日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

デザインも、法的に保護される必要があると思う

2017-12-14 20:44:17 | ビジネス

毎日新聞のWEBサイトに、ある商品についての記事が掲載されていた。
毎日新聞:人気カバン「アネロ」模造品に販売差し止め命令

記事に掲載されている写真を見て、「最近よく見かけるタイプのリュックだな~」と、思われた方は多いと思う。
実際、街中を歩いていると、若い人たちだけではなく案外シニア世代の方も、似たようなデザインのリュックを背負っている姿を見かける。
世代に関係なく人気となっている理由は、「大きく開く」からだろう。
リュックの難点は、開けた時ゴチャゴチャとカバンの中が見えにくい、という点がある。
がま口タイプのデザインなので、大きく開くだけではなく、カバンを開けた時クタッとならない為、カバンの中が見やすいのだ。
色使いも、リュックにありがちな黒などではなく、写真にあるようなバイカラーやパステルカラーなど、明るい色づかいのモノも多いのも人気の理由だろう。

一昨年あたりから、徐々に見かけるようになったような印象があるのだが、爆発的な人気となったのは昨年暮れあたりから今年の初めだろう。
何故なら、「アネロ」のネームタグが無い、同様のデザインのカバンを今年になってから、随分見かけるようになったからだ。

元々「アネロ」のカバンそのものが、高級カバンではなく手ごろな価格なので、似たようなデザインのカバンもほぼ同等の価格で販売されている。
いわゆる高級ブランド品のコピー商品のような、分かり易い「価格差」そのものがほとんどないことも、今回のような問題が起きやすかったのかもしれない。

ただ気になったのは、今回の問題は「アネロ」という商標の問題で「模造品」とされた、という点だ。
実際には、上述したように「アネロ」という商標を使わず、似たようなデザインのカバンは、街中に溢れている。
一見何の変哲もないようなカバンのデザインだが、「アネロ」のこのカバンが登場するまで、このようなデザインのカバンは、売られてはいなかった。
このカバンそのものには、デザイナーがいて、キチンとデザインがされたいるのだ。
とすれば、「アネロ」という商標を使っていない、似たようなデザインのカバンは、デザインを侵害していないのか?ということになる。

「たかがカバン」と言えばそれまでだが、「されどカバンデザイン」でもあるのだ。
「高級ブランドのカバンではないから」というのではなく、様々なモノには「0からデザインを起こす人(=デザイナー)がいて、その人が一生懸命に考えたモノである」という、評価などをすることも重要なのではないだろうか?
評価というよりも、デザインそのものの法的な保護ということも、時には考える必要があるような気がする。


販売の基本は、対面だと思う

2017-12-12 20:56:27 | ビジネス

昨日のYahoo!トピックスに、トリンプの苦戦が取り上げられていた。
元となった記事は、東洋経済の記事だ。
東洋経済:「天使のブラ」トリンプが苦境にあえぐワケ

若い女性を購買の中心として捉えた路面店「AMO'S STYLE」が、次々と閉店しているのは、街中を歩いていても実感することだ。
記事にある通り、「AMO'S STYLE」の閉店は、トリンプの苦境となる一因かもしれない。
ただ、この記事を読んで違和感を感じない訳ではない。

というのも、トリンプそのものが若者路線の下着が売り上げの中心だったのだろうか?という、気がしたからだ。
元々、トリンプはやや高級感のあるブラジャーが販売の中心だったような気がしている。
拙ブログにこられる男性諸氏にとって、ブラジャーという下着のつくりは良く分からないと思うのだが、実はブラジャーという下着は、様々なパーツが縫い合わされて形づけられている。
何故なら、女性の乳房はとても柔らかく、胸の皮膚で乳房そのものが支えられているため、その乳房の形に合わせた小さな布片を縫い合わせて、立体にしている。
そのうえに、綺麗なレースなどが縫い合わされていくのだから、その工程の多さなどを考えれば、価格は高いモノになっていく。
実際、安いブラジャーというのは、縫い合わされるパーツが少なく、それだけ手間を省いている為、乳房がブラジャーのカップに上手く収まらない。
もちろん、最近では3D成型で作られるブラジャーも、少なくない。
その先駆けとなった?のは、ユニクロだろう。

