載携帯すべてと比較すること自体、やや無謀という気がしないわけでもないが、搭載されているOSという点だけで見れば、そのようなことになる。
単に市場の優位性という点だけを見れば、NTTdocomoがいまさらiPhoneを取り扱う理由が見当たらない。
逆に「appleのiPhone」というブランドイメージが欲しい、というのであれば理由になる。
だが、ブランドイメージだけのために取り扱うというのは、あまりにもリスクが大きいのではないだろうか?
なぜなら、すでにソフトバンクやauが、そのブランドを取り扱っているからだ。
三番手となるNTTdocomoには、そのブランドイメージを持ったところで、世間的には三番手でしかない。

いくら「含みを持たせた発言」とはいえ、どうなんでしょうかね?と感じたのだった。

65インチテレビ、どんな人が見るのかな?

2011-10-17 19:24:05 | マーケティング
日経新聞のWEBサイトに、テレビに関する話題が2つあった。
そのひとつが、ソニーが新しく発売する高画質の65インチテレビ。
もうひとつが、薄型テレビの価格の値下がりが止まらない、という内容。
この2つの記事を読んで、思ったことがある。
それは「テレビを購入する生活者の存在がどこにあるの?」ということ。

今日のタイトルである「65インチテレビ」について、まず思ったことは「どんな人が、どんなところで見るのだろう?」ということだった。
ワンルームマンションのようなところで、65インチテレビというのは大きすぎるような気がする。
もちろん、「大画面を大迫力で見たい!」という方はいらっしゃるだろう。
とはいうものの、やはりリビングルームでそれ相応のスペースが必要なのでは?と、思ってしまうのだ。
それだけではなく、「エコポイント」+「地デジ化」で買い換えたリビング用のテレビを、簡単に買い換えるのだろうか?

もうひとつの「薄型テレビの値崩れ」という話だが、これは冷静に考えてみれば当然のことなのでは?と、考えている。
というのも、この7月24日から始まった「地デジ」放送の関係で、被災地を除く日本の全地域が「地デジ」化され、それにあわせ日本のほとんどの世帯が「薄型テレビ」に買い換えたはずだからだ。
それも一昨年から始まり今年の3月で終了した「エコポイント制度」の関係もあり、昨年の11月ごろをピークに、「薄型テレビ」に買い換えた世帯が多かったのではないだろうか?
とすれば、多くの家庭にある「薄型テレビ」の買い替え需要は、数年後となるはずだ。
それも、「エコポイント」+「地デジ化」で、買い替え時期を早めた家庭もあったことを考えると、今年中の「薄型テレビ」の買い替え需要というのは、大きく見込めないはずなのだ。
需要が少ない今、値崩れ状態になってしまうのは仕方ないはずだし、そのようなことはわかりきったコトだと思う。
実際、価格.comなどを見てみると、「エコポイント」+「地デジ化」で売れていた大型テレビの値崩れは確かにひどい。
発売当初の価格に対して、80%以上値下がりをしている機種もある。

であれば、この時期メーカーサイドも新製品を出して、市場喚起を起こすことよりも、従来の製品を作り、低価格に対抗したほうが得策なのではないだろうか?
その間に、しっかりと生活者の志向変化を分析し、来るべき「買い替え需要」に備えたほうが、企業リスクは少ないのでは?
確かに、家電量販店側としては新製品が少ないと、集客に影響があると思う。
思うのだが、何も「薄型テレビ」だけが家電量販店の取り扱い商品ではない。
逆に、お客様からの声を収集し、それをメーカー側にフィードバックさせることで、量販店ならではのオリジナル商品の開発のきっかけとなるかも知れない。

「日本全国一斉、薄型テレビ買い替え需要」が起きた直後だからこそ、じっくりと生活者の声に耳を傾ける、そんな姿勢が必要なのではないだろうか?

