一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

船戸陽子女流二段への懺悔

2009-07-01 00:50:46 | 女流棋士
今日のエントリは、できればあまり読んでほしくない。それなら書かなければいいのだが、書く。

本日7月1日は、船戸陽子女流二段が、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に正式移籍した日である。
私が船戸女流二段の美貌に衝撃を受けたのは、公式発表では昨年の天童「人間将棋」の場、とされている。
しかし実際は少し違うのだ。その前年(2007年)に、東京・パレスサイドビルで第1期マイナビ女子オープンの一斉予選が行われ、予選を通過した8名、つまり本戦出場者が「週刊将棋」に掲載されたカラー写真を見たときだった。
背の高いモデルのような女性が左端に写っていて、それが船戸女流二段だった。それまで船戸女流二段の容貌はぼんやりと浮かぶ程度だったが、全身が写った姿を拝見して、女流棋士の中にこんなスタイルのいい美人がいるとは思わず、目が釘付けになったものだった。
私自身背が高いほうなので、女性に対しても、背が高い人に好印象を持つ傾向がある。それも彼女がより魅力的に見えた一因であろう。
しかし…私は船戸女流二段が憎くてしょうがなかった。少なくともこの時点では。
「3連勝で予選を通過できたなんて、信じられません」
という謙虚なコメントも、私には白々しかった。

この約2ヶ月前、日本将棋連盟・女流棋士会から17人の女流棋士が退会し、日本女子プロ将棋協会(LPSA)に独立・移籍していた。それまでは、女流棋士の大半がこの新団体に独立すると思われていたのに、巷の噂では徐々に数が減っていき、半信半疑のなか、日本将棋連盟から移籍者「17」という数字が発表されたときは、激しい落胆を覚えたものだった。
しかし冷静に考えれば、「17」もけっこうな数字である。私はリスクを顧みず、荒波の中を出奔した彼女らを、無条件で応援することにした。
いっぽう残留した女流棋士の大半は、将棋ファンに対して、貝のようにダンマリを決め込んだ。仮にも一時は待遇改善を叫んで、独立賛成に1票を投じたのではないのか。そんな彼女らの態度の豹変が、私には許せなかった。
だがそんな中でただひとり、自分のブログで、女流棋士会とLPSAの両方の情報を発信していたのが、船戸女流二段だった。女流タイトル戦の就位式などでは両団体の写真を分け隔てなく掲載し、両者が良好な関係である、と懸命にアピールしているようだった。
しかし彼女のそんな努力も、私には白々しく思えた。新団体が当初掲げた「女流棋士全員で独立」という目論見が脆くもくずれ数字の上では惨敗したのだ。船戸女流二段の文章や写真が、女流棋士会からの同情に思えたのだ。ほかの棋士同様、ダンマリをキメこんでほしかった。
しかし実際は、彼女も両者の板挟みで、つらかったと思う。だがその心情が垣間見えるからこそ、なおさら私は反抗的になった。それならLPSAに移籍すればいいではないか。それをしない船戸女流二段に、私は八つ当たり気味に、憎悪の念を抱いた。もっと苦しめばいいのだ、と思った。
もっともそう考えたのは、私だけではなかったかもしれない。私はそれまで女流棋界の事情に疎かったが、独立賛成派ファンの間では、船戸女流二段を独立棋士17人の中にカウントしていたフシがあった。
案の定、船戸女流二段は、独立賛成派のファンから厳しいコメントを浴びた。しかしそれも船戸女流二段に人気があるからだ、とのちに分かった。彼女への残留批判は、その裏返しだったのだ。
そのころ私は、船戸女流二段の将棋ブログに、実名でコメントを寄せている。
「女流棋士会に残った船戸先生の判断は正しい」。
いままでの記述と反するが、これもまた、私の偽らざる本心だった。
一度しかない人生、自分の生き方を自分で決められないなんて、こんなさびしいことはない。少なくとも船戸女流二段は、明確な意思をもって、女流棋士会に残留した。それはそれで尊重されるべきだと思ったからだ。
しかし、ファンの風当たりは相変わらず厳しかった。女流棋士会所属棋士への不満をぶつけるには、船戸女流二段のブログが格好の標的だったのだ。
私は表面上、中立を装っていたが、エントリのコメント欄が炎上し、私が書いたコメントもろとも、エントリ自体が削除されたこともあった。
それから倉敷事件が起こり、天童でナマの船戸女流二段を拝見し、ついに昨年の6月25日、船戸女流二段の電撃移籍を知ることになった。
しかし船戸女流二段はその後、体調を崩し入院した。彼女をそこまで追い詰めたのは皮肉なことに、LPSA移籍を熱望していた、私たちファンだった。私は自分の狭量を恥じた。
それから自分にできることは、船戸女流二段を応援することしかなかった。といっても、彼女はもう将棋ブログを閉鎖していた。応援するにしても、その手段がないのである。
そこで私は「将棋ペンクラブ」に、彼女の移籍を主題にした文章を書いた。
文中では、船戸女流二段がLPSAに移籍するのかどうか、未定のまま終わっている。実は原稿執筆時には、彼女の移籍は公表されていた。読者を欺くつもりはなかったが、このとき掲載された拙稿は、私が船戸女流二段の移籍をまだ知らない、6月上旬時点の心情に沿って書いた。
またタイトルに「船戸陽子女流二段の決心」と、彼女のフルネームを載せたのは、最初で最後になるであろう、女流棋士会からLPSAへの移籍を果たした女性の氏名を、将棋ペンクラブの歴史とともに、永遠に遺したかったからである。
そして私はある掲示板に、あらためて
「LPSAに移籍した船戸先生の判断は正しい」
と書いたのだった。
現在女流棋士を取りまく環境は厳しい。多彩な才能をもつ船戸女流二段が、これからどの道を進むか、それは誰にも分からない。でも女流棋士として将棋を指し続けてくれるなら、私は彼女を静かに応援していこうと思う。それしか贖罪の術がないのだから。
コメント (9)
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