記事にある「AMO'S STYLE」は、若者向けの商品ということもあり、トリンプの戦略として若者層を取り込みたい、ということだったのだと思う。
若者向け「AMO'S STYLE」だったのはわかるのだが、そもそも日本のブラジャーの販売の仕方が、余りにもおざなりすぎるような気がしてならない。

上述したように、ブラジャーという下着は、小さな布片を組み合わせて乳房の形をつくり、乳房を包み込むようになっている。
ところが、年齢に関係なくこの「乳房を包み込む」着け方をしている女性が、案外少ないようなのだ。
温泉などに出かけると、湯上りの脱衣所で下着をつける女性を見ることになる。
そして多くの女性が、間違ったブラジャーの着け方をしているのだ。
ブラジャーのことをかつて「乳バンド」と呼んでいた時代と、その意識は変わっていないかの様だ。

私が初めてブラジャーを買いに母に連れられ、下着専門店に行ったとき、お店の方は丁寧に「ブラジャーの着け方」を教えてくれた。
そのような経験が無いまま、適当にブラジャーを選び、着けている女性が多いのでは?という気がしたのだ。
まして、トリンプの「AMO'S STYLE」は、若い女性を購買層として展開をしていた。
確かに「カワイイブラ」は、手に取りやすい。
その時、お店でキチンとサイズを測り、正しいブラジャーの着け方をレクチャーすれば、今とは違う状況になっていたのでは無いだろうか?

本当に自分に合った買い物をする、買い物そのものの楽しさや商品知識を持ってもらう、ということを考えた時、やはり「対面販売」は基本なのでは?
その提案の有無が、それから先「買い物思考」にも影響を与えるのではないだろうか?


「有休消化」と言ってもね・・・

2017-12-11 20:09:22 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに、日本人の有休消化が、世界で最低である、というニュースがpickupされている。
ITMedia News:日本人の有休消化率、世界最低 エクスペディア調査

この調査結果を知っても、「そうだろうな~」という程度にしか、思っていない。
「年間の平均有休支給日が20日あり、平均10日間しか消化できていない」という現実は、私が会社員だったころから少しも変わっていないだろう。
何故なら「有休そのものを取得するのは、遊び以外で取得するもの」という、認識が日本の社会全体にあると、感じているからだ。

私が新社会人だった、30年以上前。
入社後半年経過したので「有休を取りたい」と、上司に申し出た時「遊びで、取得など認められない」と、言われたことがあった。
結局、取得できたか・できなかったかは覚えがないのだが、その時上司に言われた言葉だけは、印象深く残っている。
その後転職をしたのだが、転職先の企業が「女の子(「女子社員」という認識ではなく「女の子」という認識)は、好きに休んで!」という、雰囲気があったので「自己都合」として休むことができた。
それでも、堂々と休みが取れるようになったのは、前々年度の有休があり、消化できなくなってからだったような気がする。
しかも、お盆やお正月休みで「帰省の切符が取れないので・・・」という、なんとなく周囲が「仕方ないね」と納得してもらえるような理由を付けて有休を取得していたような気がする。

記事にあるように、「病気休暇」という制度もないため、風邪などの病気で休み時ぐらいしか有休を使う時はないし、日本の企業文化として「遊びで有休を使うな!」という暗黙の了解(あるいはプレッシャー)が、あるのではないだろうか?
元々勤勉な日本人だからこそ、「お金をもらって、仕事を休む」ということに、抵抗感があるのだと思う。

