先日のエントリに、瞠目するコメントがあった。
6月12日の金曜サロン・夕方の部で中倉宏美女流二段と私との会話が、一部違っていたというのである。
ここで、そのときの状況を記した6月16日のエントリの一部を再掲してみよう。
夜も8時を回って、指導対局に入る。
「夜の中倉先生は珍しいですよね」
「あ、そうですね…」
「夜の中倉…あ、夜のナカクラヒロミ…い、いい響きですよねぇ」
なんだか分からないが、興奮してしまう。すると中倉女流二段も、
「いやっ…あっ…そうですね…」
と、困惑したように小声でもらす。
この、「いやっ…」以降のセリフが、KK氏によると、
「はあ、あやしい感じですね」
だったというのだ。
なるほど言われてみれば、そうだったかもしれない。こういう類の書き込みは、読者に誤った情報を与えてはいけないが、といって会話の一語一句を正確に記しているわけではない。
たとえば先日の「ピンクの洋服」の件で、藤田麻衣子女流1級が「ピンクの服を着たのは偶然なわけないじゃない」と言っているが、船戸陽子女流二段がそうした言葉を発した記憶はないので、じゃあ藤田女流1級がそんなことを言ったんだろう、と推測し、そう書いたのである。だからこれを「創作じゃないか」と取られると返す言葉がないのだが、とにかくあの日の大盤解説は、そんな感じだったのである。
しかし今回の中倉女流二段は、その発する言葉によって、微妙に意味を異にする。
「夜のナカクラヒロミって、いい響きですよねぇ」
「あっ、そうですね」
と言えば、これは相手の言葉を聞き流しているようにも取れる。
しかしこれが
「はあ、妖しい感じですね」
となれば、私の発言に対して、中倉女流二段が明確に自分の意見を述べていることになる。
つまり「夜のナカクラヒロミ」が、「自分でもその言葉はちょっと妖しい感じがして、私はこの表現がきらいではない」と言っているようにも取れるのだ。
これは月とスッポン、たいへんな違いと言わねばならない。
試しに同じ言葉を、船戸陽子女流二段に言ってみよう。
「夜のフナトヨーコって、いい響きですよね」
「はあ、妖しい感じですね」
いかがだろうか。あまり妖しい感じがしないのではなかろうか。船戸女流二段はもとから夕方(夜)の担当だし、言動もサッパリしている。マンデーレッスンなどでも多くの将棋ファンと接しており、オッサンのセクハラまがいの問いかけにも、軽くあしらう術を心得ている雰囲気があるのだ。
しかし中倉女流二段にはその雰囲気がない。古風な日本女性を絵に描いたような、おしとやかなイメージがあるのだ。だから発する言葉にも、ウェット感がある。その彼女が
「はあ、妖しい感じですね」
と言ったとしたならば、これは特筆大書すべきせねばならない。
では6月12日の会話は、実際のところ、どうだったのだろうか。
私のほうも中倉女流二段に必死の思いで話しかけたので、返事を正確に覚えている自信はない。
さりとて、本日3日の金曜サロンに中倉女流二段がお越しにはなるが、「あのとき何と言いました?」などと訊けるわけがない。「Positive De Go!」に質問するなど、言語道断である。第一私は、その日は宮古島にいるのだ。中倉女流二段がサロンを担当している午後2時から6時までは、私は吉野海岸でシュノーケリングを楽しみ、色とりどりの珊瑚を愛で、熱帯魚とたわむれ、1日数本しか走らないローカルバスに乗って旧平良市に戻り、宮古島を訪れたら必ず寄る喫茶店で、珈琲とケーキのセットを食しているのだ。
ということはいまここで、あの日の正確な会話を決定しなければならないのだ。しかしここでひとつ引っ掛かる事柄がある。
「夜のナカクラヒロミ…」に対して、「いやっ…」と述べた中倉女流二段の一言だ。あれを私は確かに聞いた気がするのだ。一体どこで…あっ! 私が指導対局の差し掛けを申し出たとき、中倉女流二段は、「いやっ、あっ、(そんなに遠慮なさらくても)指しますよ」と言った気がする。あのときの「いやっ」と混同したのではないか。
しかしこの「いやっ」を一連の会話から葬ってしまうのはいかにも惜しい。
そこでこの「いやっ」は「ナカクラヒロミ」発言の中にあったと確定させてしまおう。
というわけで、あの日の中倉宏美女流二段と私の正確な会話は、以下のように決定する。
「夜の中倉先生は珍しいですよね」
「あっ…そうですね…」
「夜の中倉…あ、夜のナカクラヒロミ…い、いい響きですよねぇ」
「いやっ…はぁ…妖しい感じですね…」
いかがであろうか。
…って、3日は朝7時30分の飛行機に乗らなければいけないのに、私は夜中の2時過ぎまで、こんなバカバカしいことを書いていていいのだろうか。それよりなにより、全国の中倉宏美ファンから、非難の嵐を浴びないだろうか。
