今年の8月8日(日)、沖縄県・石垣島で、「第2回八重山子ども将棋大会」が行われるようである。第1回である昨年は8月9日(日)に行われ、私も(東京のお盆である)8月15日より前がお盆休みとなったため、その会場に訪れることができた。
このときベルサイユ高田尚平六段にたいへんお世話になり、今年も機会があったら…とひそかに考えていたのだが、今年のお盆休みは、14日(土)~18日(水)で、どうしてもお邪魔することができない。残念無念である。
まさか八重山のアマチュア棋客がこのブログを読んでいるとは思えないが、いや内地からの旅行者でもいいが、もし8月8日に時間のある方がいらしたら、ヘルパーとして、八重山のチビッコ諸君やお母様方と、ぜひ将棋を楽しんでいただきたい。
先月のLPSA・1dayトーナメント「NIS×Tefu CUP」のベストドレッサー賞は、島井咲緒里女流初段が受賞した。これは選考対象がトーナメント参加女流棋士だったが、解説役の中井広恵女流六段も、白とオレンジを基調とした、オシャレなコーディネートだった。
トーナメント後の懇親会が終わった後、私を含めたLPSA金曜サロン会員数名は、中井女流六段と帰り道をごいっしょする幸運に恵まれた。一将棋ファンが全国で一、二…三……四を争う有名女流棋士と同じ場所を共有できる。お話ができる。ありがたいことだと思う。
そこでしみじみ感じたのは、中井女流六段が実に美しくなった、ということである。何か憑きものが落ちたような中井女流六段の朗らかな笑顔からは、洗練された美しさ、大人の気品、そして圧倒的なオーラがあふれていた。
いやもともと、中井女流六段は美人だった。しかしLPSAが設立され、代表理事に就任してからの中井女流六段は多忙を極め、いつも疲れた顔をしていた。
LPSAのホームページには、日レスカップやル・パルク天河戦、1dayトーナメントなどの画像が多数掲示されているが、そこで見られる中井女流六段は、一様にくたびれた顔をしている。昔のほうが歳を食っているように見える。
1dayトーナメントの公開対局や、金曜サロンでお見かけしたときも髪はボサボサで、とても手入れをする時間がない、というふうだった。
そんな有様だから将棋の勉強をする時間はなかったはずで、女流名人位戦リーグなどは、A級とB級を行ったり来たりしていた。
そんな中井女流六段に転機が訪れたのは、今年の5月のLPSA棋士総会だったと思う。ここで中井女流六段は代表理事を辞し、推薦も断った。中井女流六段にどんな心境の変化があったのかは分からぬが、その決断により、どうでもいい雑事(もめ事)の山から解放され、精神的なゆとりができた。これが中井女流六段に美を復活させた、最大の要因だと思う。
ここで話を約30年戻すが、中井女流六段の女流棋士デビュー時は、どこか「イモ中学生」の雰囲気があった。それも仕方のないことで、先輩に林葉直子さんという超美少女がいたから、タイミングがわるかった。
その後、中学生の中井女流六段は「将棋マガジン」にエッセイを連載するようになったが、イラストを担当した鈴木康彦氏(鈴木大介八段のご尊父)が、これまた見事に、中井女流六段をイモ中学生風に描いた。
しかしその雰囲気も1、2年後にはなくなり、中井女流六段は、すっかり大人びて、綺麗になった。東公平氏だったか、「もう、あのイラストは代えたほうがいい」と書いていたものである。
それから中井女流六段は20歳という若さで結婚し、齢を重ねるごとに、いいオンナになった。その後林葉さんが日本将棋連盟を退会すると、私にとってのヒロインは、中井女流六段のみになった。
そして話をまた現在に戻すが、帰り道、中井女流六段が言うには、自分もベストドレッサー賞にノミネートされるものと思っていたそうである。
実際中井女流六段がノミネートされていたら、私もうっかり1点くらい入れてしまったかもしれない。そのくらい、この日の中井女流六段は、魅力的であった。
さて、対局一本に絞った中井女流六段は、その後あっちこっちを旅行し、英気を養ったようである。もちろんその間、ご主人の植山悦行七段も大きく羽を伸ばしたに違いなく、お互いリフレッシュできたに違いない。
植山七段のほうはよく知らぬが、中井女流六段は、昨日の女流名人位戦B級リーグに勝って、15連勝中だそうである。ちなみに女流棋士の連勝記録は、清水市代女流王将、山田久美女流三段、林葉さんの17連勝が最高である。つまり17日(土)のマイナビ女子オープン一斉予選対局にはタイ記録達成が懸かっており、観戦者は、歴史的瞬間の目撃者になる可能性がある。
