大三東駅はイメージ通り、ホームのすぐ隣に有明海が迫っていた。あっちこっちに黄色いハンカチがたなびいており、「幸福の黄色いハンカチ」を彷彿とさせる。現在はそのイメージで売り出しているらしい。
ホームは2面で、今日はイベントでもあるのか、駅舎側には運動会用テントが設えられ、多くの人々が何かの準備をしていた。
その後方には常設のステージがあり、定期的にイベントが開かれていることが推測できた。
ただ惜しむらくは、この手の無人駅にはたいていあるトイレが、ここにはなかった。ここがJRと民間鉄道の違いだろうか。何だかお腹が痛くなって、小もしたくなった。次の下りは10時22分である。その時間まで我慢できるだろうか。
じっとするにも寒くて、私はホームをうろうろする。
黄色いスーツを着た芸人が、駅名板をバックに記念撮影している。やはり今日、何かが行われるのだ。
ただし構内を撮影するには十分すぎるほどの時間がある。曇天なのがアレだが、鉄道カメラマンになったつもりで、何枚か撮った。
09時56分、上り電車が入線する。やはり駅には列車が似合う。今年はここでの写真を年賀状に使おうか。
10時22分、下り列車に乗った。このまま終点の島原外港まで乗ればいいのだが、島原駅に「鯉駅長」がいる、との情報を見て、こちらも興味がわいた。
10時35分、島原下車。やや寄り道が過ぎるが、まだ予定内の行動である。
鯉駅長は、文字通り巨大な「鯉」だった。それが駅舎内の水槽でゆったり泳いでいた。この鯉を観るために列車を1本遅らせたとは微妙だが、まあいい。
おおそうだった、何はともあれトイレである。用を足してスッキリして、もう何でも来い、の気分になった。
駅からは島原城が見えるが、今回は観光しない。ここから加津佐方面へのバスが通じているが、これは2008年に部分廃止した島原鉄道をほぼトレースしている。次のバスは11時05分だが、これは島原港を通過するはずである。
私はとりあえず10時59分の下り列車に乗った。列車は定刻を3分遅れの11時07分、終点島原外港に着いた。
ここまで仮に、諫早から1本で乗ってくれば、1.510円。1日乗車券を使えたから3割以上得したが、もう少し使い尽くしたい感じである。
次の熊本行き九商フェリーは12時20分だが、そう慌てて熊本に渡ることもない。バスに乗り、島原鉄道の部分廃線跡を供養しようと思う。何しろ今日はどこまで乗っても無料である。
島原外港駅から島原港へは近いが、その中間地点にバス停があり、これが加津佐方面に行く。私は念のため島鉄バスに電話で確認し、11時18分のバスに乗ることにした。
11時05分・島原駅前発のバスは、3分遅れの11時21分、湊町バス停を発車した。
空は快晴になり、車内にそそぐ陽光がまぶしい。しばらく走ると、左手に公園が見えてきた。1990年、雲仙普賢岳の噴火に伴う火砕流で一帯が火の海と化し、8月には荒天による土砂で、家屋の大部分が埋まってしまった。
ここを見学して折り返そうとも思ったが、何しろ交通費が「無料」である。私は降りられなかった。
右手には、遠くに高架橋が見える。島原鉄道は先の災害で運休を余儀なくされたが、1997年4月1日、被災鉄路を高架にし、全線開通した。
その鉄路に私も乗車したことがあるが、見晴らしがよくなった半面、1990年6月3日の火砕流で43人の命が犠牲になったことを思うと、複雑な気分だった。
だがその開通部分も含め、2008年4月1日に島原外港-加津佐間35.3kmが廃止になってしまう。南島原から加津佐までの赤字額がひどく、同路線には同社の路線バスも通じていたから、苦汁の決断だった。
とはいえ、全線開通からわずか11年である。復旧までに多額のおカネをつぎこんだわけで、それなら高千穂鉄道のように、休止のまま廃止にしてもよかったのではないか。
いま高架を見ると、クルマが走って見える。一般道に活用されたのだろうか。
車窓から廃線跡をチラチラ窺う。県道は意外にアップダウンしており、廃線跡がそのたびに反対側に移る。鉄道の敵は急激な高低差だから、平たい土地に鉄路が敷かれている。それゆえに意外なコースを通るから、鉄路からの車窓はおもしろいのだ。
