湖東平野にある雪野山(龍王山)は、山系が細長く続いており、龍が臥せているような姿にも見える独立した山です。
標高は308mと低山ではありますが、山麓には「八幡社古墳群」、山頂には「雪野山古墳」がある古代の歴史豊かな山であると共に、龍王の住む神聖な山として崇められてきたといいます。
雪野山(龍王山)は、南北に4㌔・東西に1㌔と横に長く延びており、山中に小高いピークが8つあるといいます。
ハイキングコースは山の形状が細長いこともあって複数存在するようですが、今回は「八幡社古墳群」からスタートして「雪野山古墳」まで行くコースとしました。
駐車場に車を停めて獣除けの柵のある入口に向かうと、いきなり「八幡社古墳群」が見えてきます。
古墳は帰りに立ち寄ることにしましたが、雪野山には200基以上の古墳があるといい、八幡社古墳群には古墳時代後期の前方後円墳や円墳が17基あるとされる。
古墳群の広場を抜けるといきなり石段登りが始まる。
実はこの階段は稜線近くまで続いていて、山登りというよりも階段上りの様相を呈してきます。
いつまで石段が続くのだろうと思いながら登っていくと、道の両端に大きめの石が門のようにあり、石の上には積み石が置いてある。
頂上までのコースの道中に何ヶ所か積み石を見ましたが、供養のための積み石なのかもしれません。
石段を登った場所には石組の上にさらに石囲いがしてあり、左は「旧籠り堂跡地」、右は「旧八幡神社本殿跡地」の石標が建てられている。
ということは麓にあった八幡神社は里宮で、八幡神社の本宮はかつてこの場所にあったということになり、石段はその時代に神社へ参拝するために造られたもののようです。
八幡神社の境内跡には、石垣に根が巻き付くようにツガの巨樹が立っている。
このツガの樹は、幹周:285cm・樹高:24mで推定150年だといい、幹が途中から3本に分岐しています。
東近江市にはツガ自体が少なく、大径木となっているため、東近江市保護樹木に指定されているといいます。
ツガを特別にお祀りしていないようですが、かつて八幡神社の本殿があった頃は御神木だったのかもと思いますが、神社の歴史が分からないため、あくまで想像の世界です。
神社から先も階段が続くのですが、途中で巨石群に出会う。
雪野山では巨石が幾つか見られるとのことですので、その一つかと思います。
縦走していけば「大岩」や「馬の背」というルートがあるようですが、縦走してしまうと駐車場まで戻るのが大変なんですよね。
巨石群の横を歩いていくことになりますが、やっと山登りらしい道になってきた。
これだけの巨石が並んでいるので、八幡神社の磐座かとも思いましたが、そういう訳でもなさそうです。
巨石群を過ぎた辺りから階段は少なくなり、歩きやすい登山道へと変わる。
しばらく登ると開けた広場のような場所になり、そこが山頂でした。
広場の中央辺りには三角点もありました。
山頂からも景色は見えるものの、背が高く育った木の間から垣間見えるだけだったので、景色は少し下にある展望台の方がいいようです。
頂上から少し移動すると「雪野山古墳」の看板があり、ここに古墳があったことが書かれているが、墳丘は中世に山城に改編されたということでかつての姿が想像できない。
ただし古墳自体は1989年に未盗掘の状態で発見され、古墳時代前期の前方後円墳であることが判明して多くの副葬品が発見されたといいます。
展望台まで下ってくると蒲生野の田園地帯がよく見えます。
左から瓶割山、繖山、箕作山でしょうか。比良山系は視界が悪いので全く見えなかったのが残念。
下山して「八幡社古墳群」に立ち寄ると、幾つかの円墳が小山のように連なって残っています。
山頂部の「雪野山古墳」は古墳時代前期の4世紀前半の大きな古墳(全長70mの前方後円墳)でしたが、「八幡社古墳群」は古墳時代後期(6世紀中頃から7世紀初頭)の古墳とされています。
17基ある古墳のうち16基は円墳で、墳丘の直径は10~16mと小型化・群集化が進んだ時代のもののようです。
41号墳は石室が露出しているが、随分と形骸化している。
「八幡社古墳群」の中で唯一の前方後円墳には横穴式石室が3つあり、そのうち2つの石室は中へ入ることができる。
この46号古墳の全長は約24mといい、最初の石室が造られた後に残り2つの石室が造られていったとされることから、この地方における豪族の首長クラスの墓と考えられているようです。
最後に麓の八幡神社に参拝して、本日の無事のお礼詣りとしました。
雪野山の山中ではウグイスの鳴き声はあちこちから聞こえ、カラの仲間やホオジロの姿も見られて、にぎやかな春山を実感。
次に雪野山へ行く時は、違うコースから登ってみたくなります。
