Y氏とは、戯れで私が角を引いて指したりするが、Y氏は進境著しく、私との棋力は紙一重である。油断すると持っていかれる。とにかく慎重に指すことを心掛けた。
振り駒で私の先手。Aクラスはオール振り駒なので、船戸陽子女流二段相手に私が後手で指したり、角を引いた相手に先手で指したりすることがあるわけだ。
☗7六歩☖3四歩☗6八玉。大会では相手の棋風が分からないことが多いが、本局は例外で、Y氏がゴキゲン中飛車を得意にしていることは知っていた。
よって3手目に、☗6八玉とゴキゲン外しに出たのだ。私は志が低いので、相手の得意は受けない。外しに行くタイプである。
Y氏は数手後、☖2二飛。しかし私が飛車先の歩を突いていないので、効果が薄いと思う。
私は天守閣美濃に組む。☗5七銀左から急戦を挑みたいが、優勝のかかった大一番なので、玉の堅さを優先した。私は女流棋士の穴熊好きに苦言を呈するものだが、玉を固めたくなる気持ちが分かる気がした。
しかし四枚美濃にはせず、☗4六銀と出る。Y氏、☖4五歩。取れば☖3三桂があるが、こんなものは気合で取る一手だ。☗4五同銀☖3三桂☗4六歩☖4五桂☗同歩。
☖3三桂はいいが、☗4六歩にすぐ☖4五桂と取ってくれたのは助かった。いつでも取るぞと見せかけて、何かのときに☖4四歩を狙われるのがイヤだった。
私は☗4八飛と回る。これにも☖5三金(☖5三角)と4四の地点を2枚で守られていたら、私も容易でなかった。本譜は☗4四歩☖同銀☗同飛とスンナリ飛車が捌け、☗4一飛成と竜を作っては、労せずして優勢になった。
しかしここから私が乱れる。Y氏辛抱の☖5二銀に☗4八竜と引き揚げたのはいいとして、数手後の☗4二角成☖4一飛☗同馬☖同銀に、☗4三飛と打ったのが大悪手だった。すかさず☖5七角と、☗3九竜と☗6六金の両取りに打たれ、飛び上がった。
局後Y氏は、わざと両取りを打たせて、自分の玉を寄せにくると思った、と言ったが、寄せ合い一手勝ちの局面ではないし、第一こんな純粋な両取りを打たせるバカはいない。
私は泣く泣く☗4九竜。以下☖6六角成☗7七銀打に、☖5六馬とよろけたのがどうだったか。ここは☖7七同馬と切り、☖5二銀と飛車取りに当てるほうがよかったようだ。
そのあとはお互いと金を作り、どちらが先に相手玉に迫れるかの勝負となった。私は☗8七玉型が頼みで、☖7九とまで迫られても、詰めろにならない。こちらはその間に後手玉を寄せられるかどうかだ。
☗5三角☖同馬☗同銀成。ここで部分図の符号を記す。
先手・一公:1二竜、5三成銀、7一金、7六歩、7七銀、7八銀、8六歩、8七玉、9六歩 持駒:角、金2…
後手・Y氏:3一歩、3二香、7二銀、7三歩、7九と、8一桂、8二玉、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角、金、桂…
ここでY氏は☖3四角と詰めろ飛車取りに打ったが、これは粘りを欠いた。☗7二金☖同玉☗6三銀、まで私の勝ちとなった。
☖3四角では☖6一金と打たれていたら、こちらは指す手がむずかしかった。☗6二金と貼りつくしかないが、☖7一金☗同金は千日手コースである。さりとてほかに代わる手もなく、☖6一金だったら、3,000円の商品券(優勝)と1,000円の商品券(準優勝)を山分けしていたに違いない。
勝った3局は、いずれも終盤の逆転。まさに僥倖の勝利だった。
表彰式。午後5時半終了予定が、6時半を回っていた。Aクラス優勝はM氏。LPSAスタッフ氏に同姓同名の男性がいるが、風貌もそっくりだ。
