カウンターには数種類のコインがたちまち置かれた。再度書くが、私からの位置では、コインを出したくても、出せなかった。
マスターの直筆の格言が母親に渡される。これは相当なお宝で、彼女は大人数で来た甲斐があったというものだろう。
「80年代に流行ったものは何ですか」
と、マスターがルービックキューブを2つ出す。これもマスターの得意技だ。まずは、それらを客に渡して遊ばせる。
それらを回収し、うち1つをマスターが解説を交え、6面の色を揃えた。注目はここからで、マスターが「35手」とか言ってカシャカシャやると、もう1つの配色とまったく同じになった。
これを将棋に譬えれば、ある中盤の局面を、終局図(指し始め図か?)から35手プレイバックして、同じ局面を作った感じだ。
さらにマスターは、キューブを頭上でカシャカシャやり(つまりキューブを見ないで)、6面揃えた。この間約8秒である。と思えば一瞬で6面を揃えたりして、初見の客はあんぐりするばかりである。
太い五寸釘が出される。マスターは客に渡し、曲げるよう指示するが、客はもちろん曲げられない。しかしマスターの手にかかると、指一本で軽く曲がってしまうのだ。
フォークが出される。これもマスターはぐにゃぐにゃと曲げてしまう。これは子供の関心を引いたのか、子供が「やらせてー」とカウンターに身を乗り出した。おいおい、勘弁してくれよと思う。マスターは無視しているが、やりにくかろう。
マスターが女性の手にフォークを握らせる。マスターが念を入れると、フォークは彼女の手の中で、グググと曲がった。子供にも持たせ、同様の結果を見せつけた。私たちはもう、訳が分からない。
500mlのコーラのペットボトルが出される。このラベルを、マスターは気合を入れ、一瞬でペットボトルの中に入れてしまった。文章にするとちょっと分かりにくいが、そういう不思議なことを、マスターはいとも簡単にやってしまう。
今度は10円玉を250mlぐらいの瓶に入れるよう試みるが、口が小さいから入らない。しかしマスターは10円玉を小さくして、瓶の中に入れてしまう。
その10円玉は瓶の中で元に戻り、今度は瓶の底から出てくる。その10円玉、今度は500円玉大に大きくなったりする。周りがどよめく。
千円札に50円玉が食い込む。その50円が、お札の中をスイスイ泳いだ。
今度は千円札にボールペンを刺す。もちろん穴が開くのだが、マスターはそのボールペンをお札の中で上下する。つまり、穴の位置がお札の中で動いているのだ。ボールペンを抜くと、お札の穴は塞がっていた。
500円玉にボールペンを貫通させる。ボールペンが抜けると、500円玉には穴が空いていた。
この異様な光景に、子供は騒ぎっ放しである。すると、彼の祖父と思しき人が動き、彼をカウンターから引き離した。
やっと動いてくれたか。しかしちょっと遅かった。それに、子供を嗜めるのは母親の役目だ。だが残念ながら彼女は、自分がマジックを楽しめれば、他者への迷惑はおかまいなしだったようである。
マスターは言う。「旅館の池でポン、ポン、と手を叩く。仲居さんは呼ばれたと思って、客室に行きますね。池の鯉は、エサをもらえると思って寄ってくる。電線に止まっていた鳥は、驚いて逃げていく。同じ音を聴いただけでも、これだけ反応が違うんですね」
そこから、
「癌という字は、口を3つ、山ほど食べる、と書きます。人は求めて、求めて…何でも欲しがりますね」
と発展していく。
「いつも忙しい、忙しい、と言っている人がいますね。でも忙しい、と言っている人ほど、忙しくないですね。忙しい、と言っていれば免罪符になりますからね。どんなに忙しくても、時間をやりくりすれば、皆さんのように時間を作って、来てくれますね」
私たちはしんみり聞き入るのである。
マスターがスプーンをかじる。それは綺麗に歯型がついて、一部がマスターの口中に消えた。
100円玉もかじってしまう。こちらも噛んだ箇所が無くなっていたが、マスターがフッと息を吹きかけると、100円玉は元に戻っていた。
