一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

金曜サロン・船戸陽子女流二段⑤特別編

2009-07-18 13:00:05 | LPSA金曜サロン
17日のLPSA金曜サロン、昼は大庭美樹女流初段、夕方は船戸陽子女流二段の担当だった。
今回は船戸女流二段の話を先に書く。船戸女流二段が昨年7月1日LPSAに移籍し、最初に金曜サロンに参上したのが、同月25日夕方だった。
あの日はサロンのドアを開けたら船戸女流二段がいらして、私はたいへん驚き、感激至極だった。当日は大庭美樹女流初段の担当だったが、なにかの都合で、船戸女流二段に変更となったらしい。
LPSAのホームページを開き、「教室・サロン」→「金曜サロン」をクリックし、最下段の「続きを読む」をクリックすると、船戸女流二段の画像が2点貼られているページが現れる。これがその日の指導対局風景である。
あれからほぼ1年が経った。長いような短いような1年だったと思う。その間船戸女流二段はマンデー・レッスンの講師、金曜サロンの指導女流棋士として、精力的に活動をしてきた。
私は以前「将棋ペンクラブ会報」で、「私がここまで金曜サロンに通い続けることができたのは、手合い係となった植山悦行七段によるところが大きい」とを書いた。もちろんそれにウソはないが、植山七段の熱血指導にも慣れがくる。
そんなころに船戸女流二段の移籍があり、金曜サロンの指導女流棋士メンバーに、大きな活が入ったのだ。だから昨年の夏以降は、船戸女流二段との、月に1度の指導対局を楽しみに通い続けた、というのが本当である。毎週ではなく「月に1度」という頻度、距離感が絶妙なのである。
話は戻るが、数多ある船戸女流二段の写真の中で、先述した金曜サロンの、2枚掲げられている上段のカットが、私はいちばん好きだ。金曜サロンが続く限り、あの写真はトップで固定してほしいと思う。
さてこの日は訪れる会員も少なく、それはそれでゆったりとした時間を満喫した。船戸女流二段とちょっぴり雑談する時間もあり、沖縄・八重山諸島や扇子の揮毫の話をした。そのとき、私は自分でも赤面するくらい大胆な発言をポソッとしたのだが、それに対して船戸女流二段の切り返しが見事だった。
山口恵梨子女流1級を前にするとしどろもどろになってしまうのに、どうして船戸女流二段の前だとあんな言葉が口をついてしまうのか。船戸女流二段がサッパリした性格なので、それに甘えて好き勝手なことを口走ってしまうのだろう。
ただ付け加えれば、船戸女流二段は、ガラスのような、繊細な神経の持ち主でもある。その二面性が、彼女の魅力ともいえる。
私は思わせぶりな書き方が得意ではないので、このときの会話を全部書いてもいいのだが、その大元に関する部分が、LPSAのホームページに「公式に」発表されていないので、書くのを躊躇している。
まあホントに他愛もない会話だったので、機会ができたら、あらためて書きたい。
というわけで、この日は自分なりにこの1年を振り返って、船戸女流二段との指導対局は、ひとりで勝手に感傷的になっていた。局後、
「25日の対局(マイナビ)は頑張ってください」
と激励すると、船戸女流二段は
「20日(のマンデーカップ)は頑張ります」
と言った。優勝賞金500万円につながる公式戦よりも、ファン有志が協賛金を出し、裏方を務める公認棋戦のほうに、力点が置かれていたのだ。こんなところが船戸女流二段らしい。もちろん船戸女流二段には、両日とも自分らしい将棋でいい結果を出してほしいと、私は心から願っている。
コメント (6)
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