トヨタの新しい企業CM

2011-10-15 21:36:14 | CMウォッチ
1週間ほど前から、Yahooなどのポータルサイトのポップアップ広告のトコロに、トヨタの新しい企業広告の告知がされていた。
そして、今日そのテレビCMが一斉にテレビに流れた様だ。
「ReBORN FUN TO  DRIVE, AGINE」と題した、CMだ。

テレビCM放映後、WEBサイトでも見ることができたのだが、意図しているトコロが分からない訳では無いが、私の中では「ムゥゥゥ~」と考えてしまうCMだった。
コンセプトとしての「ReBORN」も何となく分かるし、長い間使われてきた「FUN TO DRIVE」も名コピーだと思う。
何より、このコピーが初めて登場した1980年代は「クルマを所有するコト」では無く、「クルマを運転する楽しさ」というコトを、各社競うようにアピールした時代だった。
1960年代から続いてきた、トヨタの「いつかはクラウン」という時代から、考えれば大きな転換となるCMだったと思う。

そして今再び「FUN TO DRIVE」=(クルマを)運転する楽しさ、と言うコトをキーワードとしているコトを考えると、若年層を中心とした「クルマ離れ」に対するアプローチというコトも考えられる。
とすれば、なぜ戦国武将なのだろうか?
確かに織田信長や豊臣秀吉は、いつの時代でも人気の高い戦国武将だ。
トヨタのお膝元、三河の出身でもある。
もしかしたら、戦国武将たちが社会のフレームを大きく変えたコトをなぞり、クルマを通して社会のフレームを変えたい、と言うコトなのか?
だとすれば、今から50年近く前のクラウン(だと思う)を使う理由は?
「温故知新」というコトなのか?
「トヨタのモノづくりの原点」として、「いつかはクラウン」を登場させたと言うコトだろうか?
それが逆に「プリウス」だったら、どうなっていただろう?

スッパと、ダイレクトに制作意図が見えない、と言う気がする反面、キャッチコピーの意図だけはよく分かる。
今後は、「キムタク織田信長とタケシ豊臣秀吉が、日本全国をドライブする」らしいのだが、果たしてどのような内容になるのだろう。

個人的にはタケシ豊臣秀吉が、タケシ徳川家康に見えてしまい、余計「ムゥゥゥ~」となってしまったのだった。


メディアを疑う

2011-10-14 12:06:42 | マーケティング
新聞の下に、雑誌や書籍の案内がある。
特に書籍の場合、必ず「キャッチコピー」となる様な、目を引く言葉が書いてある。
このコピーや著名人の推薦文の一部を読んで、「読んでみようかな~」という気持ちになる方も多いと思う。
私なども、書店で見かけた帯文に惹かれて随分本を買った。
もちろん、おもしろい本もあれば「・・・(´・ω・`)」で終わった本もある。

そんな書籍案内を見ていたら、チョット気になる文面があった。
それは「国民的アイドルに成長したAKB48・・・・」と言う文章だった。
本の内容はおそらく「AKB48がヒットした分析」というトコロだと思う。
その内容では無く、コピーの一文「AKB48が国民的アイドルなのか?」という点に、引っかかったのだ。

ファンの方々には大変申し訳無いのだが、私自身はAKB48が国民的アイドルだとは思っていない。
アイドルだとは思うが、「国民的」だとは思わない。
では「国民的」というのは、どのような状況・状態であれば「国民的」というのだろう?

かつてのように、家庭にテレビが1台か2台しかなく、家族そろって見るテレビ番組があり、その中に登場するコトで「国民的」と呼ばれるアイドルや歌手が登場した時代があった。
それは幼稚園に通う子供からおじいちゃん・おばあちゃんまで、そのアイドルや歌手の存在を知っており、少なくとも顔と名前が一致する程度の認知度があるとすれば、それは「国民的」だと思う。

