日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

何とも皮肉なシアーズの倒産

2018-10-15 20:23:47 | ビジネス

アメリカの大手小売企業「シアーズ」が、破産法申請をした。
日経新聞:米小売り大手シアーズ、破産法申請 事業継続を探る

米国でも小売り大手であるシアーズだが、日本では「カタログ通販で事業拡大をした小売」として、経営などの授業で紹介されてきたのではないだろうか?
私が学生だった頃、米国という東海岸から西海岸までを網羅する小売り業の一つの在り方として、「シアーズ」が始めた「カタログ販売」が百貨店などの代わりをした、と教わった記憶がある。
「シアーズ」が登場する前の米国の小売りスタイルの一つが、アーサーミラーの「セールスマンの死(作品の内容とは関係ない)」で紹介されるのような、セールスマンが全米各地で売り歩く、という販売スタイルが一般的だった。
そのような販売スタイルから、カタログという百貨店の売り場で扱う商品を1冊の本にまとめ、全米の家庭に置かれるような販売を定着させたのが「シアーズ」だったのだ。
その後、ニューヨークなどの大都市に百貨店として店舗を持ち、全米展開をしてきた。
この「シアーズ」の他にも、「メイシーズ」や「JCペニー」など、百貨店でありながら積極的に「カタログ通販」をしてきたのが、米国の小売りスタイルの一つだったともいえる。

なぜ米国で「カタログ通販」が、一般的であったのか?と言えば、やはり広大な面積を持つ国だからだ。
ニューヨークのような大都市では、百貨店として売り場を持つことができても、全米各地に百貨店としての店舗を持つことはできない。
そのような地方であっても、店舗と同じように商品を売るためには、分厚いカタログで商品を紹介し、購入に結びつける通販という方法は、欠かせなかった。
「シアーズ」は、「メイシーズ」や「JCペニー」とは違い「カタログ通販」を中心に展開をし、その後百貨店の店舗を持つようになったのだった。

しかし、考え方を変えると「シアーズ」があったからこそ、Amazonのような「ネット販売」が急速に伸びたのかもしれない。
なぜなら、「カタログ通販」という消費文化は既に根付いており、生活の一部として「通販」は利用されてきたからだ。
それが「カタログ」という紙から、インターネットという新しいツールに代えたのがAmazonだからだ。
もちろん、Amazonが展開している「注文からお届けまでの日数の短縮」などの「通販の付加価値」を付けたことも大きいと思うのだが、それだけではAmazonが急成長することはできなかったのでは?と、考えている。

「カタログ通販」から小売業を始めた「シアーズ」が、Amazonのような「ネット通販」の台頭によって、倒産を余儀なくされる・・・なんとも皮肉な気がする。


レジ袋とマイクロプラスチックごみ

2018-10-12 21:38:35 | 徒然

今朝、ラジオを聞いていたら「レジ袋の有料化を義務付ける」というニュースがあった。
東洋経済on-line:「レジ袋の有料化」を環境省が義務づける方針

既に大手スーパーだけではなく、ローカルスーパーなどもレジ袋の有料化が進んでいる。
コンビニでも「レジ袋が不要な方は、申し出てください」というPOPが、レジ近くに表示されたりしている。
もちろん、強制ではないのでレジ袋に買った商品を入れてもらう、ということは多いとは思うのだが、有料化を義務付けるということに対して、「問題はレジ袋?」という、疑問もある。

スーパーのレジ袋の有料化が始まった頃は、「石油資源の確保とCO2の削減」ということが、盛んに言われていたような気がする。
オシャレなエコバッグなどが次々と登場したことで、今やスーパーの買い物で「マイバッグ」を持参していない人はいないのでは?と、感じられるほど、普及をした。
完全に「エコバッグ、マイバッグのみ」になったとは言えないが、買い物に行く時マイバッグ持参は、当たり前のようになっている。
確かに、コンビニやドラッグストアーなどでは、レジ袋の無料提供がされてはいるが、それでも随分少なくなってきたのでは?という、気がしている。

そのような状況の中で「なぜ今頃、レジの有料化義務付け」なのか?という、疑問がわいてくるのだ。
考えられるのは、今年になってからクローズアップされてきた「マイクロプラスチックごみ」という気がしている。
その場合、環境問題ではあるが「海洋汚染」という、これまでのCO2削減とは違う問題ということになる。

