6月16日(月)、「将棋ペン倶楽部・通信35号」が届いた。いつもなら封は開けず、散歩先の「ドトールコーヒー」でじっくり読むのだが、今回私は投稿しなかったので、あまり楽しみがない。だからすぐに開けてしまう。
「通信号」は通常、2折・32頁と薄いのだが、今回は44頁もある増量版だ。拙稿の未掲載は昨年の春号以来となるが、ちょっと、読む張り合いがない。自分の原稿が載らないだけで、こんなに空虚感に襲われるとは思わなかった。
さらっと中を確認したが、やはりドトールで読むことにし、夜まで待った。
夕食後、某駅近くのドトールに入る。アイスコーヒーSで200円は手頃な値段だ。
リュックサックから通信号を取り出す。目についた投稿文から読んだのだが、ここでは掲載順に雑感を述べることとする。
「関西交流会レポート」「関東交流会レポート」は、ペンクラブ会員ならば一度は書かねばならぬ儀式みたいなもので、もちろん私もレポートを書いたことがある。「関西」のI氏、「関東」のTsu氏は短文ながら、過不足ないレポートだった。
「将棋人生の始まり」はY氏の連載第2回。幹事が太鼓判を押す感動編だったが、ナナメ読みで終える。絶対おもしろいに違いないのだが、いまは腰をすえて読む気力がない。まあ、これからいつでも読めるので、慌てる必要はない。付言すると、バトルロイヤル風間氏のイラストが秀逸だった。挿絵はこうでなくてはいかん、という見本のようだった。あまり知られていないが、バトル氏は天才である。
次はM氏の筆による「林葉流とキムラ流の激突」。今月28日にLPSAの公認棋戦に出場することになった林葉直子さんと、将棋ペンクラブの新会長となった木村晋介弁護士の、飛車落ちの観戦記だ。
一読したが、M氏の人柄がにじむ抑えた筆致と、ふんだんに散りばめられている両対局者のコメントがよかった。諸般の事情かもしれないが、写真が一切使われていないのもよかった。個人的見解だが、観戦記に写真は不要と思う。文字のみで勝負するのが観戦記と思う。
女流将棋界という表舞台から姿を消して15年、林葉さんの美貌はどうなのか。木村弁護士はどんな苦渋の表情で指していたのか。それを文章からイメージする。それがいいのである。
内輪だから褒めるわけではないが、来期のペンクラブ大賞の有力候補と思う。
「我が将棋半世紀」は、アマチュア将棋界に多大な貢献をされているS氏の筆。自叙伝の新連載で、この類の発表の場は、現在「将棋ペン倶楽部」しかない。これだけでも将棋ペンクラブの存在意義があるというものだ。この連載は、のちにまとめて読みたいところである。
次はSi氏の「将棋界のブログ探訪」。男性棋士や女流棋士の人気ブログを紹介している。読み進むと「将棋ファンのブログ」と小見出しが付けられ、その中に私のブログが紹介されていたので、恐縮してしまった。ありがたいことである。
「新聞棋戦は面白い」は、会報常連のSa氏によるもの。観戦記を読んだ方なら、「確かに」と、うなづくところが多いだろう。
「懐かしい対局場」は、A氏の筆。以前私が、「通信号に投稿しない(する気力がない)」と話したことを受け、「では代わりに私が」と書きあげた文章である。
ゲラの時点で湯川恵子さんが爆笑していたが、今回私も一読して「あるあるー」とニンマリする、期待に違わぬ佳品だった。
でも…と考える。やっぱり私は投稿しなくてよかったのだろうか。前述したように、今回の通信号は44頁であり、16頁(1折)が無駄のない台割とするならば、あと4頁増えても費用的にそれほど問題はなかった。ならばやはり、ない力を振り絞って投稿するのだったか、と思う。
しかし書かなかったのだから仕方ない。私の投稿には時期的にタイムリーなものと、掲載時期に頓着しないものがあるが、今回の話は、前者だった。しかし時期は1年前後ズレても何とかなる。だから今回の原稿分は、来年の春号まで温めておくことになる。
話を元に戻すが、通信号はその後「将棋ペンクラブ大賞一覧」が掲載され、湯川博士統括幹事の「編集日誌」で終わった。
将棋ペンクラブは年4回発行だが、設立時は4回とも背表紙のある冊子だった。しかしずいぶん前から、うち2回はホチキス留めの簡易中綴じになっている。今回の分量が定着すれば、背表紙のある無線綴じの4回発行も夢ではない。
さて、将棋ペン倶楽部会報・秋号の原稿〆切は今月19日である。書くネタは用意しているが、どうにもキーボードを叩く手が重い。やはり気軽に書けるブログと、活字で永遠に残る紙媒体では、かかるプレッシャーが違うのだ。