では、AKB48の場合はどうなのだろう?
元々彼女たちが登場する様なテレビ番組を見ない、と言うコトもあり、メンバーの殆どの名前と顔が一致しない。
一致しない以前の問題として殆ど顔も名前も知らない、と言うのが現実だ。
もちろん、話題となったメンバーだけはかろうじて、名前と顔が一致はするがその程度。
その程度では、「知っている」とは言えないだろう。
その意味で「国民的」とは言えないだろう。

実は、この様な「メディアが言うコト」と自分の実感と大きくかけ離れていると感じるコトが、ここ数年多くなってきた。
その理由の一つは、情報源の多様性があるだろう。
AKB48のファンの方たちが得る情報源を私は持っていないだろうし、その情報源のある場所も知らない。
そしてこの様な「情報源」は、ネット上などではたくさんあるはずなのに、それをあえて選ばない場合も多い。
その理由は「興味が無いから」だ。
興味の対象が多種多様となり、それに合わせるかの様に情報源も多種多様になり、自分の興味の無いコト・モノに対しては、なかなか情報を得るコトが難しくなってきている。
上述したように、テレビや新聞と言ったメディアが情報の中心で、家族そろってその情報を得るのが当たり前だった頃と今とは、全く違う社会となってしまったのだ。

そのことを考えると「国民的」と、宣伝文句に使うコト自体「・・・・」となってしまうのではないだろうか?
「メディアが大きく取り上げるコト・モノが、社会の中心」という時代では無いし、それに押し流されるのでは無く、自分の感覚と照らし合わせて、疑うコトの方が重要な気がするのだ。



戦々恐々とするよりも

2011-10-13 19:15:52 | 徒然
一昨日ぐらいから、東京電力「福島第一原子力発電事故」とは関係の無いと思われる場所で、高い放射線量が観測されている。
特に東京・世田谷の場合、いわゆる「住宅地」と言うコトもあり、周囲に住んでいらっしゃる方々だけでは無く、世田谷とは遠く離れた全く関係の無い地域の人々まで戦々恐々とされたのではないだろうか?
ほかにも千葉では、公園の一角で同じく高い線量の放射線が観測された、とお昼のニュース(テレビでは無くWEBサイトの情報だが)が流れてたようだ。
そして今日になり、世田谷の高い線量の放射線は、床下に置かれたビンが、原因だったというコトが分かったようだ。

このニュースを聞いて一安心、と言う方が多いと思う。
ただ冷静に考えれば、「放射線を発するモノは、生活の至る所にある」というコトを、このニュースは教えていると思う。
もちろん、「福島第一原子力発電所事故」と今回の騒動とは、一緒にすべき問題では無い。
原因となるモノが、全く別のモノと言うだけでは無く、原子力発電所事故がもたらす様々な問題点と、日常的に存在する放射能とは、全く別次元のモノだからだ。

ここで考える必要があるのは、「放射能」という言葉に翻弄され戦々恐々となり、必要以上に怖がるコトだ。
今年の夏、テレビのニュースで(地デジ化前のコト)「30年ぶりに来年度から「放射線」について学ぶよう、学習指導要領に加えられたため、理科の担当の先生たちはその研修に参加している」という、内容のニュースがあった。
とすれば、今現在40代後半以上の世代は、理科の授業で「放射線」について学んでいるが、それ以降の世代は「放射線」について学んでいない、と言うコトになる。

その影響もあるのかは分からないが、今回の「福島第一原子力発電所事故」以来、ヒステリックなほどの「放射線アレルギー」を多くの人が持っている様な印象があった。
「放射線=あってはならないモノ」という認識を持つ人が多くいらっしゃるコトに驚き、それを煽る様なメディアの騒ぎ方にも違和感を感じていた。
ところが、今回の様なコトが起き、その原因がごく当たり前に私たちの生活に存在するモノ(今回の場合「空きビン」)からも「放射線が発せられている」というコトになると、放射線そのものは生活から排除できないモノ=日常生活の中にごく当たり前のように存在しているモノ、と言う認識を持たざる得ないはずだ。

ヒステリックに戦々恐々とし、中には沖縄にまで転居された方などは、今回の世田谷の一件はどう思われたのだろう。
「福島第一原子力発電事故」と、自分たちの生活との関連をよくよく考え、今一度冷静になる必要があるのでは、と言うコトをこの世田谷の事件(と言う程では無いが)は教えてくれた様な気がする。



ユニクロのジレンマ?