マスターが別の100円玉をペロンとやると、それが湾曲した。それを、100円を出した持ち主にそのまま返却した。これは珍しい。というのも、SNSに載るのを恐れてかここ数年は、マスターはコインを元の状態に戻して返していたからだ。
いずれにしても、この100円玉も、かなりのお宝に昇格した。
そろそろマジックの終了時間が近づいてきた。ポカリスエットのペットボトルが出され、マスターはそのキャップをペットボトルの中に入れた。マスターは訓練して、最近この技ができるようになったという。
これにてマジックは終了である。時に17時16分。実に3時間におよぶマジックだった。マスターは大変な疲労だったと察するが、私たちも異次元の光景を見すぎて、驚き疲れしてしまった。
ではここで、マスターの教えをまとめておこう。
・物事は何でも良い方に良い方に考える。
・何歳になっても、つねに10年後の自分を想像し、10年前の自分、つまり現在の自分は何をすべきか考える。
・人間の能力はほとんど変わらない。ちょっとの努力が未来を変える。
・努力は3ヶ月間、続けてみる。効果が現れるのはそのあたりから。
・見返りを期待しない。
・「忙しい」と口にしない。
・食べ過ぎない。
カウンターには、ぐにゃりと曲がったスプーンとフォークが並べられる。これがここ数年のお馴染みの光景で、有料(300円)だが、みんな記念に1本購入していく。そしてマスターと握手をし、これが束の間のおしゃべりタイムとなるのだ。
たちまち列ができ、私の前のカップルは、男性が「モノを造る仕事がいい」とアドバイスを受けていた。
私の番になった。
「東京から?」
「はい…」
「東京から来ましたね」
ここで私が現在の悩みを吐きだせばいいのだろうが、第2部の時間も迫っているので、私が話を継がなかった。それは、女流棋士との感想戦を短めに切り上げるのと同じ感覚だった。それに、自分の悩みは、自分自身で解決するしかないからだ。
マスターに、脳天と腰に「気」を注入してもらったが、これで十分だった。
今日は不愉快な出来事もあったが、私は清々しい気持ちで、あんでるせんを後にした。
(つづく)
マスターの直筆の格言が母親に渡される。これは相当なお宝で、彼女は大人数で来た甲斐があったというものだろう。
「80年代に流行ったものは何ですか」
と、マスターがルービックキューブを2つ出す。これもマスターの得意技だ。まずは、それらを客に渡して遊ばせる。
それらを回収し、うち1つをマスターが解説を交え、6面の色を揃えた。注目はここからで、マスターが「35手」とか言ってカシャカシャやると、もう1つの配色とまったく同じになった。
これを将棋に譬えれば、ある中盤の局面を、終局図(指し始め図か?)から35手プレイバックして、同じ局面を作った感じだ。
さらにマスターは、キューブを頭上でカシャカシャやり(つまりキューブを見ないで)、6面揃えた。この間約8秒である。と思えば一瞬で6面を揃えたりして、初見の客はあんぐりするばかりである。
太い五寸釘が出される。マスターは客に渡し、曲げるよう指示するが、客はもちろん曲げられない。しかしマスターの手にかかると、指一本で軽く曲がってしまうのだ。
フォークが出される。これもマスターはぐにゃぐにゃと曲げてしまう。これは子供の関心を引いたのか、子供が「やらせてー」とカウンターに身を乗り出した。おいおい、勘弁してくれよと思う。マスターは無視しているが、やりにくかろう。
マスターが女性の手にフォークを握らせる。マスターが念を入れると、フォークは彼女の手の中で、グググと曲がった。子供にも持たせ、同様の結果を見せつけた。私たちはもう、訳が分からない。
500mlのコーラのペットボトルが出される。このラベルを、マスターは気合を入れ、一瞬でペットボトルの中に入れてしまった。文章にするとちょっと分かりにくいが、そういう不思議なことを、マスターはいとも簡単にやってしまう。
今度は10円玉を250mlぐらいの瓶に入れるよう試みるが、口が小さいから入らない。しかしマスターは10円玉を小さくして、瓶の中に入れてしまう。
