今朝の夢は、森下九段が登場した。何か森下九段はよそよそしい感じだった。
もちろん森下九段にも、我が夢への出演料は払わない。
(きのうのつづき)
マジックショーはあくまでもマスターの余興なので、私たちは軽食を摂る必要があるのだ。ただし、すぐ注文の品が出てくるわけではない。彼女と来ていれば間が持つが(もちろんいないが)、一人旅ではそうはいかない。ここでの時間の使い方がカギとなる。
Gパンのポケットをまさぐっていたら、大野・植山教室で配られた詰将棋が出てきた。つい解いてしまうが、旅に出てまで将棋とは、どこまで私は将棋バカなのか。
自己嫌悪に陥って、「私の10大ニュース2015」を考える。しかし今年は仕事がたてこみ大したニュースがなく、6つしかピックアップできなかった。しかも良かったニュースは一つもなし。またも自己嫌悪だ。
壁には一面にポラロイド写真やチェキ写真が貼られている。その全員が有名人で、中でも藤岡弘、は入店8回という記録の持ち主だ。このブログの読者なら誰でも知っている有名人の写真もあり、眺めているだけでも楽しい。
やっとカレーライスが運ばれてきた。レトルトっぽいが、ここで食べる食事が妙に美味いのだ。
ウエイトレスはマスターの奥さんっぽいが、よく分からない。愛想がいいほうではないが、話せば面白いひとだと私は睨んでいる。
トマトジュースが運ばれてきた。これを飲んでもまだ間が持たないが、マジック待ちのこの時間が至福ともいえる。
今日は東京でLPSAが、ファンクラブカップを戦っている。準決勝の第1局は午後1時からなので、もう始まっているはずだ。しかし観戦アプリの調子が悪く、LPSAのHPから辿って観るが、すこぶる使い勝手が悪い。将棋は渡部愛女流初段が有利のようだ。
待つこと3時間近く、ついに精算の時間になった。先に払うものを払って、あとはマジック鑑賞に専念する、ということである。
私はおカネを払った後、壱万円札から5円玉までを、ポケットに仕舞った。何かの時に出すつもりだが、この人数では無理だろう。
私はウエイトレスさんに「26」と告げられた。これは予約順に振られるもので、実はこの数字が重要なのだ。マスターがマジックの最中、ビールジョッキに入っている棒を客に引かせ、そこに書いてある数字の人を指名する。そしてその人はマスターの指示に従い、いろいろやる。このマジックショーは、お客参加型なのだ。
それにしても「26」とは大きな数字で、いままでは最大でも10番台だった。ちなみに「1」だったこともある。
午後2時過ぎ、椅子の配置替えが行われる。カウンター席は右から順番に「6」まで。当然ここが特等席で、とくに「3」はマスターの助手的存在になるので、VIP席である。
カウンターの後ろの列は立ち、そのまた後ろの列は背の高い人が立つ。さらにその後ろは椅子に長板を置いて、その上に立つ。しかし今回は人数が多いので、それだけでは足りない。さらにその後ろのテーブルの上に立つ人まで出た。
私は3列目の左から2番目。私はいつも端に立つことが多い。
2時15分、カウンターの向こうにマスターが登場した。丹波義隆風の中年男性である。しかしその風貌は、16年前と全く変わっていない。つまり若い。対して私は…。
マスター、掌のオモチャをパタパタさせて、「わーい!!」。私たちも拍手をもって歓迎する。ここから2時間余、めくるめく出来事が展開するのだ。
まず、マスターが指環を取り出す。掌に置き、「30度…」というと、指環がククッ…と浮いた。その角度が30度なのだ。「45度…」「60度…」「90度…」。その度に指環が角度を変える。私たちはどよめく。しかしこんなのは序の口の序の口なのを私は知っている。
マスターが客から指環を2つ所望する。それをマッチ箱大の木箱に入れる。振るとカラカラ音がする。それを客から借りたライターで下からあぶると、徐々にその音が小さくなった。たぶん、中の指環がなくなったのだろう。
それが意外な場所から出てきて、私たちは驚く。まあ私は何回か拝見しているが、それでもびっくりする。ただ若干余裕を持って見ているので、他者の驚愕ぶりを見て笑う感じだ。
マスターが壱万円札と千円札を所望する。それらは客から瞬時に出された。マスターが中指の先に壱万円札を立てる。お札は角を下に、ナナメに立っているのだ。これ、後からじわじわくるマジックである。
続いて千円札を丸めて、それを中空でストップさせる。客から悲鳴のような歓声が上がった。このあたりから、普通のマジックではないマジックが飛びだすのだ。
続いてESPカードのマジック。「○、□、△、×、波形」の5種類のカードを使うのだが。これがまた見事で、私も感嘆するばかりだ。
カード(トランプ)マジックに入る。いくつかマジックをやった後、マスターがカウンターに、ポータブルオーディオプレーヤーを置く。マスターに促され、アシスタント役の3番の女性が棒を引いた。「26」。