それだけではなく、「ご近所の目」という気にしなくても良い「世間の視線」も気にしている、ということはないだろうか?
平日の昼間「本来出勤してるはずなのに、休んでいる」という姿を、ご近居の噂好きな人に見られると、「どうしたのかしら?」と要らぬ詮索をされるような雰囲気があるのでは?
「どうしたのかしら?」程度で済めばよいが、それが年間20日もあると「大丈夫なのかしら?」と、ますます要らぬ心配話にまで発展するという、思い込みもあるような気がする。
この「大丈夫なのかしら?」の中には、「会社が大丈夫」と「リストラにでもあったの?」という、二つの意味がある。
そんなに他人のことが気になる人がいるのか?と、思われるかもしれないが、会社を辞めてしばらく自宅にいた頃、ご近所の方から、「お仕事してるの?」と聞かれた経験がある。
親しいというほどの関係ではなかったのだが、案外、人のことを見ているのだな~と、実感した出来事だった。

そう考えると、日本では「仕事を病気や介護でもないのに、休む」ということ自体、なかなか難しいのではないだろうか?
いくら「働き方改革」と国が旗を振ったところで、このような日本独特の社会観が変わらない限り、難しいような気がする。


トランプ氏の「エルサレム首都移転宣言」は、スポンサーの意向に沿っただけ?!

2017-12-08 18:52:44 | アラカルト

昨日報道された、米国大統領であるトランプ氏が、エルサレムへ大使館を移転させ、首都宣言をしたことは、欧米だけではなく、アジアでも非難の的となっている。
このニュースを聞いた方の多くは、「まさか?!」という気持ちだったのではないだろうか?
ご存じの通り「エルサレム」という都市は、行政都市でもなけらば金融都市でもない。
3つの宗教の「聖地」となっている都市だからだ。

3つの宗教については、説明するまでもないと思う。
「キリスト教・ユダヤ教・イスラム教」だ。
そしてこの「エルサレム」を巡っては、ユダヤ教とイスラム教を信仰する民族によって、紛争の種になっている場所でもある。
だからこそ、歴代の米国大統領はエルサレムに大使館を置くことなく、首都としても宣言をしなかったのだ。
「アンタッチャブル」とされている問題に、トランプ氏は手を付けたということになる。

しかし何故、トランプ氏がこのような暴挙に出たのだろうか?という、疑問があった。
その疑問が解けたのは、今朝のFM番組でのことだった。
政治圧力団体「AIPAC」による政治献金などが、背景にあるという話だった。
Wikipedia:アメリカ・イスラエル公共問題委員会・AIPAC
アメリカで有名な政治圧力団体と言えば、「全米ライフル協会」が有名だが、実は「全米ライフル協会」よりも潤沢な資金を持ち、共和党・民主党といった政治団体に関係なくまんべんなく政治資金を提供しているのが、この「AIPAC」だという。
そのため、歴代の大統領は選挙戦中には「エルサレムに大使館に移す」という公約をしていた、というのだ。
アメリカ大統領の公約そのものを知る機会がほとんどない為、まさか!という気がしたのだが、オバマ大統領以外のパパ・ブッシュ氏から現在のトランプ氏に至るまで、公約として掲げてきたという。
ただ、現実問題として「エルサレムに大使館を移し、首都と宣言すること」は、国際政治だけではなく経済という点でも、アメリカの国益にはならないと判断したため、実現化しなかっただけというのが、本当のところらしい。

それだけではない。
トランプ氏の愛娘・イヴァンカさんの夫であるジャレット・クシュナー氏が、このAIPACの有力者というのだ。
クシュナー氏がユダヤ教徒であるというのは、トランプ氏が大統領になった時から話題になっていた。
クシュナー氏と結婚したイヴァンカさんも、ユダヤ教に改宗した記憶している。
クシュナー氏は、トランプ政権の重要ポストにおさまっている。

そう考えると、トランプ氏は「政治資金を提供してくれたスポンサーであるAPIACの、意向にそっただけではなく、身内である娘婿の願いも聞く為」に、「エルサレムに大使館を移し、首都宣言」をした、と考えることができる。
国際社会からどう思われようとも、アメリカの国益が大きく損なわれるだけではなく、全米各地がテロの標的となる可能性があることよりも、スポンサーと身内の願いのほうが優先されるべきことであった、ということになるのではないだろうか?

