大みそかから元日にかけての午前0時ちょうど、ウチでは、西早稲田にある穴八幡宮で頒けていただいた「一陽来復御守」を、然るべき方角の柱に貼る。
高い位置に貼るので、その作業は私の担当である。毎年この瞬間は、厳粛な気持ちになる。今年も1年、頑張ろうと思う。御守を柱に貼る習慣がある家庭はもうあまりないと思うが、これからも大切にしていきたい。
ちなみに「一陽来復」の意味は、元日の読売新聞(関東版)2面に出ている。参照してください。
元日の新聞観戦記は年頭の挨拶があり、正月らしい気分になる。
…と言いたいところだが、ここ数年の竜王戦観戦記には、それがない。一応第1譜から始めてはいるが、ほかの将棋と同じように、ふつうに観戦記が書かれているだけである。今年もそうだった。
お隣の囲碁棋聖戦を見ると、冒頭に「明けましておめでとうございます」と書かれてはいるが、その後はふつうの文章に戻っている。これもちょっと物足りない。
昔のことを言っても詮無いけれど、竜王戦の前身である十段戦のころは、陣太鼓(山本武雄九段)や山帰来(太期喬也氏)が丁寧に新年の挨拶を書き、雅な気分になったものだ。一口情報が載る「盤側」でも、日本将棋連盟会長・大山康晴十五世名人の年頭所感や、タイトル保持者の新年の抱負が述べられ、正月気分を盛り上げていた。
竜王戦七番勝負は毎年書籍化されるから、新聞掲載の文章を訂正なしに転載すると、新年の挨拶の部分は陳腐なものになってしまう。
しかしそれを理由にふつうに文章を書いたとしたならば、本末転倒だ。観戦記はほかの記事と違い、わりと自由に文章が書ける場である。将棋関係者はそのあたりを考えていただいて、今後は新年らしい文章を載せてもらいたい。
ちなみにスポーツ報知の元日観戦記(女流名人位戦)は、岩根忍女流二段と北尾まどか女流初段戦の「最終譜」だった。お話にならない。
高い位置に貼るので、その作業は私の担当である。毎年この瞬間は、厳粛な気持ちになる。今年も1年、頑張ろうと思う。御守を柱に貼る習慣がある家庭はもうあまりないと思うが、これからも大切にしていきたい。
ちなみに「一陽来復」の意味は、元日の読売新聞(関東版)2面に出ている。参照してください。
元日の新聞観戦記は年頭の挨拶があり、正月らしい気分になる。
…と言いたいところだが、ここ数年の竜王戦観戦記には、それがない。一応第1譜から始めてはいるが、ほかの将棋と同じように、ふつうに観戦記が書かれているだけである。今年もそうだった。
お隣の囲碁棋聖戦を見ると、冒頭に「明けましておめでとうございます」と書かれてはいるが、その後はふつうの文章に戻っている。これもちょっと物足りない。
昔のことを言っても詮無いけれど、竜王戦の前身である十段戦のころは、陣太鼓(山本武雄九段)や山帰来(太期喬也氏)が丁寧に新年の挨拶を書き、雅な気分になったものだ。一口情報が載る「盤側」でも、日本将棋連盟会長・大山康晴十五世名人の年頭所感や、タイトル保持者の新年の抱負が述べられ、正月気分を盛り上げていた。
竜王戦七番勝負は毎年書籍化されるから、新聞掲載の文章を訂正なしに転載すると、新年の挨拶の部分は陳腐なものになってしまう。
しかしそれを理由にふつうに文章を書いたとしたならば、本末転倒だ。観戦記はほかの記事と違い、わりと自由に文章が書ける場である。将棋関係者はそのあたりを考えていただいて、今後は新年らしい文章を載せてもらいたい。
ちなみにスポーツ報知の元日観戦記(女流名人位戦)は、岩根忍女流二段と北尾まどか女流初段戦の「最終譜」だった。お話にならない。