2011-10-12 20:30:08 | ビジネス
新聞各社のWEBサイトに「ユニクロ4期ぶり、減収減益」と言う記事が掲載されている。
内容については、新聞各社の記事を読んでいただくとして、その中で指摘されていた「デザイン」というコトについて考えてみたい。

実は、ここ2,3年のユニクロを見ていて感じるコトがあった。
それは、メンズでは無くレディースに関するコトだ。
デザイン的に見て「・・・」というモノが、多くなりつつある様な気がしていたのだった。
ユニクロの顧客対象が、10代~20代(場合によっては30代前半)に限定しているのならまだ分かるのだが、どちらかと言えば「ファミリー向け」という店舗ディスプレイをしている関係上、どうしてもある年齢の女性には、「・・・・どうよ」という感じのデザインが、目立つようになってきたのだ。

この背景にあるのは、同じく2.3年前に日本に次々と進出をし話題になった「H&M」や「フォーエバー21」の影響があったのではないか?と、思っている。
理由は、「H&M」や「フォーエバー21」とユニクロが同じ「SPA」という形態の、ファッションブランドだったからだ。
ユニクロのライバルとして登場したはずの「H&M」や「フォーエバー21」も、積極的な日本展開をするのか?と思っていたら、首都圏が中心で全国的な展開というのはほど遠い状態になっている。
何より、今年に入ってからブランドの話題を全く聞かなくなってしまった。

ユニクロやH&M、フォーエバー21の様な形態のファッションブランドだけが、苦戦をしている訳では無いと思う。
ファッション業界全体が、停滞傾向にあるのでは?と、感じている部分があるのも確かだ。
そこが、ファッション業界の難しさでもある。
と言うのも、毎シーズン「トレンド」を創り出すコトが、ファッション業界そのものが代謝であり、利益を生み出す方法だからだ。
その「トレンド」を見ても、生活者が心動かされ「買いたい!」と思い、行動に移さなければ、「トレンド」は「絵に描いた餅」になってしまう。

ユニクロの場合、レディースの部分についてはまさに「トレンド」を提案しているにも関わらず、それまでユニクロの顧客だった層の「心を動かす」コトができていない様な気がするのだ。
であれば、どうしたら良いのか?と、考えると答えは自ずと出てくる。
それは「トレンド」ではなく「当たり前の服」を、新しく見せるコトだ。
せっかくユニクロには、「ヒートテック」や「サラファイン」といった「新素材」と言う強みがある。
シーズンごとに変わるデザインに走るのでは無く、当たり前の服に新素材のもつ高機能を組み合わせ、そこにエッセンスとしてのトレンドを提案する、と言うコトなのだ。

私は「ユニクロ」の意味は、「ユニバーサルクローズ(みんなの服)」だと思っている。
同じ服を違う世代が着たらどうなるのか?そんな提案が日本国内では必要な気がする。

「市場ができる」と言うコト

2011-10-11 16:04:08 | マーケティング
これから秋本番という時期だが、百貨店やスーパーだけではなくコンビニではすでに、季節は「冬」となりつつある様だ。
百貨店の広告やサイトを見ると、「おせち料理予約受付」が始まっている。
もちろん、お正月前にあるクリスマスのケーキの予約受付も、当然のコトながら始まっている。
そんな「クリスマスケーキ」の予約受付のコンビニのカタログチラシを見ていたら、カタログの終わりのページにプチケーキサイズの大きさのケーキがあった。
私のような「一人用クリスマスケーキ」かと思ったら、なんと!ペット用ケーキだった。

