一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA新春将棋大会(前編)・夢の対決

2011-01-05 00:10:49 | LPSAイベント
きのう、芝浦サイゼリヤで棋友と食事をしたとき、私のブログは1日に何回アクセスがあるのか訊かれた。実は昨年末にも、LPSAスタッフ氏に同じことを訊かれた。
私のブログはカウンターを表示していないので、新年でもあるし、ここに記してみよう。

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2011年の年初め、まだ三が日ではあるが、3日、東京・芝浦サロンで「LPSA新春将棋大会」が行われた。昨年のクリスマスイブ・芝浦サロンで、船戸陽子女流二段がこれに参戦すると宣言したので、私も参加を申し込んだ。
ちょっとストーカーのケもあるが、ここで参加しなければ船戸ファンではない。
当日の予定は午前11時~12時に石橋幸緒天河によるミニ講座、午後1時からはトーナメント戦である。
トーナメントの定員は32人。自己申告の棋力を上から2クラスに分け、それぞれ優勝を決める。1回戦や2回戦の敗者にはセカンドトーナメントやサードトーナメントが用意されるので、2~3局は保証される仕組みだ。
石橋天河による指導対局(有料)も用意され、盛りだくさんの内容である。
私はトーナメント戦のみに参加する。テレビの箱根駅伝に興味はないが、レースも大詰めにさしかかったところで、後ろ髪を引かれる思いで芝浦に向かった。
12時35分ごろ、JR田町駅で下車し、エスカレーターを降りる。と、
「大沢さん」
と声を掛けられた。この聞き覚えのある声は…!!
振り返ると、船戸女流二段だった!! 彼女も芝浦サロンに向かうところだったのだ。ホントにトーナメント戦に出場するんだ…!!
まだ新年3日だが、2011年・知己の女性に会った一番手が船戸女流二段とは、春から縁起がいい。
LPSAのファッションリーダーは相変わらず素晴らしいコーディネートだ。船戸女流二段といえばミニスカートだが、きょうはパンツである。帽子をかぶり、耳には大きなリングがついている。それにしても、何という美しさだろう。どう見てもモデルである。
心臓をバクバクさせながら、他愛もない話をする。このままいけば同伴になってしまうが、船戸女流二段は寄る店があるということでそこで別れ、私が先に入室した。
石橋天河、大庭美夏女流1級、大庭美樹女流初段らがいたので、新年の挨拶をする。本日参加の選手も何人かいたが、芝浦サロンのメンバーはY氏のみだった(マンデーレッスンSの会員は何人かいた)。正月だから帰省している人もいるし、これはやむを得ない。
Y氏と談笑していると、ミスター四間飛車氏が来て、
「大沢さん、大変なことになってますよ」
と言う。
も、もしや…??
Aクラス16名、Bクラス15名の選手がそろい、今回の審判女流棋士である石橋天河から、トーナメントの組み合わせが発表された。Aクラス4カード目に、「大沢さんと…」と、私の名前が呼ばれる。そして「船戸さん」と続いたので、室内の一角で歓声が上がった。
どうも私の「船戸ファン」はかなり浸透しているようだ。新年早々、船戸女流二段との真剣勝負が実現するとは、盆と正月が一緒にきたようである。しかもこれが正真正銘の指し初めだ。
このトーナメントが厳正な抽選を経たとは思われない。石橋天河をはじめ、LPSAの面々が便宜を図ってくれたのではなかろうか。ありがたいことである。
所定の席に着く。正面には船戸女流二段が座る。本当に夢のようだ。船戸女流二段はコートを脱いでいたが、その下は地味めの服だった。帽子は目深にしているので、顔はほとんど見えない。私も緊張していないといえばウソになるが、プレーヤーとして参加する船戸女流二段の姿勢に、私も真剣モードに入った。
船戸女流二段が駒袋から駒を出す。王将を所定の位置に置く。私は玉将を所定の位置に置く。今回は入賞者に商品券が出る。真剣勝負と言っていいと思うが、アマチュア、とくに私クラスの棋力では、女流棋士とのこんな機会は滅多にない。
マス目に駒を埋める手も慎重になり、船戸女流二段が全部並び終えた時、私はやっと「歩」に取りかかったところだった。
振駒の結果、私の後手。持ち時間は20分、使い切ると1手30秒の秒読みである。定刻になり、石橋天河の合図で対局開始となった。
船戸女流二段、☗7六歩。ここで私は30秒前後考えて☖3四歩。
船戸女流二段、☗2六歩。ここで再び考える。☖8四歩と指したい。対して横歩取りのルートならば、私は角を換わって☖2八歩~☖4五角と行く。これは私も経験値が高いから、互角に渡り合える。
しかし☖8四歩に☗6六歩と角道を止められ、以下船戸女流二段得意の雁木からガンガン攻められたら、受けきる自信はない。
では☖5四歩からゴキゲン中飛車にしてみようか。しかしこれはこちらに経験値がない。居飛車党である船戸女流二段の思うツボだ。
…などといろいろな思いが巡り、私は長考してしまった。いつもは早指しの私だが、明らかに変調だ。
しかしなぜこんなに作戦に迷ったか考えてみるに、いつもは私が先手番なので、居飛車か振り飛車かを先に決める権利があった。ところが本局は私の後手。船戸女流二段に先に居飛車を明示され、私がその対応に迫られたため、長考を余儀なくされたというわけだった。
結局私は☖4四歩と突く。四間飛車にすることにした。
数手後、船戸女流二段、☗5八金右。これで船戸女流二段得意の居飛車穴熊はないと見た。私は☖6四歩と突く。
しかしその数手後、船戸女流二段は☗9八香と上がった。それでも居飛車穴熊であった。ここで私は長考後、☖2二飛と振り直した。
この手では、最初はふつうに銀冠にして、ジックリ戦うつもりでいた。しかし気が変わって、急戦を目指したのだ。だがこれなら、前の☖6四歩は不急の手。指し手まで変調である。
☖2四歩から飛車をぶつけ、☗2五歩に☖2二飛と引く。1歩を手に持ち、一応ポイントを稼いだ。
船戸女流二段は、まるで指導対局のように、パッパッ指す。こんなところは考えるまでもない、というふうだ。私は恐る恐る船戸女流二段を窺う。かぶった帽子は目深なままで、鼻の頭と口元が見えるのみだ。これでは私も、盤上に集中せざるを得ない。
少考して、☖4五歩と突く。船戸女流二段、文字どおりノータイムで☗3七桂。☖4五歩はマズかったか…。後悔しつつ、私は渋々☖5四銀と上がる。船戸女流二段、またもノータイムで☗4六歩。
これは居飛車側に争点を与えてしまった。私はまたも長考に沈む。船戸女流二段は通い慣れた道とばかりノータイムの指し手を続け、まだ2分も使っていない。視線を右下にやり、私の指し手を静かに待っている。
明らかに、いつもの指導対局とは雰囲気が違う。やはり船戸女流二段はモデルではなかった。長いあいだ血のにじむような勝負を重ねてきた、勝負師だった。それは間近で見たからこそ初めて分かる、女流棋士の真の姿だった。
こんな女性に私ごときが勝てるわけがない。この将棋は負けたと思った。
(つづく)
コメント (4)
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