旅先の第一印象というのは大事で、それがすこぶるいい印象だと、また次も訪れたくなる。その「いい印象」とは例えば、思わず息を飲む絶景でもいいし、あるいはユースホステルで出会った絶世の美女でもいい。
学生時代に山陰地方を旅行したときのことだ。私はお城巡りが好きで、というか、高い所から下界を見下ろすのが好きで、それが天守閣からでも城跡からでもいいのだが、そのときは米子城跡に登った。
たぶん、城跡に続く階段が本当はあったのだと思う。しかし私は、山の裏道から城跡に登って行った。
しかし、行けども行けども頂上らしきものが見えない。いい加減疲れてきたところで突然、私の眼前に、パアーッ…と、視界が開いた。
そこから見渡す米子市の、広大な景色!! 心の準備を全然していなかったから、いきなりの場面転換に私は、目の前に現れた絶景に、ただただ息を飲むばかりだった。
数メートル先に、高校生と思しきカップルが肩を寄せ合って、暮れゆく秋空を眺めていたのが印象に残った。
これで私の頭には、「米子城跡=絶景」というイメージがインプットされたのだが、数年後にもう一度訪れたときは、私の期待が大きすぎたためか、それほどの感激はなかった。それでも、いまでも米子城跡は、いい印象として残っている。
宿もまた然りだ。なんてことのないユースホステルに泊まる。ところが夕食後のミーティングのときに、かわいい女の子と意気投合して、話が弾んだりする。すると、この宿はもちろん、観光地までもが、いい印象として残るのだ。
この地も2度目に訪れたときは期待外れに終わったのだが、それでも最初のいい印象が崩れることはなかった。
私が初めて「LPSA金曜サロン」に訪れたときもそうだった。これは2008年3月14日で、この日の担当は藤森奈津子女流四段(当時女流三段)だった。
私はそれまで将棋道場に行ったことはあるが、プロ棋士の指導目当てで訪れたのはこれが初めて。当然、ものすごい緊張だった。しかも藤森女流四段は、永遠のアイドル棋士である。これは誇張でも何でもなく、芸能人に生で会える、くらいの感覚だった。
入室すると、スタッフのSa氏が受付をしており、その奥で藤森女流四段が4面指しの指導対局を行っていた。
それまで(女流)棋士には、雑誌やテレビでしか会えないと思っていたから、こんな間近に女流棋士がいることが信じられなかった。
ひとり空きが出て、私は席に座る。藤森女流四段には角落ちでお願いした。
私は緊張の極みだったが、藤森女流四段は、軽口を交えて指し手を進めてくれた。それで私も緊張を解き、わりあい正確に、指し手を進められたと思う。
それでもそこはプロで、藤森女流四段の上手らしい指し回しに、私は非勢に陥っていた。
しかしそこから、わざとなのか自然なのか、藤森女流四段が指し手を緩めてくれ、私は何とか幸いすることができた。
投了を告げるときの、藤森女流四段の天使のような笑顔は、いまでも忘れない。
このとき私は、金曜サロンに対して「いい印象」を持った。そして来週も金曜サロンにお邪魔しよう、と誓ったのだった。
もしあのとき、藤森女流四段がしかめっ面で指導対局を行い、私をコテンパンに負かしていたらどうだったか。私はプロの指導に恐れをなし、金曜サロンは終わりにしていたかもしれない。
こう考えると、あの日藤森女流四段が担当だったことはかなり運命的で、天の配剤だったとも思えるのだ。
現在の私は、物理的な距離もあり、LPSA芝浦サロンから足が遠のいている。藤森女流四段にも久しく指導対局を受けていない。
でも、藤森女流四段の温かい指導対局と太陽のような笑顔は、いまも健在である。また機会を見つけて、あのときのように教えていただこうと思っている。
学生時代に山陰地方を旅行したときのことだ。私はお城巡りが好きで、というか、高い所から下界を見下ろすのが好きで、それが天守閣からでも城跡からでもいいのだが、そのときは米子城跡に登った。
たぶん、城跡に続く階段が本当はあったのだと思う。しかし私は、山の裏道から城跡に登って行った。
しかし、行けども行けども頂上らしきものが見えない。いい加減疲れてきたところで突然、私の眼前に、パアーッ…と、視界が開いた。
そこから見渡す米子市の、広大な景色!! 心の準備を全然していなかったから、いきなりの場面転換に私は、目の前に現れた絶景に、ただただ息を飲むばかりだった。
数メートル先に、高校生と思しきカップルが肩を寄せ合って、暮れゆく秋空を眺めていたのが印象に残った。
これで私の頭には、「米子城跡=絶景」というイメージがインプットされたのだが、数年後にもう一度訪れたときは、私の期待が大きすぎたためか、それほどの感激はなかった。それでも、いまでも米子城跡は、いい印象として残っている。
宿もまた然りだ。なんてことのないユースホステルに泊まる。ところが夕食後のミーティングのときに、かわいい女の子と意気投合して、話が弾んだりする。すると、この宿はもちろん、観光地までもが、いい印象として残るのだ。
この地も2度目に訪れたときは期待外れに終わったのだが、それでも最初のいい印象が崩れることはなかった。
私が初めて「LPSA金曜サロン」に訪れたときもそうだった。これは2008年3月14日で、この日の担当は藤森奈津子女流四段(当時女流三段)だった。
私はそれまで将棋道場に行ったことはあるが、プロ棋士の指導目当てで訪れたのはこれが初めて。当然、ものすごい緊張だった。しかも藤森女流四段は、永遠のアイドル棋士である。これは誇張でも何でもなく、芸能人に生で会える、くらいの感覚だった。
入室すると、スタッフのSa氏が受付をしており、その奥で藤森女流四段が4面指しの指導対局を行っていた。
それまで(女流)棋士には、雑誌やテレビでしか会えないと思っていたから、こんな間近に女流棋士がいることが信じられなかった。
ひとり空きが出て、私は席に座る。藤森女流四段には角落ちでお願いした。
私は緊張の極みだったが、藤森女流四段は、軽口を交えて指し手を進めてくれた。それで私も緊張を解き、わりあい正確に、指し手を進められたと思う。
それでもそこはプロで、藤森女流四段の上手らしい指し回しに、私は非勢に陥っていた。
しかしそこから、わざとなのか自然なのか、藤森女流四段が指し手を緩めてくれ、私は何とか幸いすることができた。
投了を告げるときの、藤森女流四段の天使のような笑顔は、いまでも忘れない。
このとき私は、金曜サロンに対して「いい印象」を持った。そして来週も金曜サロンにお邪魔しよう、と誓ったのだった。
もしあのとき、藤森女流四段がしかめっ面で指導対局を行い、私をコテンパンに負かしていたらどうだったか。私はプロの指導に恐れをなし、金曜サロンは終わりにしていたかもしれない。
こう考えると、あの日藤森女流四段が担当だったことはかなり運命的で、天の配剤だったとも思えるのだ。
現在の私は、物理的な距離もあり、LPSA芝浦サロンから足が遠のいている。藤森女流四段にも久しく指導対局を受けていない。
でも、藤森女流四段の温かい指導対局と太陽のような笑顔は、いまも健在である。また機会を見つけて、あのときのように教えていただこうと思っている。