次にこのブログを見るのが怖い…。
6月12日の金曜サロン・夕方の部で中倉宏美女流二段と私との会話が、一部違っていたというのである。
ここで、そのときの状況を記した6月16日のエントリの一部を再掲してみよう。
夜も8時を回って、指導対局に入る。
「夜の中倉先生は珍しいですよね」
「あ、そうですね…」
「夜の中倉…あ、夜のナカクラヒロミ…い、いい響きですよねぇ」
なんだか分からないが、興奮してしまう。すると中倉女流二段も、
「いやっ…あっ…そうですね…」
と、困惑したように小声でもらす。
この、「いやっ…」以降のセリフが、KK氏によると、
「はあ、あやしい感じですね」
だったというのだ。
なるほど言われてみれば、そうだったかもしれない。こういう類の書き込みは、読者に誤った情報を与えてはいけないが、といって会話の一語一句を正確に記しているわけではない。
たとえば先日の「ピンクの洋服」の件で、藤田麻衣子女流1級が「ピンクの服を着たのは偶然なわけないじゃない」と言っているが、船戸陽子女流二段がそうした言葉を発した記憶はないので、じゃあ藤田女流1級がそんなことを言ったんだろう、と推測し、そう書いたのである。だからこれを「創作じゃないか」と取られると返す言葉がないのだが、とにかくあの日の大盤解説は、そんな感じだったのである。
しかし今回の中倉女流二段は、その発する言葉によって、微妙に意味を異にする。
「夜のナカクラヒロミって、いい響きですよねぇ」
「あっ、そうですね」
と言えば、これは相手の言葉を聞き流しているようにも取れる。
しかしこれが
「はあ、妖しい感じですね」
となれば、私の発言に対して、中倉女流二段が明確に自分の意見を述べていることになる。
つまり「夜のナカクラヒロミ」が、「自分でもその言葉はちょっと妖しい感じがして、私はこの表現がきらいではない」と言っているようにも取れるのだ。
これは月とスッポン、たいへんな違いと言わねばならない。
試しに同じ言葉を、船戸陽子女流二段に言ってみよう。
「夜のフナトヨーコって、いい響きですよね」
「はあ、妖しい感じですね」
いかがだろうか。あまり妖しい感じがしないのではなかろうか。船戸女流二段はもとから夕方(夜)の担当だし、言動もサッパリしている。マンデーレッスンなどでも多くの将棋ファンと接しており、オッサンのセクハラまがいの問いかけにも、軽くあしらう術を心得ている雰囲気があるのだ。
しかし中倉女流二段にはその雰囲気がない。古風な日本女性を絵に描いたような、おしとやかなイメージがあるのだ。だから発する言葉にも、ウェット感がある。その彼女が
「はあ、妖しい感じですね」
と言ったとしたならば、これは特筆大書すべきせねばならない。
では6月12日の会話は、実際のところ、どうだったのだろうか。
私のほうも中倉女流二段に必死の思いで話しかけたので、返事を正確に覚えている自信はない。
さりとて、本日3日の金曜サロンに中倉女流二段がお越しにはなるが、「あのとき何と言いました?」などと訊けるわけがない。「Positive De Go!」に質問するなど、言語道断である。第一私は、その日は宮古島にいるのだ。中倉女流二段がサロンを担当している午後2時から6時までは、私は吉野海岸でシュノーケリングを楽しみ、色とりどりの珊瑚を愛で、熱帯魚とたわむれ、1日数本しか走らないローカルバスに乗って旧平良市に戻り、宮古島を訪れたら必ず寄る喫茶店で、珈琲とケーキのセットを食しているのだ。
ということはいまここで、あの日の正確な会話を決定しなければならないのだ。しかしここでひとつ引っ掛かる事柄がある。
「夜のナカクラヒロミ…」に対して、「いやっ…」と述べた中倉女流二段の一言だ。あれを私は確かに聞いた気がするのだ。一体どこで…あっ! 私が指導対局の差し掛けを申し出たとき、中倉女流二段は、「いやっ、あっ、(そんなに遠慮なさらくても)指しますよ」と言った気がする。あのときの「いやっ」と混同したのではないか。
しかしこの「いやっ」を一連の会話から葬ってしまうのはいかにも惜しい。
そこでこの「いやっ」は「ナカクラヒロミ」発言の中にあったと確定させてしまおう。
というわけで、あの日の中倉宏美女流二段と私の正確な会話は、以下のように決定する。
「夜の中倉先生は珍しいですよね」
「あっ…そうですね…」
「夜の中倉…あ、夜のナカクラヒロミ…い、いい響きですよねぇ」
「いやっ…はぁ…妖しい感じですね…」
いかがであろうか。
…って、3日は朝7時30分の飛行機に乗らなければいけないのに、私は夜中の2時過ぎまで、こんなバカバカしいことを書いていていいのだろうか。それよりなにより、全国の中倉宏美ファンから、非難の嵐を浴びないだろうか。
次にこのブログを見るのが怖い…。