もしタイムマシンがあったら、2ヶ月先の世界へ旅し、ペン倶楽部最新号をカンニングしたいものである。
「通信号」は通常、2折・32頁と薄いのだが、今回は44頁もある増量版だ。拙稿の未掲載は昨年の春号以来となるが、ちょっと、読む張り合いがない。自分の原稿が載らないだけで、こんなに空虚感に襲われるとは思わなかった。
さらっと中を確認したが、やはりドトールで読むことにし、夜まで待った。
夕食後、某駅近くのドトールに入る。アイスコーヒーSで200円は手頃な値段だ。
リュックサックから通信号を取り出す。目についた投稿文から読んだのだが、ここでは掲載順に雑感を述べることとする。
「関西交流会レポート」「関東交流会レポート」は、ペンクラブ会員ならば一度は書かねばならぬ儀式みたいなもので、もちろん私もレポートを書いたことがある。「関西」のI氏、「関東」のTsu氏は短文ながら、過不足ないレポートだった。
「将棋人生の始まり」はY氏の連載第2回。幹事が太鼓判を押す感動編だったが、ナナメ読みで終える。絶対おもしろいに違いないのだが、いまは腰をすえて読む気力がない。まあ、これからいつでも読めるので、慌てる必要はない。付言すると、バトルロイヤル風間氏のイラストが秀逸だった。挿絵はこうでなくてはいかん、という見本のようだった。あまり知られていないが、バトル氏は天才である。
次はM氏の筆による「林葉流とキムラ流の激突」。今月28日にLPSAの公認棋戦に出場することになった林葉直子さんと、将棋ペンクラブの新会長となった木村晋介弁護士の、飛車落ちの観戦記だ。
一読したが、M氏の人柄がにじむ抑えた筆致と、ふんだんに散りばめられている両対局者のコメントがよかった。諸般の事情かもしれないが、写真が一切使われていないのもよかった。個人的見解だが、観戦記に写真は不要と思う。文字のみで勝負するのが観戦記と思う。
女流将棋界という表舞台から姿を消して15年、林葉さんの美貌はどうなのか。木村弁護士はどんな苦渋の表情で指していたのか。それを文章からイメージする。それがいいのである。
内輪だから褒めるわけではないが、来期のペンクラブ大賞の有力候補と思う。
「我が将棋半世紀」は、アマチュア将棋界に多大な貢献をされているS氏の筆。自叙伝の新連載で、この類の発表の場は、現在「将棋ペン倶楽部」しかない。これだけでも将棋ペンクラブの存在意義があるというものだ。この連載は、のちにまとめて読みたいところである。
次はSi氏の「将棋界のブログ探訪」。男性棋士や女流棋士の人気ブログを紹介している。読み進むと「将棋ファンのブログ」と小見出しが付けられ、その中に私のブログが紹介されていたので、恐縮してしまった。ありがたいことである。
「新聞棋戦は面白い」は、会報常連のSa氏によるもの。観戦記を読んだ方なら、「確かに」と、うなづくところが多いだろう。
「懐かしい対局場」は、A氏の筆。以前私が、「通信号に投稿しない(する気力がない)」と話したことを受け、「では代わりに私が」と書きあげた文章である。
ゲラの時点で湯川恵子さんが爆笑していたが、今回私も一読して「あるあるー」とニンマリする、期待に違わぬ佳品だった。
でも…と考える。やっぱり私は投稿しなくてよかったのだろうか。前述したように、今回の通信号は44頁であり、16頁(1折)が無駄のない台割とするならば、あと4頁増えても費用的にそれほど問題はなかった。ならばやはり、ない力を振り絞って投稿するのだったか、と思う。
しかし書かなかったのだから仕方ない。私の投稿には時期的にタイムリーなものと、掲載時期に頓着しないものがあるが、今回の話は、前者だった。しかし時期は1年前後ズレても何とかなる。だから今回の原稿分は、来年の春号まで温めておくことになる。
話を元に戻すが、通信号はその後「将棋ペンクラブ大賞一覧」が掲載され、湯川博士統括幹事の「編集日誌」で終わった。
将棋ペンクラブは年4回発行だが、設立時は4回とも背表紙のある冊子だった。しかしずいぶん前から、うち2回はホチキス留めの簡易中綴じになっている。今回の分量が定着すれば、背表紙のある無線綴じの4回発行も夢ではない。
さて、将棋ペン倶楽部会報・秋号の原稿〆切は今月19日である。書くネタは用意しているが、どうにもキーボードを叩く手が重い。やはり気軽に書けるブログと、活字で永遠に残る紙媒体では、かかるプレッシャーが違うのだ。
もしタイムマシンがあったら、2ヶ月先の世界へ旅し、ペン倶楽部最新号をカンニングしたいものである。