標高は308mと低山ではありますが、山麓には「八幡社古墳群」、山頂には「雪野山古墳」がある古代の歴史豊かな山であると共に、龍王の住む神聖な山として崇められてきたといいます。
雪野山(龍王山)は、南北に4㌔・東西に1㌔と横に長く延びており、山中に小高いピークが8つあるといいます。
ハイキングコースは山の形状が細長いこともあって複数存在するようですが、今回は「八幡社古墳群」からスタートして「雪野山古墳」まで行くコースとしました。
駐車場に車を停めて獣除けの柵のある入口に向かうと、いきなり「八幡社古墳群」が見えてきます。
古墳は帰りに立ち寄ることにしましたが、雪野山には200基以上の古墳があるといい、八幡社古墳群には古墳時代後期の前方後円墳や円墳が17基あるとされる。
古墳群の広場を抜けるといきなり石段登りが始まる。
実はこの階段は稜線近くまで続いていて、山登りというよりも階段上りの様相を呈してきます。
いつまで石段が続くのだろうと思いながら登っていくと、道の両端に大きめの石が門のようにあり、石の上には積み石が置いてある。
頂上までのコースの道中に何ヶ所か積み石を見ましたが、供養のための積み石なのかもしれません。
石段を登った場所には石組の上にさらに石囲いがしてあり、左は「旧籠り堂跡地」、右は「旧八幡神社本殿跡地」の石標が建てられている。
ということは麓にあった八幡神社は里宮で、八幡神社の本宮はかつてこの場所にあったということになり、石段はその時代に神社へ参拝するために造られたもののようです。
八幡神社の境内跡には、石垣に根が巻き付くようにツガの巨樹が立っている。
このツガの樹は、幹周:285cm・樹高:24mで推定150年だといい、幹が途中から3本に分岐しています。
東近江市にはツガ自体が少なく、大径木となっているため、東近江市保護樹木に指定されているといいます。
ツガを特別にお祀りしていないようですが、かつて八幡神社の本殿があった頃は御神木だったのかもと思いますが、神社の歴史が分からないため、あくまで想像の世界です。
神社から先も階段が続くのですが、途中で巨石群に出会う。
雪野山では巨石が幾つか見られるとのことですので、その一つかと思います。
縦走していけば「大岩」や「馬の背」というルートがあるようですが、縦走してしまうと駐車場まで戻るのが大変なんですよね。
巨石群の横を歩いていくことになりますが、やっと山登りらしい道になってきた。
これだけの巨石が並んでいるので、八幡神社の磐座かとも思いましたが、そういう訳でもなさそうです。
巨石群を過ぎた辺りから階段は少なくなり、歩きやすい登山道へと変わる。
しばらく登ると開けた広場のような場所になり、そこが山頂でした。
広場の中央辺りには三角点もありました。
山頂からも景色は見えるものの、背が高く育った木の間から垣間見えるだけだったので、景色は少し下にある展望台の方がいいようです。
頂上から少し移動すると「雪野山古墳」の看板があり、ここに古墳があったことが書かれているが、墳丘は中世に山城に改編されたということでかつての姿が想像できない。
ただし古墳自体は1989年に未盗掘の状態で発見され、古墳時代前期の前方後円墳であることが判明して多くの副葬品が発見されたといいます。
展望台まで下ってくると蒲生野の田園地帯がよく見えます。
左から瓶割山、繖山、箕作山でしょうか。比良山系は視界が悪いので全く見えなかったのが残念。
下山して「八幡社古墳群」に立ち寄ると、幾つかの円墳が小山のように連なって残っています。
山頂部の「雪野山古墳」は古墳時代前期の4世紀前半の大きな古墳(全長70mの前方後円墳)でしたが、「八幡社古墳群」は古墳時代後期(6世紀中頃から7世紀初頭)の古墳とされています。
17基ある古墳のうち16基は円墳で、墳丘の直径は10~16mと小型化・群集化が進んだ時代のもののようです。
41号墳は石室が露出しているが、随分と形骸化している。
「八幡社古墳群」の中で唯一の前方後円墳には横穴式石室が3つあり、そのうち2つの石室は中へ入ることができる。
この46号古墳の全長は約24mといい、最初の石室が造られた後に残り2つの石室が造られていったとされることから、この地方における豪族の首長クラスの墓と考えられているようです。
最後に麓の八幡神社に参拝して、本日の無事のお礼詣りとしました。
雪野山の山中ではウグイスの鳴き声はあちこちから聞こえ、カラの仲間やホオジロの姿も見られて、にぎやかな春山を実感。
次に雪野山へ行く時は、違うコースから登ってみたくなります。
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