第43回将棋大賞の最優秀棋士賞は、羽生善治名人が受賞。1989年の初受賞から、実に21回目の受賞となった。この27年間、将棋界は羽生名人を中心に回っていたことが分かる。
この将棋大賞は1974年から始まり、第1回の最優秀棋士賞は大山康晴十段・棋聖が受賞した。
もし将棋大賞がむかしからあったなら…。最優秀棋士賞は誰が受賞したのか、考えてみた。1951年から記してみる。
1951年 木村義雄名人
1952年 木村義雄名人
1953年 大山康晴名人
1954年 大山康晴名人
1955年 大山康晴名人
1956年 大山康晴名人
1957年 大山康晴名人
1958年 升田幸三名人
1959年 升田幸三名人
1960年 大山康晴名人
1961年 大山康晴名人
1962年 大山康晴名人
1963年 大山康晴名人
1964年 大山康晴名人
1965年 大山康晴名人
1966年 大山康晴名人
1967年 大山康晴名人
1968年 大山康晴名人
1969年 大山康晴名人
1970年 大山康晴名人
1971年 大山康晴名人
1972年 中原誠十段・棋聖
1973年 中原誠名人
名人の権威絶大ナリ。名人を獲得した棋士が受賞となろう。
微妙なのは1952年で、1951年度は、第10期名人戦で木村名人が升田八段に4―2で勝って防衛。第2期九段戦では大山九段が南口繁一八段に3―0で勝ち防衛。第1期王将戦では升田八段が木村名人を4―1で香落ちに指し込んだ。
殊勲は王将戦の升田八段なのだが、「陣屋事件」でミソをつけた。よって、最優秀棋士賞は木村名人とした。
1972年も激戦だ。
まず、大山名人は名人・王将・王位を防衛。
次に中原二冠は、十段・棋聖(前・後期)を防衛。当時は準タイトル戦だった王座戦も防衛。最強者決定戦も中原二冠が優勝。さらに名人挑戦を決めた。
タイトル戦の直接対決は、第12期王位戦・大山4―3中原、第10期十段戦・中原4―2大山、第18期棋聖戦・中原3―1大山。一般棋戦も含めると、大山8―10中原となっていた。
以上を勘案して、中原二冠を最優秀棋士としてみた。
ちなみにこのタイトルの分布は、この2年後にそっくり入れ替わる。その時は大山十段・棋聖が最優秀棋士賞を受賞したから、上の判断も間違いではないと思う。
以上、夢の将棋大賞を含めると、大山十五世名人の受賞は19回となる。あらためて羽生名人の受賞の多さが際立つのだが、ほかの棋士は何をやっているのだろう。奮起してもらいたい。
この将棋大賞は1974年から始まり、第1回の最優秀棋士賞は大山康晴十段・棋聖が受賞した。
もし将棋大賞がむかしからあったなら…。最優秀棋士賞は誰が受賞したのか、考えてみた。1951年から記してみる。
1951年 木村義雄名人
1952年 木村義雄名人
1953年 大山康晴名人
1954年 大山康晴名人
1955年 大山康晴名人
1956年 大山康晴名人
1957年 大山康晴名人
1958年 升田幸三名人
1959年 升田幸三名人
1960年 大山康晴名人
1961年 大山康晴名人
1962年 大山康晴名人
1963年 大山康晴名人
1964年 大山康晴名人
1965年 大山康晴名人
1966年 大山康晴名人
1967年 大山康晴名人
1968年 大山康晴名人
1969年 大山康晴名人
1970年 大山康晴名人
1971年 大山康晴名人
1972年 中原誠十段・棋聖
1973年 中原誠名人
名人の権威絶大ナリ。名人を獲得した棋士が受賞となろう。
微妙なのは1952年で、1951年度は、第10期名人戦で木村名人が升田八段に4―2で勝って防衛。第2期九段戦では大山九段が南口繁一八段に3―0で勝ち防衛。第1期王将戦では升田八段が木村名人を4―1で香落ちに指し込んだ。
殊勲は王将戦の升田八段なのだが、「陣屋事件」でミソをつけた。よって、最優秀棋士賞は木村名人とした。
1972年も激戦だ。
まず、大山名人は名人・王将・王位を防衛。
次に中原二冠は、十段・棋聖(前・後期)を防衛。当時は準タイトル戦だった王座戦も防衛。最強者決定戦も中原二冠が優勝。さらに名人挑戦を決めた。
タイトル戦の直接対決は、第12期王位戦・大山4―3中原、第10期十段戦・中原4―2大山、第18期棋聖戦・中原3―1大山。一般棋戦も含めると、大山8―10中原となっていた。
以上を勘案して、中原二冠を最優秀棋士としてみた。
ちなみにこのタイトルの分布は、この2年後にそっくり入れ替わる。その時は大山十段・棋聖が最優秀棋士賞を受賞したから、上の判断も間違いではないと思う。
以上、夢の将棋大賞を含めると、大山十五世名人の受賞は19回となる。あらためて羽生名人の受賞の多さが際立つのだが、ほかの棋士は何をやっているのだろう。奮起してもらいたい。