この夏話題になったサービスがある。
「カレログ」だ。
スマートフォンに、アプリケーションをダウンロードするとスマートフォンの所有者の動きが、逐一PCで確認できると言うモノらしい。
ところが、この「カレログ」を巡ってはイロイロな問題が起きているのは、ご存じの通りだ。
これまで「問題」として取り上げられた内容は、「プライバシーや個人情報に関わる」という点だ。
確かに、自分の知らないトコロで自分の行動が逐一チェックされていると言うのは、気分が良くない。
良くないと言うよりも、気持ち悪さを感じる。
たとえ「遊び」であっても、気持ちの良いモノではない。
逆に「カレログ」を彼のスマートフォンにダウンロードする「彼女の気持ち・考え」というのは、どのようなモノなのだろう?と、不思議に思ったのだ。
もちろん、男性が彼女に内緒でダウンロードしたケースもあるだろう。
いくら相手の行動が気になるからと言って、逐一チェックをしたいモノだろうか?
たとえそれが、仕事が終わってからの行動であっても、チェックしたところで何かあるのだろうか?
「浮気をしているのでは?」とか、「事故に遭ったら大変」というコトなのだろうか?
おそらく、このアプリケーションそのものは、とても優れているモノだと思う。
例えば「認知症」などで、徘徊傾向のある患者さんに持たせるコトで、事故などを未然に防ぐコトができる。
子供向け携帯に搭載されている、「見守り機能」などと同じモノだ。
そしてその様なツールを子供や高齢者に持たせるのは、上述している通り「事故などを未然に防ぐ」または「早期に解決する」という目的がある。
だが今回の「カレログ」は、「未然に事故を防がなくてはならない」ような相手では無い。
「興味本位」の行動チェックだ。
いくら「彼(彼女)に夢中」で、「彼(彼女)のコトを夜も日も考えている」としても、そこまでチェックしなくては気が済まないのだろうか?
もちろん、個人の考えなので私がどうこう言うべきコトでは無い。
ただ、その気持ちというか心理が分からないのだ。
マーケティング的な見方をすれば、アプリケーションを提供する側の「(生活者への)想像力不足」で「市場を間違えた」と言うコトだろう。
ITによって、様々な「便利ツール」が登場してきたが、逆にそれらの「便利ツール」に振り回されているのでは?
便利な様でいて、自分自身を不自由にさせているのでは?
なんとなく、この騒動を見ていて「人が使うつもりが、アプリケーションに使われている」と感じるのだ。
「おもしろそう」と言う気軽さから、ダウンロードしたのかもしれないが、その「代償」は案外大きなモノになってしまったのでは?
「カレログ」だ。
スマートフォンに、アプリケーションをダウンロードするとスマートフォンの所有者の動きが、逐一PCで確認できると言うモノらしい。
ところが、この「カレログ」を巡ってはイロイロな問題が起きているのは、ご存じの通りだ。
これまで「問題」として取り上げられた内容は、「プライバシーや個人情報に関わる」という点だ。
確かに、自分の知らないトコロで自分の行動が逐一チェックされていると言うのは、気分が良くない。
良くないと言うよりも、気持ち悪さを感じる。
たとえ「遊び」であっても、気持ちの良いモノではない。
逆に「カレログ」を彼のスマートフォンにダウンロードする「彼女の気持ち・考え」というのは、どのようなモノなのだろう?と、不思議に思ったのだ。
もちろん、男性が彼女に内緒でダウンロードしたケースもあるだろう。
いくら相手の行動が気になるからと言って、逐一チェックをしたいモノだろうか?
たとえそれが、仕事が終わってからの行動であっても、チェックしたところで何かあるのだろうか?
「浮気をしているのでは?」とか、「事故に遭ったら大変」というコトなのだろうか?
おそらく、このアプリケーションそのものは、とても優れているモノだと思う。
例えば「認知症」などで、徘徊傾向のある患者さんに持たせるコトで、事故などを未然に防ぐコトができる。
子供向け携帯に搭載されている、「見守り機能」などと同じモノだ。
そしてその様なツールを子供や高齢者に持たせるのは、上述している通り「事故などを未然に防ぐ」または「早期に解決する」という目的がある。
だが今回の「カレログ」は、「未然に事故を防がなくてはならない」ような相手では無い。
「興味本位」の行動チェックだ。
いくら「彼(彼女)に夢中」で、「彼(彼女)のコトを夜も日も考えている」としても、そこまでチェックしなくては気が済まないのだろうか?
もちろん、個人の考えなので私がどうこう言うべきコトでは無い。
ただ、その気持ちというか心理が分からないのだ。
マーケティング的な見方をすれば、アプリケーションを提供する側の「(生活者への)想像力不足」で「市場を間違えた」と言うコトだろう。
ITによって、様々な「便利ツール」が登場してきたが、逆にそれらの「便利ツール」に振り回されているのでは?
便利な様でいて、自分自身を不自由にさせているのでは?
なんとなく、この騒動を見ていて「人が使うつもりが、アプリケーションに使われている」と感じるのだ。
「おもしろそう」と言う気軽さから、ダウンロードしたのかもしれないが、その「代償」は案外大きなモノになってしまったのでは?