ペットの犬や猫の好み(と言うのは、どうして分かるのか。とても不思議なのだが)の味付けと、ペットに害を与えないような食材をタップリと使ったモノだろう。
この「ペット用クリスマスケーキ」の予約を見て、考えたコトがある。
それは「市場ができる」というコトだ。

おそらく「ペット用クリスマスケーキ」が登場したのは、20数年前だと思う。
名古屋ではある百貨店が、クリスマス直前に売り出し話題になった。
その年から、その百貨店では「ペット用クリスマスケーキ」を売り出す様になったのだが、発売した年から数年間は「ペットにケーキなんて・・・」と、批判的な雰囲気があった。
その当時から、「ペットは家族」というコトは言われていたと思うのだが、コト「食べ物」に関しては「人間とペット」の線引きというものは明確にあったと言う気がする。
もちろん、今でもペットにはペットフードが中心で、人と同じモノを食べると言うコトは、殆ど無いと思う。
逆に半世紀ほど前までは、飼い犬や飼い猫に人間が食べた残飯を「猫まんま」として与えていたが、今、その様なコトをしたら「虐待」と言われかねない。
ペットフードの歴史と市場の形成というのは、「人とペットの別食」から始まったようなトコロがある。

ところが、その「人とペットの別食」が一般的になった頃に登場したのが、「ペット用クリスマスケーキ」だったのだ。
だからこそ「初ペット用クリスマスケーキ発売」の頃は、「際物扱い」の様な報道のされ方もされたし、「市場として残っていかない」と言う見方をされたと言う記憶がある。

それから30年近く経った今では、「ペット用クリスマスケーキ」は一般的になり、コンビニの「クリスマスカタログ」にも当然のような顔をして登場するようになった。
と言うコトは、「ペット用クリスマスケーキ」という市場は完全にできあがりつつある、と見ることができる。
と言うよりも「ペットグルメ市場」と考えた方が良いのかも知れない。
単に「ペットフード」という市場では無く、人と同じ感覚でクリスマスやお正月などの特別なペット行事食と言うコトだ。

おそらくその様な「人と一緒の特別なペット行事食」という市場は、日本くらいなのではないだろうか?
30年ほどの間でそのくらい日本のペットは、家族として大事にされ、「人と同じ体験をさせたい」という買い主の考えが当たり前になってきた、と言うコトなのだと思う。

コンビニの「クリスマスケーキ予約」のチラシを見ながら、「一つの市場ができるコト」を実感したのだった。

使う側の問題

2011-10-10 20:48:31 | ライフスタイル
Yahooのトピックスに「駅ホームでスマホ事故多発」という記事が、ピックアップされている。
その元となったのは、NHKのクローズアップ現代のケータイ事故” 駅のホームでいま何がと言う内容だったようだ。

この記事を読んで、「スマホが問題なのでは無く、使う側の問題なのでは?」という気がしたのだ。
もちろん「クローズアップ現代」でも、「スマホに問題があるのでは無く、使い方の問題」という指摘をしている。
タイトルだけを見ると、スマートフォンに問題がある様な書き方がとても気になる。

しかし、この問題は別にスマートフォンだけの問題では無い。
実は、過去何度か「携帯電話による命の危険を感じた」ことがある。
そのいずれも「携帯電話を操作しながら、猛スピードで走ってくる自転車」とぶつかりそうになった、と言うモノ。
信号機の無い、脇道での出来事だった。
一番最初は男子高校生だったが、その後はサラリーマンや若い女性だったりと、その世代も状況も全く違う。
唯一共通点があるのは「携帯電話をいじりながら、猛スピードで自転車を走らせていた」というコトだ。
おそらく、当の本人は自分が「猛スピードで自転車を走らせている」とは思っていないのだと思う。
何より、携帯電話に夢中で周囲の状況など全く見えていないのだ。
だからだろう、こちらがビックリして道で立ちすくんで居る姿をチラリと見て「なにやってんの?」的な視線を浴びせ、去って行くのだ。