トランプ氏の政治家としての資質など、最初から欧州諸国のトップたちは期待していなかったと思う。
ただ、「イスラエルとパレスチナ」という紛争地域の寝た子を起こさないで欲しい・・・という気持ちはあったのではないだろうか?
だからこそ、一斉に非難をしているのだ。
残念なことに、その本意をトランプ氏は理解していないような、気がしている。


NHKの受信料、今の時代にあったものなの?

2017-12-06 18:44:01 | 徒然

ご存じの通り、今日最高裁で「NHK受信契約」についての判決があった。
朝日新聞:NHK受信契約、テレビあれば「義務」最高裁が初判断

NHKの受信料の徴収の仕方について、常々疑問に思うところがあった。
理由は「テレビ受信機が設置していれば、受信契約がされているとみなされ、受信料を支払う必要がある」という、趣旨の「放送法」に疑問があったからだ。

今回の最高裁での判断の基になったのは、この「放送法」なのだが、「放送法」そのものができた時と今とでは、「テレビ」を取り巻く環境が全く違う。
「放送法」ができた当時は、テレビそのものを持っている家庭は少なく、民放も放送時間が極端に短かった頃だ。
今のように、民放局がほぼ1日中テレビ放映をしている時代の話ではない。
それどころか、先日元SMAPのメンバー稲垣さん、草彅さん、香取さんがabeamTVで「72時間ホンネテレビ」という番組が登場し、ネットテレビの持つ「双方向番組の魅力」と旧来のテレビ番組の違いを知らしめた(というと大げさな気がするが)ばかりだ。
民放各社が一つになってTverという「見逃し放送」を、ネットで配信しているのもネット視聴者を取り込みたい、という考えがあるからだろう。
旧来のテレビ局そのものが、ネットテレビという新し媒体とどう向き合う必要があるのか?ということが、問われている、というのが今だと思う。
そのような大きな社会変化の中で、1950年代にできた「放送法」という法律だけを基に、この問題を考えても意味がないような気がするのだ。

確かに「放送法」の基では、今回の判断は正しかったのかもしれない。
しかし、上述したように「今」という時代に、そぐわないのが「放送法」でもある。
まず、そこから考え直す必要があるはずだ。
ところが、この「放送法」に関しては、憲法改正に意欲を見せる安倍さんをはじめ、政治家の皆さんは誰も手を付けようとはしない。
もちろん、NHKの予算が国会で審議対象となっているという点も含めて、考える必要があると思う。
何故なら、国会という国の機関で予算が認められるNHKが、報道の中立性が守られているのか?という、疑問が出てもおかしくはないからだ。

E-テレの「バリバラ」のような、社会の問題を掘り起こすような番組は、NHKならではだと思う。
反面NHKじゃなくても製作できるのでは?と、思われる番組が無いわけではない。
NHK側からすれば「みなさまのNHK」なので、「幅広くみなさまのご希望にそえる番組制作を心掛けている」ということになるのかもしれないし、「民放のようにスポンサーがいないので、視聴率などを考えずに質の高い番組制作ができる」という話なのかもしれない。
本当に、そうだろうか?
朝日新聞:NHK、無縁でなくなった視聴率競争「低いと肩身が」

と同時に考える必要があると思うのは、NHKが行っている「オンデマンド」の料金や、NHKエンタープライズなどのNHK子会社が発売をしている、過去に放送された番組のDVDなどの販売だ。
番組そのものは、受信料で製作されているのだから「オンデマンド」やDVD化された放送の販売は、2次使用になるのでは?
NHKの子会社からNHKへ著作権などが支払われているのだと思うのだが、受信料を払いながら「オンデマンド契約」をしている人やDVDを購入する人からすれば、二重取りされているようなところがあるようにも思える。
もちろん、「オンデマンド放送」にかかる設備投資やDVD化するための費用は掛かると思うのだが、それらの価格は適正なのだろうか?という疑問だ。
そう考えると、今現在のNHKの受信料は適正価格なのだろうか?

