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杉野「横山神社」と「火伏の銀杏」~滋賀県長浜市杉野~

2021-09-17 06:18:18 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 長浜市高月町から高時川沿いに北上すると山麓に「石道寺」「鶏足寺」などの寺院があり、己高山仏教圏の中心といえる地域があります。
この周辺には「仏像」「巨樹」「野鳥」「野神」を目的に何度も訪れた場所ですが、川合集落辺りより北は国道303号線で岐阜県の坂内方面への通過で通ったのみの地でした。
今回は滋賀県最奥の集落「金居原」からの帰り道に「杉野」「杉本」の集落を散策してみました。



杉野は「横山岳(標高1132m)」の麓にある集落で、「経の滝」「五銚子の滝」という滝があるというのですが、滝まで登山口から1.5時間かかるということで、ハードルが高い。
少し集落内をうろうろした後、国道の南側にある「横山神社」に参拝してみます。



一之鳥居の前に立つ石標には「本宮 横山神社」とあり、推古天皇元年(593年)に横山岳の「五銚子の滝」上にある杉の巨樹に祭神天降りせられたりと伝えられているという。
後に「経の滝」の上に社殿を奉遷し、公文所、地頭職屋敷、名主屋敷、神宮寺等が有ったと伝へられているそうです。

1439年になると神主小野、姓は横山御左衛門、本殿をはじめ其の他の社殿祭神を1社に合祀し現在の地、小字宮内に遷したといわれています。
由緒からすると「横山岳」は社殿や神宮寺が建てられた信仰の山だったといえ、横山岳は己高山と谷で分かれている山ですから己高山仏教圏を構成する霊山の一つだったのでしょう。



杉野の「横山神社」は本宮と社名が付いていますが、高月町横山にも「横山神社」があり、957年に時の神主であった横山将艦が高月町の横山の地に勧請し、本地馬頭観音像を遷座したと伝えられています。
神社は両方とも御祭神に大山祇命を祀る神社ですが、横山の地に勧請した際に「本地馬頭観音像」を遷座したと伝えられています。

高月町横山の方の横山神社で馬頭観音を拝観したことがありますが、像高100cm、平安時代後期の作とされる三面八臂の像です。
湖北の馬頭観音は山麓の寺院に多く、田園地帯の寺院にはほとんど見られませんが、一般的に馬の守り神とされる馬頭観音と山麓とはどういう信仰があったのか?なぜ横山大明神の本地仏の馬頭観音が勧請されたのか?


(高月町横山「横山神社の馬頭観音像」)

「横山神社」の境内に入ると落ち着きがないほど空間が広く感じます。
どうやら境内や山側にあった大きな樹は根元から伐ってしまったようなのが広く感じる原因なんだと思いますが、切り株を見るとかなり幹の太いスギもあったようです。



拝殿の横、本堂へ通じる道の横にもスギがあったようですが、根元から1m足らずのところで伐られています。
由緒にある“横山岳の上にある杉の大樹に祭神天降”からすると、巨樹が依り代となるのですが、神社に御神木をお祀りするというよりも横山岳を神の依り代とすると解釈した方が良いようです。



山の斜面には境内社の3つの祠があり、それぞれ二之宮・三之宮・四之宮とされています。
二之宮(旧社号山王社)三之宮(旧社号蛭子社)は、“横山神社が現今の社地に遷座ありし際、倶に遷座された”とされ、四之宮は杉野の3つの地区それぞれで祀っていた祭神を合併遷座したという。



さて、杉野の集落は横山岳の麓ということもあり、集落の目立つところに“横山岳周辺観光案内図”があり、その中に「火伏の大イチョウ」があるのを見つけました。
大雑把な地図なので場所が分からず、地元の方に聞いてみると見える所まで案内して頂くことが出来ました。
案内して下さった方は“紅葉の時期に来たらすごく綺麗だよ”とおっしゃっておられましたが、イチョウの背が高いので集落のあちこちから眺めることが出来そうで、集落を見守っているような印象を受けます。



石標には“滋賀県指定自然記念物”と彫られてあり、周囲には3枚の案内板があります。
「火伏せのイチョウ」は今から約250~350年前に50数戸の民家を消失するという2回の大火事に見舞われたが、幸いにも白山神社・石道寺はこの木のおかげで大火の難を免れたと伝わるといいます。

そのため1枚の案内板にはこの樹の名称を「石道寺のイチョウ」と書かれていたが、石道寺のある石道集落まではかなり距離がありますので山火事だったとしても少し遠すぎるように思います。
別の案内板には“村はことごとく焼き尽くされたが、当寺(元龍寺)だけはイチョウのおかげで災難を免れた”と書かれてあり、こちらの方が受け入れやすい。



「火伏せのイチョウ」のサイズや樹齢については各案内板でバラバラで、幹周は4.4mと4.6m、樹高は20m・20m以上・50~60mとかなり違いがあります。
樹齢は200~300年・350年と違いがありますが、これは滋賀県・木之本町教育委員会・長浜市保存樹指定樹木標識の認識の違いということなのでしょう。



イチョウの印象は幹の太さに驚きは感じませんでしたが、とても背が高く、集落のシンボルツリーのような樹なんだと感じます。
上部の枝分かれした部分を見ると「乳イチョウ」が垂れ下がっています。樹齢の長いイチョウ独特の姿です。



このイチョウの樹の根元や周辺一帯には無数の数の銀杏(ギンナン)が落ちていて、あまりの数の多さに驚くとともに歩くたびに乾いたギンナンの皮が潰れる音がしていました。
地元の方はギンナンをあまり拾いに来られないのか、拾う数より遥かに落下するギンナンの数が多いのか?
樹の根元の周りには、これまた無数の数のイチョウの芽が生えだしているのもあまり見たことのない光景です。



杉野を通る道は、県境の金居原集落から杉野集落・杉本集落・川合集落へと続いているのですが、杉本集落の辺りまで来ると山麓の傾斜地に作られた段々になった棚田が広がるようになります。
杉野川に沿って南下していくと川の横に「弘法大師御腰掛石」と彫られた石標が建ち、横には石仏が祀られていました。



この腰掛石には“杉本の路の傍に弘法大師がかつて腰掛け、火難を封じ給うた腰掛石がある。それで、この石を虧取って燧石とする者多く、もう小さなものになってしまった。”との伝説があるようです。
弘法大師・空海にまつわる伝説はあちこちで目にしますし、腰掛石の伝説も目にすることが多い。
杉本の腰掛石は石仏の下にある石のことを指しているのかと推測します。



「弘法大師御腰掛石」の後方に杉野川に架かる石橋がありましたので橋の上から杉野川を眺めてみる。
下流へ行くと緩やかな流れとなる杉野川も、この辺りではなかなか激しい感じがして巨石の間を縫うように流れています。







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