「海洋汚染」の原因の一つとなっているのは、上述した通り「マイクロプラスチックごみ」で、今や日本近海は「マイクロプラスチックごみ」のホットスポットになってしまっているようだ。
Huffpost:“海を殺す”マイクロプラスチック汚染、日本周辺は「ホットスポット」にも
今では「マイクロプラスチック」よりも小さい「マイクロビーズ」が、この問題に加わってきているようだ。

そう考えると、レジ袋の問題なのだろうか?という気がしてくるのだ。
確かに「レジ袋のポイ捨て」が、巡り巡って海洋汚染につながっていく、ということはわかるのだが、それよりも違うプラスチック製品の問題に注目する必要があるような気がするのだ。
例えば、「マイクロビーズ」と呼ばれるものは、歯磨きや洗顔剤の「スクラブ」として使われている。
米国では、下水流出した「コンタクトレンズ」が、環境汚染につながっている、という指摘もされている。
朝日新聞:コンタクトレンズが下水流出、環境汚染 米大チーム推計

自然に還らないプラスチックをいかに使わないようにするのか?ということも重要だが、いかに回収をするのか?ということも重要だということになる。
「レジ袋の有料化の義務付け」はその第一歩だと思うのだが、レジ袋よりも違うプラスチック製品にもっと注目したほうが、施策としてインパクトがあるような気がするのだ。



過敏な社会は、豊かな社会なのか?

2018-10-10 11:54:07 | ライフスタイル

News Weekの日本版に、「訴訟社会らしい米国だな~」という記事が掲載されていた。
News Week日本:トランプ時代のアメリカでは、炭酸飲料の香料まで訴訟の標的に

このような米国で起きる食品をめぐる訴訟については、「え!それって違うんじゃない???」と思うような内容まである。
有名なところでは、マクドナルド・コーヒー事件だろう(ウィキペディア参照)
「持ち帰りのコーヒーの温度が高かっために、やけどをした」ということが、争点になった事件だ。
この時日本では、「そんなコトで、訴訟になるのか?」ということでも話題になったが、「やけどをしたのは、自分の過失だったのでは?」という、指摘もされた。

今回問題となっている炭酸飲料水の香料だが、元々自然界にある香を基に、科学的につくられたもののようだ。
科学的につくられた香だから問題になったのか?と言えば、そうではなく、その香料がゴキブリなどの殺虫剤にも使われている、というのが問題になっているようだ。
「ゴキブリ駆除の殺虫剤に使われる香料=人体に影響を及ぼす」という発想そのものに、驚かされるのだがここまでではないにしても、案外似たようなことは起きているのでは?という、気がしたのだ。
なぜなら「人類VSゴキブリ」の対決は、科学が発展する前からの戦いで、当然だがゴキブリが嫌う香料や食材を置くなどして駆除をしてきた歴史があるからだ。(身近なところでは「ゴキブリ団子(あるいは「ホウ酸団子」)だろうか?)

様々な製品を購入するとき、パッケージの裏側に記載されている「成分表示」をどれだけチェックしているのだろうか?
「食品添加物が入っている製品は、極力排除したい」という方は、案外多いかもしれない。
確かに「オーガニック」とか「無添加」と言う言葉が表示してあると、なんとなく安心する。
大豆製品などで「遺伝子組換えでない」と表示されているものと、無いものでは、「遺伝子組換えでない」と表示されている方を買ってしまう・・・そんな方は、多いと思うし、私自身そのような商品を選ぶ傾向があるのは事実だ。
では、その食品添加物の何が問題なのか?という点まで、理解をしている人はどれだけいらっしゃるのだろう?
逆に食品添加物の問題を、拡大解釈をして化粧品などへの添加に対しても過剰に反応している、ということはないだろうか?