インターネットという新しいメディア媒体の登場で、現在・過去の映像が自由に楽しめる時代になってきた。
「放送法」ができた時代とは、まったく違う時代になっていることをNHK自身が考える必要があると思う。


時代の変化に合わせると、違って見える

2017-12-05 21:25:14 | アラカルト

AERA STYLE MAGAZINEのWEBサイトに、掲載されているバッグに目が留まった。
AERA STYLE MAGAZINE:モンブラン タトゥー プロジェクト2017

タイトルにタトゥーとあるように、皮革にタトゥーを彫り込んだバッグのようだ。
いわゆる人の体に入れるタトゥーとは違い、随分アーティスティックな雰囲気を持つバッグに仕上がっている。
そしてこのようなデザインのバッグなら、着物を着た時などに持ってみたい、という気がした。
もっとも、着物そのものを着る機会がほとんどないので、実際に買って持つということは無さそうだが、それにしても随分と印象が違うものだ。

ご存じのように、日本の社会では「タトゥー」に対して、余り良い印象が持たれていない。
実際、しばらく前に友人とランチを食べに出かけた洒落たカフェのオーナーさんが、余りにも見事なタトゥーを入れていて、ギョッとしたことがあった。
帰り際、友人と「せっかくオシャレでおいしいカフェなのに、オーナーさんが・・・」という話になり、「次回は無いね」ということになった。

タトゥーを入れる・入れないは、あくまでも個人の問題だが、人が集まる温泉やプールなどでは入場規制の対象となっているのは、ご存じの通りだ。
タトゥーを入れている本人がいくら社会的問題が無い人物であっても、周囲が良しとしていない、というのが現状だろう。
日本では、罪人を示す為に入れ墨がされてきた、という歴史的背景もあるからだ。

その一方で、日本の彫り物師が描き出す刺青の中には、芸術性のあるモノもない訳ではない。
何より、日本の彫り物師の技術はとても高い、という話を聞いたことがある。
何より、今現在日本では入れ墨などができるのは、医師に限られている。
毎日新聞:入れ墨判決 彫り物師「医師免許を求められれば仕事出来ず」

一般的な外科医が、彫り物師を目指すとは思えないが、法律上は医師以外は彫り物師ができないことになっている。
すなわち、街中で見かけるタトゥーを施術するお店の彫り物師は、無免許で施術をしている、ということになる。
もし、街中にあるタトゥーを施術する彫り物師が、人の体ではなく皮革に施すのであれば、問題はないのでは?
バッグなどに加工するのだから、当然それなりのデザイン力やセンスといったものが、必要になる。
逆に、街中で見かける安っぽい(と言っては失礼だが)タトゥーのお店は、淘汰され本当に技量のある彫り物師だけが、残っているような気がするのだ。
それは、日本の文化の中で生まれ・育ってきた「入れ墨の技術と芸術性」を維持することにもつながるのでは?
むしろ、文化としての「入れ墨」ということを考えれば、人の体にこだわるのではなく社会に認められるようなあり方を模索する必要があると思う。

それにしても、モンブランも思い切ったプロジェクトを展開しているものだ。
これまでのタトゥーのイメージを一新するには、十分すぎるプロジェクトであり、彫り物師を「クラフトマンシップ」という視点でアプローチをしている点も面白いと思う。

 


受験生がかわいそう

2017-12-04 20:14:03 | 徒然

今日、2020年に始まる「大学共通テスト」の試行調査(プレテスト)が、実施されたようだ。
日経新聞:大学共通テスト試行、問題2割増 情報処理力必要に

大学入試の試験内容が大きく変わる、というのは受験生にとってとても不安の大きなものだと思う。
その不安や問題点を明らかにするのが、今回の試行調査なのだと思うのだが、テスト内容を見ると受験生がかわいそうな気がしている。