その10円玉は瓶の中で元に戻り、今度は瓶の底から出てくる。その10円玉、今度は500円玉大に大きくなったりする。周りがどよめく。
千円札に50円玉が食い込む。その50円が、お札の中をスイスイ泳いだ。
今度は千円札にボールペンを刺す。もちろん穴が開くのだが、マスターはそのボールペンをお札の中で上下する。つまり、穴の位置がお札の中で動いているのだ。ボールペンを抜くと、お札の穴は塞がっていた。
500円玉にボールペンを貫通させる。ボールペンが抜けると、500円玉には穴が空いていた。
この異様な光景に、子供は騒ぎっ放しである。すると、彼の祖父と思しき人が動き、彼をカウンターから引き離した。
やっと動いてくれたか。しかしちょっと遅かった。それに、子供を嗜めるのは母親の役目だ。だが残念ながら彼女は、自分がマジックを楽しめれば、他者への迷惑はおかまいなしだったようである。
マスターは言う。「旅館の池でポン、ポン、と手を叩く。仲居さんは呼ばれたと思って、客室に行きますね。池の鯉は、エサをもらえると思って寄ってくる。電線に止まっていた鳥は、驚いて逃げていく。同じ音を聴いただけでも、これだけ反応が違うんですね」
そこから、
「癌という字は、口を3つ、山ほど食べる、と書きます。人は求めて、求めて…何でも欲しがりますね」
と発展していく。
「いつも忙しい、忙しい、と言っている人がいますね。でも忙しい、と言っている人ほど、忙しくないですね。忙しい、と言っていれば免罪符になりますからね。どんなに忙しくても、時間をやりくりすれば、皆さんのように時間を作って、来てくれますね」
私たちはしんみり聞き入るのである。
マスターがスプーンをかじる。それは綺麗に歯型がついて、一部がマスターの口中に消えた。
100円玉もかじってしまう。こちらも噛んだ箇所が無くなっていたが、マスターがフッと息を吹きかけると、100円玉は元に戻っていた。
マスターが別の100円玉をペロンとやると、それが湾曲した。それを、100円を出した持ち主にそのまま返却した。これは珍しい。というのも、SNSに載るのを恐れてかここ数年は、マスターはコインを元の状態に戻して返していたからだ。
いずれにしても、この100円玉も、かなりのお宝に昇格した。
そろそろマジックの終了時間が近づいてきた。ポカリスエットのペットボトルが出され、マスターはそのキャップをペットボトルの中に入れた。マスターは訓練して、最近この技ができるようになったという。
これにてマジックは終了である。時に17時16分。実に3時間におよぶマジックだった。マスターは大変な疲労だったと察するが、私たちも異次元の光景を見すぎて、驚き疲れしてしまった。
ではここで、マスターの教えをまとめておこう。
・物事は何でも良い方に良い方に考える。
・何歳になっても、つねに10年後の自分を想像し、10年前の自分、つまり現在の自分は何をすべきか考える。
・人間の能力はほとんど変わらない。ちょっとの努力が未来を変える。
・努力は3ヶ月間、続けてみる。効果が現れるのはそのあたりから。
・見返りを期待しない。
・「忙しい」と口にしない。
・食べ過ぎない。
カウンターには、ぐにゃりと曲がったスプーンとフォークが並べられる。これがここ数年のお馴染みの光景で、有料(300円)だが、みんな記念に1本購入していく。そしてマスターと握手をし、これが束の間のおしゃべりタイムとなるのだ。
たちまち列ができ、私の前のカップルは、男性が「モノを造る仕事がいい」とアドバイスを受けていた。
私の番になった。
「東京から?」
「はい…」
「東京から来ましたね」
ここで私が現在の悩みを吐きだせばいいのだろうが、第2部の時間も迫っているので、私が話を継がなかった。それは、女流棋士との感想戦を短めに切り上げるのと同じ感覚だった。それに、自分の悩みは、自分自身で解決するしかないからだ。
マスターに、脳天と腰に「気」を注入してもらったが、これで十分だった。
今日は不愉快な出来事もあったが、私は清々しい気持ちで、あんでるせんを後にした。
(つづく)