当日はその瞬間を期待しつつ、中井女流六段の美貌を鑑賞したいと思う。
このときベルサイユ高田尚平六段にたいへんお世話になり、今年も機会があったら…とひそかに考えていたのだが、今年のお盆休みは、14日(土)~18日(水)で、どうしてもお邪魔することができない。残念無念である。
まさか八重山のアマチュア棋客がこのブログを読んでいるとは思えないが、いや内地からの旅行者でもいいが、もし8月8日に時間のある方がいらしたら、ヘルパーとして、八重山のチビッコ諸君やお母様方と、ぜひ将棋を楽しんでいただきたい。
先月のLPSA・1dayトーナメント「NIS×Tefu CUP」のベストドレッサー賞は、島井咲緒里女流初段が受賞した。これは選考対象がトーナメント参加女流棋士だったが、解説役の中井広恵女流六段も、白とオレンジを基調とした、オシャレなコーディネートだった。
トーナメント後の懇親会が終わった後、私を含めたLPSA金曜サロン会員数名は、中井女流六段と帰り道をごいっしょする幸運に恵まれた。一将棋ファンが全国で一、二…三……四を争う有名女流棋士と同じ場所を共有できる。お話ができる。ありがたいことだと思う。
そこでしみじみ感じたのは、中井女流六段が実に美しくなった、ということである。何か憑きものが落ちたような中井女流六段の朗らかな笑顔からは、洗練された美しさ、大人の気品、そして圧倒的なオーラがあふれていた。
いやもともと、中井女流六段は美人だった。しかしLPSAが設立され、代表理事に就任してからの中井女流六段は多忙を極め、いつも疲れた顔をしていた。
LPSAのホームページには、日レスカップやル・パルク天河戦、1dayトーナメントなどの画像が多数掲示されているが、そこで見られる中井女流六段は、一様にくたびれた顔をしている。昔のほうが歳を食っているように見える。
1dayトーナメントの公開対局や、金曜サロンでお見かけしたときも髪はボサボサで、とても手入れをする時間がない、というふうだった。
そんな有様だから将棋の勉強をする時間はなかったはずで、女流名人位戦リーグなどは、A級とB級を行ったり来たりしていた。
そんな中井女流六段に転機が訪れたのは、今年の5月のLPSA棋士総会だったと思う。ここで中井女流六段は代表理事を辞し、推薦も断った。中井女流六段にどんな心境の変化があったのかは分からぬが、その決断により、どうでもいい雑事(もめ事)の山から解放され、精神的なゆとりができた。これが中井女流六段に美を復活させた、最大の要因だと思う。
ここで話を約30年戻すが、中井女流六段の女流棋士デビュー時は、どこか「イモ中学生」の雰囲気があった。それも仕方のないことで、先輩に林葉直子さんという超美少女がいたから、タイミングがわるかった。
その後、中学生の中井女流六段は「将棋マガジン」にエッセイを連載するようになったが、イラストを担当した鈴木康彦氏(鈴木大介八段のご尊父)が、これまた見事に、中井女流六段をイモ中学生風に描いた。
しかしその雰囲気も1、2年後にはなくなり、中井女流六段は、すっかり大人びて、綺麗になった。東公平氏だったか、「もう、あのイラストは代えたほうがいい」と書いていたものである。
それから中井女流六段は20歳という若さで結婚し、齢を重ねるごとに、いいオンナになった。その後林葉さんが日本将棋連盟を退会すると、私にとってのヒロインは、中井女流六段のみになった。
そして話をまた現在に戻すが、帰り道、中井女流六段が言うには、自分もベストドレッサー賞にノミネートされるものと思っていたそうである。
実際中井女流六段がノミネートされていたら、私もうっかり1点くらい入れてしまったかもしれない。そのくらい、この日の中井女流六段は、魅力的であった。
さて、対局一本に絞った中井女流六段は、その後あっちこっちを旅行し、英気を養ったようである。もちろんその間、ご主人の植山悦行七段も大きく羽を伸ばしたに違いなく、お互いリフレッシュできたに違いない。
植山七段のほうはよく知らぬが、中井女流六段は、昨日の女流名人位戦B級リーグに勝って、15連勝中だそうである。ちなみに女流棋士の連勝記録は、清水市代女流王将、山田久美女流三段、林葉さんの17連勝が最高である。つまり17日(土)のマイナビ女子オープン一斉予選対局にはタイ記録達成が懸かっており、観戦者は、歴史的瞬間の目撃者になる可能性がある。
当日はその瞬間を期待しつつ、中井女流六段の美貌を鑑賞したいと思う。