最後は石橋幸緒代表を交えての記念撮影。私は船戸女流二段と指し初めの将棋を指すことができ、セカンドトーナメントでも望外の成績を取り、この上ない新春スタートとなった。私は実にいい顔で写真に収まったのではないかと思う。
LPSA初の試み、新春将棋大会は、こうして幕を閉じた。
このあとは、Y氏と食事。この日は自宅に6歳のめいと3歳のおいが遊びに来ているはずだが、将棋仲間との食事を優先させる。
お店はサイゼリヤではなく、その先にあるガストになった。Y氏とふたりでお店に入るのは、一昨年、社団戦の団体個人戦のときに、浜松町駅近くの喫茶店に入って以来である。
相手の本音を聞き出すには、サシで話すのがいいと思う。大勢だと話が分散するが、ふたりだと突っ込んだ話ができ、ふだんその人が何を考えているか、より深く知ることができるからである。
今回Y氏とじっくり話してみて、芝浦サロンには珍しい、実に真面目な人であるということが、再確認できた。
最近、大沢さんのブログが暴走気味である。読者(女流棋士)が100%の良心で読んでいたものが、最近では80%に減っているのではないか――。という意味のことを忠告されたときは、恐れ入りました、という感じだった。
また、私の「2010年・将棋10大ニュース」に、「社団戦の昇級」がなかったことが残念だった、とも言われた。
これもそのとおりで、あれほどのめりこんだ社団戦を失念するとは、どうかしていた。どうも私は、自分自身のよかった出来事には興味がないらしい。
ガストは11時すぎに出た。7時前後に入ったから、4時間も粘ったことになる。酒飲みがいればビールを頼むから長居しても後ろめたさはないが、Y氏も私もあまり飲まないので、いらぬつまみをオーダーしたりして、余計なカロリーを摂取してしまった。
めいとおいは、この日は7時すぎに帰ったらしい。Y氏との食事を断らなくて、よかった。
振り駒で私の先手。Aクラスはオール振り駒なので、船戸陽子女流二段相手に私が後手で指したり、角を引いた相手に先手で指したりすることがあるわけだ。
☗7六歩☖3四歩☗6八玉。大会では相手の棋風が分からないことが多いが、本局は例外で、Y氏がゴキゲン中飛車を得意にしていることは知っていた。
よって3手目に、☗6八玉とゴキゲン外しに出たのだ。私は志が低いので、相手の得意は受けない。外しに行くタイプである。
Y氏は数手後、☖2二飛。しかし私が飛車先の歩を突いていないので、効果が薄いと思う。
私は天守閣美濃に組む。☗5七銀左から急戦を挑みたいが、優勝のかかった大一番なので、玉の堅さを優先した。私は女流棋士の穴熊好きに苦言を呈するものだが、玉を固めたくなる気持ちが分かる気がした。
しかし四枚美濃にはせず、☗4六銀と出る。Y氏、☖4五歩。取れば☖3三桂があるが、こんなものは気合で取る一手だ。☗4五同銀☖3三桂☗4六歩☖4五桂☗同歩。
☖3三桂はいいが、☗4六歩にすぐ☖4五桂と取ってくれたのは助かった。いつでも取るぞと見せかけて、何かのときに☖4四歩を狙われるのがイヤだった。
私は☗4八飛と回る。これにも☖5三金(☖5三角)と4四の地点を2枚で守られていたら、私も容易でなかった。本譜は☗4四歩☖同銀☗同飛とスンナリ飛車が捌け、☗4一飛成と竜を作っては、労せずして優勢になった。
しかしここから私が乱れる。Y氏辛抱の☖5二銀に☗4八竜と引き揚げたのはいいとして、数手後の☗4二角成☖4一飛☗同馬☖同銀に、☗4三飛と打ったのが大悪手だった。すかさず☖5七角と、☗3九竜と☗6六金の両取りに打たれ、飛び上がった。