というのも随分前に、ある美容オイルの商品レビューに「食品添加してはいけない成分が、入っている」という感想が、ネットの口コミサイトにあったからだ。
美容オイルの使用には、「口に入れてはいけない」という文言があり、間違って口に入れてしまった場合の処置も明記されている。
にもかかわらず「食品添加をしていない成分が入っているので、商品として問題である」という指摘は、どこか理解が違っているのでは?という、気がしたのだ。
なぜなら、使用目的が全く違うからだ。
紹介をした炭酸飲料水の香料にしても「人にとっては心地よい香りが、ゴキブリが嫌う香りであった」ということなだけで、その理解をする前に過剰な反応をしている、としか思えないのだ。

「添加物=悪」というイメージを持っている人は、少なからずいらっしゃる。
それは添加物だけではなく、私たちが生活をしている自然環境の中でも様々な菌やバクテリアがいて、徹底的に除菌をしないと安心できないという方もいる。
しかし、そのような生活は、豊かな生活と言えるのだろうか?
正しい情報を持たず、ある部分だけにフォーカスして排除をする社会というのは、息苦しいだけの社会なのではないだろうか?




発想には、柔軟性が重要

2018-10-09 19:14:31 | アラカルト

旅行のガイドブックを発刊している企業のサイトには、「WEBガイドブック」がある。
紙のガイドブックの場合、当然「観光地の様々な情報」が掲載されているが、WEBガイドブックはやや違う切り口でまとめられたコンテンツがある。
例えば、「美味しいパン屋さん」という特集などだ。
その中でも、昭文社の「ことりっぷ」のサイトは、面白いな~と感じている。
公式:ことりっぷ・週末に行く小さな贅沢。私だけの旅
なかなか旅に出かけられない人でも、なんとなく旅に出かけた気分になるようなサイトだ。

そのことりっぷを見ていたら「こんな発想で、コーヒーを出す専門店があったのか?!」と、少し驚いた記事があった。
ことりっぷ:その数50種類以上!カクテルのようにコーヒーが楽しめる専門店、名古屋・天白「寄鷺館(きりょうかん)」

旅の話からはズレるが、スターバックスが日本に上陸して以来日本では様々な「コーヒーブーム」が起きてきた。
スターバックスやタリーズのような「カフェ」スタイルに始まり、最近では「ブルーボトルコーヒー」のような、コーヒーの味にこだわるチェーン店などが、話題をつくり人気になってきた。
それ以外にも、名古屋発の「喫茶店文化が生んだ・コメダ珈琲店」なども、今は人気になっている。
そのような「コーヒーブーム」とは別に、昔ながらの「コーヒー専門店」や「喫茶店」には、古くからの常連客が通っている。
その一つとして紹介されていたのが「寄鷺館」だった。

この「寄鷺館」のこだわり(?)は、おそらく「美味しいコーヒーの香りを存分に楽しむ」ということなのでは?という気がしたのだ。
それが、アイスコーヒーを提供するグラスに表れているのでは?と、感じたのだ。

ここ2,3年前から、「日本酒をワイングラス」で提供する和食店が、増えているという。
ワイングラスで日本酒を提供する理由は、「日本酒の香を楽しみながら飲むことができる」からだ(と聞いたことがある)。
同様に、コーヒーにおけるブランデーグラスもまた、同じような効果が期待できるのか?と、想像したのだ。

「ブランデーグラスには、ブランデーだけしか入れてはいけない」という決まりはない。
とすれば、アイスコーヒーを入れても問題はない。
むしろ、コーヒーの香りを最後まで楽しめるのだとしたら、コーヒー愛飲家とすれば嬉しい発見かもしれない。
「お客様に喜んでもらえる、美味しいコーヒーの提供」ということを考えた先にある柔軟な発想は、これから重要になってくるような気がしている。


患者に求められる「医療情報リテラシー」

2018-10-08 20:16:15 | 徒然

京大の本庶佑教授が、ノーベル賞受賞の報から約1週間。
ノーベル賞受賞の対象となった「PD-1」という分子の発見が、「免疫チェックポイント阻害剤」への研究・開発につながり、現在では臨床の現場でも使われている、という内容の記事などは新聞だけではなくテレビなどのメディアでも大々的に報じられた。

そして「やはり!」という感じで、「免疫」を謳う治療が一種の魔法のような言葉をして、使われ始めている。
このことに一番危惧をされていたのは、本庶先生ご自身だったようで、メディアなどが盛んに「免疫療法」という言葉のがんの治療法を取り上げるようになると、すぐに警告をされている。
朝日新聞:本庶さん、根拠ない免疫療法に苦言「金もうけ非人道的」