…私だった。
(つづく)
もちろん森下九段にも、我が夢への出演料は払わない。
(きのうのつづき)
マジックショーはあくまでもマスターの余興なので、私たちは軽食を摂る必要があるのだ。ただし、すぐ注文の品が出てくるわけではない。彼女と来ていれば間が持つが(もちろんいないが)、一人旅ではそうはいかない。ここでの時間の使い方がカギとなる。
Gパンのポケットをまさぐっていたら、大野・植山教室で配られた詰将棋が出てきた。つい解いてしまうが、旅に出てまで将棋とは、どこまで私は将棋バカなのか。
自己嫌悪に陥って、「私の10大ニュース2015」を考える。しかし今年は仕事がたてこみ大したニュースがなく、6つしかピックアップできなかった。しかも良かったニュースは一つもなし。またも自己嫌悪だ。
壁には一面にポラロイド写真やチェキ写真が貼られている。その全員が有名人で、中でも藤岡弘、は入店8回という記録の持ち主だ。このブログの読者なら誰でも知っている有名人の写真もあり、眺めているだけでも楽しい。
やっとカレーライスが運ばれてきた。レトルトっぽいが、ここで食べる食事が妙に美味いのだ。
ウエイトレスはマスターの奥さんっぽいが、よく分からない。愛想がいいほうではないが、話せば面白いひとだと私は睨んでいる。
トマトジュースが運ばれてきた。これを飲んでもまだ間が持たないが、マジック待ちのこの時間が至福ともいえる。
今日は東京でLPSAが、ファンクラブカップを戦っている。準決勝の第1局は午後1時からなので、もう始まっているはずだ。しかし観戦アプリの調子が悪く、LPSAのHPから辿って観るが、すこぶる使い勝手が悪い。将棋は渡部愛女流初段が有利のようだ。
待つこと3時間近く、ついに精算の時間になった。先に払うものを払って、あとはマジック鑑賞に専念する、ということである。
私はおカネを払った後、壱万円札から5円玉までを、ポケットに仕舞った。何かの時に出すつもりだが、この人数では無理だろう。
私はウエイトレスさんに「26」と告げられた。これは予約順に振られるもので、実はこの数字が重要なのだ。マスターがマジックの最中、ビールジョッキに入っている棒を客に引かせ、そこに書いてある数字の人を指名する。そしてその人はマスターの指示に従い、いろいろやる。このマジックショーは、お客参加型なのだ。
それにしても「26」とは大きな数字で、いままでは最大でも10番台だった。ちなみに「1」だったこともある。
午後2時過ぎ、椅子の配置替えが行われる。カウンター席は右から順番に「6」まで。当然ここが特等席で、とくに「3」はマスターの助手的存在になるので、VIP席である。
カウンターの後ろの列は立ち、そのまた後ろの列は背の高い人が立つ。さらにその後ろは椅子に長板を置いて、その上に立つ。しかし今回は人数が多いので、それだけでは足りない。さらにその後ろのテーブルの上に立つ人まで出た。
私は3列目の左から2番目。私はいつも端に立つことが多い。
2時15分、カウンターの向こうにマスターが登場した。丹波義隆風の中年男性である。しかしその風貌は、16年前と全く変わっていない。つまり若い。対して私は…。
マスター、掌のオモチャをパタパタさせて、「わーい!!」。私たちも拍手をもって歓迎する。ここから2時間余、めくるめく出来事が展開するのだ。
まず、マスターが指環を取り出す。掌に置き、「30度…」というと、指環がククッ…と浮いた。その角度が30度なのだ。「45度…」「60度…」「90度…」。その度に指環が角度を変える。私たちはどよめく。しかしこんなのは序の口の序の口なのを私は知っている。
マスターが客から指環を2つ所望する。それをマッチ箱大の木箱に入れる。振るとカラカラ音がする。それを客から借りたライターで下からあぶると、徐々にその音が小さくなった。たぶん、中の指環がなくなったのだろう。
それが意外な場所から出てきて、私たちは驚く。まあ私は何回か拝見しているが、それでもびっくりする。ただ若干余裕を持って見ているので、他者の驚愕ぶりを見て笑う感じだ。
マスターが壱万円札と千円札を所望する。それらは客から瞬時に出された。マスターが中指の先に壱万円札を立てる。お札は角を下に、ナナメに立っているのだ。これ、後からじわじわくるマジックである。
続いて千円札を丸めて、それを中空でストップさせる。客から悲鳴のような歓声が上がった。このあたりから、普通のマジックではないマジックが飛びだすのだ。
続いてESPカードのマジック。「○、□、△、×、波形」の5種類のカードを使うのだが。これがまた見事で、私も感嘆するばかりだ。
カード(トランプ)マジックに入る。いくつかマジックをやった後、マスターがカウンターに、ポータブルオーディオプレーヤーを置く。マスターに促され、アシスタント役の3番の女性が棒を引いた。「26」。
…私だった。
(つづく)