局後Y氏は、わざと両取りを打たせて、自分の玉を寄せにくると思った、と言ったが、寄せ合い一手勝ちの局面ではないし、第一こんな純粋な両取りを打たせるバカはいない。
私は泣く泣く☗4九竜。以下☖6六角成☗7七銀打に、☖5六馬とよろけたのがどうだったか。ここは☖7七同馬と切り、☖5二銀と飛車取りに当てるほうがよかったようだ。
そのあとはお互いと金を作り、どちらが先に相手玉に迫れるかの勝負となった。私は☗8七玉型が頼みで、☖7九とまで迫られても、詰めろにならない。こちらはその間に後手玉を寄せられるかどうかだ。
☗5三角☖同馬☗同銀成。ここで部分図の符号を記す。
先手・一公:1二竜、5三成銀、7一金、7六歩、7七銀、7八銀、8六歩、8七玉、9六歩 持駒:角、金2…
後手・Y氏:3一歩、3二香、7二銀、7三歩、7九と、8一桂、8二玉、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角、金、桂…
ここでY氏は☖3四角と詰めろ飛車取りに打ったが、これは粘りを欠いた。☗7二金☖同玉☗6三銀、まで私の勝ちとなった。
☖3四角では☖6一金と打たれていたら、こちらは指す手がむずかしかった。☗6二金と貼りつくしかないが、☖7一金☗同金は千日手コースである。さりとてほかに代わる手もなく、☖6一金だったら、3,000円の商品券(優勝)と1,000円の商品券(準優勝)を山分けしていたに違いない。
勝った3局は、いずれも終盤の逆転。まさに僥倖の勝利だった。
表彰式。午後5時半終了予定が、6時半を回っていた。Aクラス優勝はM氏。LPSAスタッフ氏に同姓同名の男性がいるが、風貌もそっくりだ。
最後は石橋幸緒代表を交えての記念撮影。私は船戸女流二段と指し初めの将棋を指すことができ、セカンドトーナメントでも望外の成績を取り、この上ない新春スタートとなった。私は実にいい顔で写真に収まったのではないかと思う。
LPSA初の試み、新春将棋大会は、こうして幕を閉じた。
このあとは、Y氏と食事。この日は自宅に6歳のめいと3歳のおいが遊びに来ているはずだが、将棋仲間との食事を優先させる。
お店はサイゼリヤではなく、その先にあるガストになった。Y氏とふたりでお店に入るのは、一昨年、社団戦の団体個人戦のときに、浜松町駅近くの喫茶店に入って以来である。
相手の本音を聞き出すには、サシで話すのがいいと思う。大勢だと話が分散するが、ふたりだと突っ込んだ話ができ、ふだんその人が何を考えているか、より深く知ることができるからである。
今回Y氏とじっくり話してみて、芝浦サロンには珍しい、実に真面目な人であるということが、再確認できた。
最近、大沢さんのブログが暴走気味である。読者(女流棋士)が100%の良心で読んでいたものが、最近では80%に減っているのではないか――。という意味のことを忠告されたときは、恐れ入りました、という感じだった。
また、私の「2010年・将棋10大ニュース」に、「社団戦の昇級」がなかったことが残念だった、とも言われた。
これもそのとおりで、あれほどのめりこんだ社団戦を失念するとは、どうかしていた。どうも私は、自分自身のよかった出来事には興味がないらしい。
ガストは11時すぎに出た。7時前後に入ったから、4時間も粘ったことになる。酒飲みがいればビールを頼むから長居しても後ろめたさはないが、Y氏も私もあまり飲まないので、いらぬつまみをオーダーしたりして、余計なカロリーを摂取してしまった。
めいとおいは、この日は7時すぎに帰ったらしい。Y氏との食事を断らなくて、よかった。