「免疫療法」と呼ばれるがんの治療法は、随分前から言われてきた治療法だ。
一番有名なのは「丸山ワクチン」だろうか?
「丸山ワクチン」そのものは、効果があった人・全く効果が無かった人がいて、がんの治療法として認められることは無かった。
「科学的根拠」となるモノが、まったくなかったからだ。
以来、「体に優しく・副作用もない治療」として、度々「免疫療法」と謳う治療法が民間療法としてではなく、一部の診療所などで行われてきた。そしてそれは今でも続いている。

とはいうものの、抗がん剤で苦しむのは嫌だ!と感じている患者さんや患者家族が数多くいらっしゃるのも事実だ。
場合によっては「使える抗がん剤は、ありません」と担当医から言われ、絶望の淵にいる方にとっては、新しい治療法と聞けば「藁にもすがる思い」だろう。
他にも「抗がん剤は毒だから、絶対に抗がん剤治療は受けたくない」という患者さんにとっても、エビデンス(化学的根拠)が無い治療法だと分かっていても、「免疫療法」を選ぶという場合もあるだろう。
インターネット上には「免疫療法」を謳う医療サイト(の広告)が、数多くある。
そのような状況の中で、患者自身は「自分にとって最善の治療」を、選択しなくてはならないのだ。

先日亡くなられた樹木希林さんは、「抗がん剤治療」を行わず「(特殊な)放射線治療」を受けていた。
標準治療(=最適で効果が高く、保険適用の治療)ではないが、乳がんの治療の中には「放射線治療」はある。
骨などに転移をしている場合、転移した骨に放射線を照射する、という治療も標準治療として行われている。
その意味では、樹木さんが受けていた治療は、標準治療から大きく離れた治療ではなく、「がんをコントロールする」という意味では、それなりの効果が期待できる方法だったのだ。
あくまでも想像だが、樹木さんには的確なアドバイスをされる医療者がいて、樹木さんご自身も「がんの治療」について、相当勉強をされていたのではないだろうか?

今回、本庶先生がノーベル賞の受賞対象となった「免疫チェックポイント阻害剤」であっても、決して魔法の治療薬ではない。
抗がん剤とは違う副作用もあり、対象となる患者さん全ての命が救えるわけでもない、というのが現実なのだ。
以前のように「先生にお任せ治療」では、患者自身が納得できる治療を受けることができない、というのが今の「がん治療」でもあるのだ。
「都合の良い甘い言葉や文句に騙されない」ことが、一番大切なのかもしれない。




「流行」に乗れなくても大丈夫!?

2018-10-06 11:57:35 | トレンド

「マーケティング」の中でも、市場調査はとても重要だ。
市場の動向を分析することで、今の生活者の意識や行動がある程度分かるからだ。
その反面、生活者の多くは企業やメディアが発信する「トレンド(流行)」に、振り回されている部分がある、と感じている。
特に、ファッションの世界では「トレンド(流行)」はとても重要で、「トレンドに乗り遅れる」という不安感を生活者に与えることで、ビジネスが成り立っている部分が無いわけではない。

実際のところ、自分以外の人は「トレンド」に対してどのように思っているのだろう?という、不安がある生活者も多いと思う。
そんなデータがあった。
Huffpost:7割の人は、流行に「ついていけない」。調査で見えた“独自路線派”の主張とは?

まず「7割」という数字を見て、「あぁぁ~自分と同じタイプの人が7割もいるんだ~」と、安心される方も多いのではないだろうか?!
「流行」については、興味・関心があってもその「波に乗れていない」ということで、なんとなく不安に感じている人達にとっては、とても安心ができる数字だと思う。

問題は、その7割の「流行についていけない人たちの考え」だ。
回答は「流行についていけない」と感じているのに、その実「流行についていく必要はない」と感じている人たちが、意外に多いのだ。
「流行についていく必要が無い」と感じている人たちは、「流行についていく」ということ自体を、やや上から目線で見ており、質問である「流行についていけない(情けない?)」という実感を持っていない。
むしろ積極的に「流行を拒絶」している感すらある。

「流行についていけない」という気持ちの中には、「流行についていかなくてはいけない」という気持ちがあり、それがファッションの流行などであればさほど問題はないが、「空気が読めない」ということでれば「仲間外れ」ということにもなりかねない。
今の社会のように「同調」が求められる中では、とても生きづらさを感じることにもつながる問題でもある。
「流行についていけない」と感じ、なんとなく「流行についていこうとしている」人達の多くは、ファッションやメディアやネットが創り出している「流行」に反応をしているのではなく、「社会が求めている“同調”」についていけないということを、重視しているのではないだろうか?