例えば、日本史Bの高度成長に関する内容などは、高校の授業で教えている内容なのだろうか?と、疑問に感じた。
というのも時代は違うとはいえ、日本史の中で現代史を教える時間が、どれほどあるのだろうか?という気がしたからだ。
今現在の高校の授業がどのような時間配分で、現代史を扱っているのかは知らないが、おそらく多くの時間を割いて現代史を教えているとは思えないからだ。
何故なら、今現在日本史を教えている先生が高校生の頃、現代史をシッカリ学んでいないと思うからだ。

同様に、古典の「源氏物語」を違う解釈の違う表現の文を3種類読み比べる、という内容も高校の授業で取り上げている内容なのだろうか?と、疑問に思ったのだ。
「源氏物語」の出題内容だと、原文の「源氏物語」を読みこなしたうえで、複数の現代訳を読んでいないと難しいのではないだろうか?
実際、現代訳の「源氏物語」は複数の作家で出ているが、それぞれの作家の特徴というか個性があり、そのどれもが魅力的な文となっている。
それを読みこなすだけの時間が、高校生たちにあるのだろうか?

そもそも、2020年実施予定の試験に合わせた学習内容の授業を、今回のプレテストを受験した高校生たちは授業として受けているのだろうか?
もし、試験内容に沿った学習内容の授業を受けていないのだとすれば、今回のプレテストを実施する意味はあるのだろうか?

今回のプレテストを受験した高校生たちは、「脱ゆとり世代」だと思う。
「脱ゆとり世代」と言っても、歴史の授業の多くは「年号の暗記」を中心とした学力テストが中心で、その時代に起きた複数の出来事を関連付けた授業にはなっていないのでは?
古典の授業にしても、文法や言葉の決まり決まった解釈を基に教えているのでは?
「いとおかし=とてもかなしい」というように。

2020年に向けての試行調査だとしても、今回のプレテストに沿った授業を受けてきていない高校生たちにとっては、ハードルが高すぎたのではないだろうか?
大学受験の方式が変わるたびに、右往左往する受験生の姿を見ると、共通一次一期世代としては、かわいそうな気がするのだ。


人間もパンダもノビノビが良いな~

2017-12-02 21:44:53 | 徒然

Yahoo!のトピックスに、可愛らしい写真がピックアップされていた。
Yahoo!トピックス:おめでとう3歳、白浜の双子のパンダ(紀伊民報)

このところ、上野動物園のシャンシャンがもうすぐ一般公開になると、話題になっている。
一方、南紀白浜の「アドベンチャーワールド」の双子のパンダは、生まれた時から全国ニュースにはならず、温かな南紀白浜でのんびり、スクスクと育っていた。

聞いた話だが、パンダの双子というのは珍しいそうだ。
元々双子で生まれたとしても、母パンダは双子を育てることをせず、どちらか一方しか育てないらしい。
そのため、双子で生まれ、母親の下でスクスクと育つ、ということ自体珍しく話題になるような出来事のようだ。
ところが南紀白浜の母パンダは、双子の子育ても上手で、今の母パンダの前のお母さんパンダも双子を育てた経験がある。
子育て上手な母パンダが、「アドベンチャーワールド」には2代続けて子育てをしている、ということになる。

一方、上野動物園のシャンシャンは、生まれた時から飼育員さんと監視カメラで24時間観察をされ、何事にもすぐに対応できる体制を整え、育てている。
南紀白浜の「アドベンチャーワールド」とは、随分違う体制で飼育されている。

なんとなくだが、南紀白浜の「アドベンチャーワールド」の、のんびり子育てのほうが、パンダ飼育には向いているような気がする。
のんびりと好きな時にゴロンと寝そべってみたり、遊んでみたり・・・パンダのそのような姿そのものに、こちらも癒される。

昨日から師走になり、なんとなく街がざわついているような気がする。
こんな時だからこそ、「アドベンチャーワールド」のパンダのように、ノビノビのんびり過ごす時間を大切にしたい。