その様に見れば、スマートフォン登場以前からその様な問題が発生していて、スマートフォンの登場・普及によって拍車がかかった、と言うコトなのだ。
スマートフォンの便利さと言うのは、おそらく代えがたいモノがあるのでは?と、考えている。
その便利さに、翻弄されていると言うコトなのではないだろうか?
ゲームにしてもツイッターやメールにしても、歩きながら、自転車に乗りながらする必要は全く無いはずだ。
にも関わらずしてしまう、と言うコトが問題なのだ。

おそらくこの様な事故を起こす人たちの多くは、何かの情報を得ようとスマートフォンを使っているのでは無いのだと思う。
言い換えれば、「携帯情報ツール」としてのスマートフォンでは無く、スマートフォンのアプリケーションに夢中になっている、と言うコトなのではないだろうか?
とすれば、アプリケーションの機能を変えるコトで、ある程度問題が解決できるのでは?
そして、駅や交差点などでは逆に電波を受信できなくする(あるいは微弱にする)、と言うコトも一案だと思う。
そもそも駅や交差点で、緊急の連絡をしなくてはならないなどというコト自体、そうそうあることでは無い。

「携帯電話やスマートフォンを見ながら忙しそうにしている姿」というのは、「忙しい風」なだけで本当に忙しいようには見えない。
私などから見ると「(携帯やスマートフォンに振り回された)格好悪い姿」にしか見えないのだが・・・。





「和」よりも「洋」なのかな~

2011-10-09 19:48:42 | アラカルト
今日は「十三夜」。
別名「栗名月」。
と言うコトで、近所スーパーやら大型小売店へと「栗の何か」を探しに出かけた。
ところが・・・目に付くのは「ハロウィン」ばかり。
(「豆名月」とも呼ばれるので)別に「豆」でも良かったのかもと思いつつ、「豆料理」が思い浮かばなかったのだ。

そんなコトを思い浮かべながら、「ハロウィン」そのものがこれほど一般的になったのは、いつぐらい空だろう?と、思い出していた。
たぶん10年ほど前くらいからだと思う。
最近では百均ショップでも「ハロウィングッズ」のコーナーが登場し、月末には「ハロウィンパーティー」のために仮装して町中を歩く方々がいらっしゃっても、奇異な目で見られると言うコトも無くなり、それだけ「ハロウィン」が日本の社会の中にとけこんできた。

それはそれで、構わないとは思うのだが、イベント化できるモノは「洋物」ばかり。
もう少し「和」にも注目してほしい・・・と、感じている。
せっかく今日が「十三夜」で別名「栗名月」と言うのに、当然のことながら「栗ごはん」も「栗おこわ」も無く、栗の和菓子も見かけず、ならば洋菓子でもと思っても余り積極的なディスプレーがされていない。
フルーツタルトの上にマロンクリームを飾って「マロンタルト」は、無いと思う。

そもそも1ヶ月ほど前の「中秋の名月」を愛でながら、月見団子や衣かつぎを頂いたと言う方は、どれほどいたのだろう?
せっかく日本には様々な季節の楽しみがあると言うのに、最近では洋物に押され気味という感じがある。
確かに、「イベントパーティー」という楽しみ方はできないが、その分ゆったりと五感で季節を感じるのが、日本の生活にはあったのでは?

商業的な意味では、華やかさに欠ける(?)日本の季節の愛でかたなのかも知れないが、だからこそきちんとした提案が必要なのだと思う。
何も商業ベースに乗る必要は無いのだが、商業ベースに乗ることで初めて「季節の行事を知る」という世代も登場し始めている様にも感じる。
とすれば、「文化を知る」という意味でのアプローチはあっても良いのでは。
むしろ今年のような「天変地異」が続く時こそ、「自然」と向き合う時間を持つコトで自然の怖さと豊かさ、そして感謝というものが感じられるのではないだろうか?

ややおぼろがかった月を見て、そんなコトを感じた。