そのような「社会の“同調”」を求められ、自分がついていけないと感じたら「それで(何)?!」と、訊いてみたらどうだろう?
流行についていけないことは、悪いことではないし、流行についていけない自分を否定する必要もないと思う。
なぜなら、市場が注目すべき人達は「流行についていけない7割」の人たちの姿だからだ。






マーケティングの功罪なのかな?「計画運休・計画休業」に怒る人達

2018-10-04 20:34:56 | 徒然

先週末、日本を襲った台風24号。
今週末も再び、台風が日本を襲う予測がされている。

台風21号あたりから、鉄道会社の「計画運休」などが知られるようになり、24号では鉄道会社だけではなく、USJなどの娯楽施設、百貨店などが次々と「休業案内」を告知していた。
このような情報は、テレビなどのメディアだけではなく、Yahoo!などのインターネットのポータルサイトなどでも盛んに伝えられたので、さほど大きな混乱が無かったように思っていたのだが、どうやらこの「計画運休・計画休業」などの情報を得ていない人たちが、案外いらっしゃったようだ。

このことについて、日経新聞の「COMEMO」に大阪ガス・エネルギー文化研究所の池永さんは、「問題と課題」という視点でコラムを書いていらっしゃる。
日経新聞 COMEMO:しゃーないやんか台風やから。自分のことは自分でせなあかん。

このタイトルを見た時は「そうだよね。台風などの自然災害は、企業を責めたところで問題は解決しないよね」と、素直に感じた。
そして読み進めていくうちに「自助→共助→公助」という社会文化があったはずの日本が、「公助→共助→自助」へと変わってきている、という指摘をされている。
この「公助→共助→自助」という順番になってしまったのは、もしかしたらマーケティングの功罪なのでは?という、気がしたのだ。

日本の企業は、「お客様の意向」というものに対して、とても敏感だと思う。
一つは「お客様は神様」という考えが強い、ということもあるだろうし「お客様へ不便をかけることは、企業としての信頼を失うモノ・コト」と、事細かく対応することに慣れてしまっているという部分もあるだろう。
そのために、「お客様の意向」ということを、多く取り入れてきたような気がする。
結果、日本の様々なサービスは、他の国とは比べようもないほどの「お客様主義」が徹底した。

最近ではその「お客様主義」が過剰になり「モンスター化した消費者」を創り出しているのでは?という、指摘もされるようになってきている。
その「モンスター化した消費者」と言っても、その実態は様々で「とにかく自分の要求を通す為に恫喝なども辞さないモンスター」から「企業の為を思っている」というサービス向上を装い自分の要求を通そうとするモンスターまでいる。
結果、日本のサービス業に携わる人たちの多くが「心を病んでしまう」という、負のスパイラルを生んでいるとすら、言われるようになってきている。

マーケティングの基本的な考えや発想の基は「お客様の問題解決」なのだが、日本の場合、変に先回りしすぎているのかもしれない。
その結果「本質的問題解決」ではない、異様な気遣いを生み出しているとすれば、それは「日本型マーケティングの功罪」ともいえるような気がする。


「オッサン政治」は、安倍内閣ではない?!

2018-10-03 20:10:18 | 徒然

昨日、自民党の総裁選後の新しい内閣が発足した。
新しく任命された大臣の顔ぶれを見て「なるほどな~」という、気も起きない。
政治そのものが、遠い所にあるような感じしか持てないのだ。
ただ、女性の大臣が一人しかいない、ということに対して「オッサン政治」という声があるのも確かだ。

朝日新聞:女性閣僚たった1人、嘆く識者「オッサン政治の復権」

確かに組閣が行われるたびに、女性閣僚の人数が減っているような気はするのだが、「この人で大丈夫?」という、女性閣僚が多かったことも確かのような気がするのだ。
自民党という政党そのものが「オッサン政党」だとすると、当然その政党に所属している議員さんの思考は「オッサン思考」ということになるだろうし、自民党の中に「オッサン思考」ではない女性議員がどれほどいるのか?という疑問を持つのだ。

これまで閣僚に任命されてきた女性議員さんたちの多くは、「お飾り」という印象でしかなく、実力という点では「どうなの???」という、人材登用がされてきたという気がしている。
逆に言えば「女性を閣僚として登用すれば『女性が活躍している』と思ってもらえる」という程度にしか、考えていない扱われ方だったのでは?ということなのだ。

もちろん国会議員として活躍されている女性の中には、「お飾り」ではない議員さんたちもいらっしゃるとは思うのだが、そのような議員さんが自民党にどれほどいるのか?という点でも疑問なのだ。
それは野党についても、いえることかもしれない。

それよりも、もしかしたら地方のほうが「オッサン政治度」は高いのではないだろうか?という、気がするニュースがあった。

Huffpost:のど飴で退席を命じた熊本市議会。海外メディアが批判「融通が利かない社会

退席を命じられた女性市議は、1年前乳児を連れてきて退席を求められた女性議員だ。
「議場に乳児を連れてくるとはけしからん!」ということで、退席を命じられたのだと思うのだが、この時の問題は「議員であっても育児と仕事の両立」という問題を提議したのでは?と思っている。
任期が決まっている議員であれば、任期中の妊娠・出産は考慮すべきという考えもあるだろうし、そこまで考える必要があるのか?という、考えもあるだろう。
ただ、彼女の行動が他の男性議員さんたちからは「おもしろくない!」という印象を与えてしまったのは、確かだろう。

だからこそ「のど飴」で、騒ぎとなったのではないだろうか?
のどの調子が悪く、のど飴を議場でなめることは、問題はないと思う。
演壇に立つとき、飴は出した方が良かったのでは?という気はするのだが、それでも何時間も揉めるような問題ではないように思うのだ。
彼女を退席させるのであれば、議場で夢の世界に行っていらっしゃる議員さんは、どうなのか?ということにもなる。
海外メディアが報じている「融通」というよりも、マナーの問題としていかがなもの?ということであって、延々と揉めて退席を求めるようなことではない。揉めるだけの時間が無駄だと思う。

このような「(自分たちにとっては、異分子となる人が何かしたら)鬼の首を取った」ように騒ぐことが、「オッサン政治」なのではないだろうか?
もちろん、このような傾向は国会の場でもあるとは思うのだが、度量の狭い政治は日本の社会の閉塞化を象徴しているような気がする。


寄付ではなく、学術ファンドが必要かもしれない

2018-10-02 21:53:53 | 徒然

昨日の本庶先生のノーベル医学生理学賞受賞のニュースは、災害続きだった日本にとって、久しぶりの明るい話題となったように思う。
がん患者さんだけではなく、日本全体にとって勇気を与えたような気がしている。
その本庶先生が、一夜明け「ノーベル賞で頂いたお金を基に、研究者を育成する為の基金を設立したい」と、コメントを出されている。
朝日新聞:本庶さん「未来への投資」京大に若手支援の基金設立へ

本庶先生のご意思というのは、大変すばらしいと思う。
今世紀に入り、日本のノーベル賞受賞者はグンと増えている。
それは、高度成長期に潤沢とは言えなかったかもしれないが、今よりも基礎研究を含む自然科学分野への研究体制が、整っていたのでは?という指摘がされている。
ノーベル賞受賞者の経歴を見て見ると、実は大学だけではなく企業での研究をした後、再び大学で研究を進めたという方が、多いことに気づく。
青色LEDの赤崎先生は、現パナソニックで研究を始めその後名大で成果を出しているし、同じ青色LEDで受賞をされた中村先生は、会社員時代に青色LEDの量産という研究で成果を出されている。
そう考えると、企業の支援が無くては研究がおぼつかないのでは?という、気がしてくるのだ。
そして今のような大学での研究環境では、30年後にはノーベル賞受賞者が日本から出なくなるのでは?という、懸念すらされている。
それを本庶先生は、懸念され危機感を持って「基金設立」ということを、考えられたのでは?と思ってしまう。


今年のお正月に、「iPS細胞の山中先生を応援する」という講談社の広告が新聞に掲載された。
PRTimes:2018年の元旦広告サイトを公開 株式会社講談社
講談社の「がんばれ山中先生!」というエールの中には、京大のiPS細胞の研究の為に寄付をお願いする、という一文も確か含まれていたように記憶している。
ノーベル賞を受賞した山中先生もまた、iPS細胞の研究継続の為に寄付をお願いする、というのが今の現状である、ということを訴えた内容だともいえる広告だったのだ。

このような自然科学を含む基礎研究には、膨大な費用が必要となる。
だからと言って、その研究がノーベル賞やノーベル賞に準じるような研究成果に結びつく、という確約はない。
日本人の思考として、大学の研究だからこそ「寄付で賄う」という発想になるのかもしれないが、「自然科学などの学術ファンド」のようなもので基金を集め、運用をするという考えも必要になってきているのでは?

日本では、大学などの「アカデミア」はお金を儲けてはいけない、と考える傾向がある。
「国の助成金」では、柔軟な資金の使い方ができないだろうし、大学の研究内容を精査できる官僚がどれだけいるのか?
確かに企業ではないので「利益」を求めることは、問題かもしれない。
しかし「研究を継続させるための人材育成、設備投資」は、タダではない。
その資金を調達する為には、「寄付」だけではなく、他の方法も必要な時期に来ているような気がする。







がん治療薬の流れを変えた、本庶先生の研究ーノーベル医学生理学賞受賞ー

2018-10-01 18:55:41 | アラカルト

ノーベル賞の今年の受賞者の発表が、始まった。
「ノーベル・ウィーク」の始まりが、医学生理学賞の受賞者の発表になる。
そして、今年の受賞者は京都大学の本庶佑教授ともう一人の方になった。
朝日新聞:ノーベル医学生理学賞に本庶佑・京都大学特別教授

この受賞の報をきいて喜んでいるのは、本庶先生および京都大学関係者ばかりではないだろう。
本庶先生の研究を基に開発をされた、がんの治療薬「オプジーボ」を投与されている多くの患者さんたちにとっても、嬉しいニュースなのでは?と、思っている(もちろん、「オプジーボ」を研究・開発をした小野薬品工業の関係者も、喜ばれていることだろう)。

「オプジーボ」というがんの治療薬で話題になったのは、「1年間の治療費が家1軒分」という高額な治療費だった。
確かに、保険適用とはなってはいたが最初の薬価は、3500万円だったと記憶している。
そのような高額な治療薬を保険適用にすると、国の保険制度そのものが危うくなる、という指摘もされた。
その後、薬価は1/10程度にまで下がったはずだが、高額な治療薬であることには変わりない。
薬価が下がった理由は、治療適用される範囲が広がったからだ。

なぜそれほど、薬価が高かったのか?と言えば、一つは適用される範囲が日本では患者数が少なかった、皮膚がんの一種「悪性黒色腫」だったからだ。
それから、日本でも患者数の多い「非小細胞肺がん」にまで適用が広がったことで、一気に薬価が下がったのだった。
そして、今後適用されるがん種が増えると言われている(そうすれば、薬価はもっと下がるはずだ)。

しかし、それが本庶先生がノーベル賞の受賞対象となったのではないと思う。
本庶先生が「PD-1」という分子が、がんの増殖を抑える免疫を阻害している、ということを発見したからだ。
この「がんの増殖を抑える免疫を阻害している分子の発見」が、その後のがん治療薬の研究に大きな影響を与えた。
おそらく今のがん治療薬の研究・開発の主流となっているのは「免疫」に関連するモノだと、言われている。
実際、がんの治験情報サイトなどには「免疫チェックポイント阻害剤」のニュースが、数多く更新されている。
これまでの「抗がん剤」とは、発想もがんに対する考え方も大きく変え、がん治療薬の流れを変えた、と言っても過言ではないと思う。

もちろんこれまでも「分子標的薬」という、がんの増殖を促す分子を標的とした「がん治療薬」はあった。
重篤な副作用で裁判になった「イレッサ」だ。今では「イレッサ」の次世代・3世代と呼ばれる新薬まで登場している。
これまでの「がんの増殖を止める」のではなく、「がんの増殖をやめさせる免疫」に注目した、というのが大きな違いだと理解している。
それだけではなく「がんゲノム医療」への道を切り開いた、一つのエポックメイキングのような研究だからだと思っている。

今やがんの治療は「ゲノム(=遺伝子情報)」を活用した、個別治療へと向かいつつある。
今回、米国の情報会社などが最有力候補者として名前が挙がりながら、受賞を逃してしまった(?)同じく京大の金久実教授は、そのゲノムベース開発者だ。
気が早いのは重々承知だが、来年のノーベル賞への期待をしたい。