気が付けば、廃線跡に薄い板が敷かれていた。まさか廃線跡訪問者への道しるべでもあるまいが、目印が出来て分かりやすくなった。
口之津着。隣接した港から島原フェリーの天草行きが出ているが、いくら無料でもこれに乗るわけにはいかない。
12時27分、加津佐海水浴場前着。先の電話で確認したが、島原港からここまで1時間10分もかかるとは、やや誤算だった。この調子では熊本下通アーケード街での食事はおろか、熊本をただの中継地点にせざるを得ない。
すぐ近くに旧加津佐駅があった。この駅は廃止後も一度訪れたことがあるが、トタン風の駅舎は健在で、寂れ具合もヒドくなっていなかった。
ただし見物するとなるとこれで終わりで、帰りのバスは13時ちょうどである。
近くに温泉神社、なる愉快な名前があったので、お参りする。神社は急峻な崖の中途にあり、ここが観光地ならもっと知られているのにと思う。
麓に下りるが、とくに食事処もない。あっても食す時間がない。近くのコンビニでおにぎりを1個買い、バス停の近くで頬張った。今日の行程イメージにはない行動だ。
定刻を2分遅れのバスに乗った。ほかに乗客は数人いたが、私の感覚では多い方である。車内では眠気が襲ってうつらうつらしたが、この感覚は嫌いではない。
島原港には、定刻を6分遅れの14時16分に着いた。次の熊本行きフェリーは14時50分である。熊本港からは熊本駅まで無料のシャトルバスが出ている。私はチケット(780円)を買い、シャトルバスの予約も済ませ、とりあえず表へ出た。この近くに、うまい皿うどんを食べさせる店があるからだ。
ところが…。
(つづく)
ホームは2面で、今日はイベントでもあるのか、駅舎側には運動会用テントが設えられ、多くの人々が何かの準備をしていた。
その後方には常設のステージがあり、定期的にイベントが開かれていることが推測できた。
ただ惜しむらくは、この手の無人駅にはたいていあるトイレが、ここにはなかった。ここがJRと民間鉄道の違いだろうか。何だかお腹が痛くなって、小もしたくなった。次の下りは10時22分である。その時間まで我慢できるだろうか。
じっとするにも寒くて、私はホームをうろうろする。
黄色いスーツを着た芸人が、駅名板をバックに記念撮影している。やはり今日、何かが行われるのだ。
ただし構内を撮影するには十分すぎるほどの時間がある。曇天なのがアレだが、鉄道カメラマンになったつもりで、何枚か撮った。
09時56分、上り電車が入線する。やはり駅には列車が似合う。今年はここでの写真を年賀状に使おうか。
10時22分、下り列車に乗った。このまま終点の島原外港まで乗ればいいのだが、島原駅に「鯉駅長」がいる、との情報を見て、こちらも興味がわいた。
10時35分、島原下車。やや寄り道が過ぎるが、まだ予定内の行動である。
鯉駅長は、文字通り巨大な「鯉」だった。それが駅舎内の水槽でゆったり泳いでいた。この鯉を観るために列車を1本遅らせたとは微妙だが、まあいい。
おおそうだった、何はともあれトイレである。用を足してスッキリして、もう何でも来い、の気分になった。
駅からは島原城が見えるが、今回は観光しない。ここから加津佐方面へのバスが通じているが、これは2008年に部分廃止した島原鉄道をほぼトレースしている。次のバスは11時05分だが、これは島原港を通過するはずである。
私はとりあえず10時59分の下り列車に乗った。列車は定刻を3分遅れの11時07分、終点島原外港に着いた。
ここまで仮に、諫早から1本で乗ってくれば、1.510円。1日乗車券を使えたから3割以上得したが、もう少し使い尽くしたい感じである。
次の熊本行き九商フェリーは12時20分だが、そう慌てて熊本に渡ることもない。バスに乗り、島原鉄道の部分廃線跡を供養しようと思う。何しろ今日はどこまで乗っても無料である。
島原外港駅から島原港へは近いが、その中間地点にバス停があり、これが加津佐方面に行く。私は念のため島鉄バスに電話で確認し、11時18分のバスに乗ることにした。
11時05分・島原駅前発のバスは、3分遅れの11時21分、湊町バス停を発車した。
空は快晴になり、車内にそそぐ陽光がまぶしい。しばらく走ると、左手に公園が見えてきた。1990年、雲仙普賢岳の噴火に伴う火砕流で一帯が火の海と化し、8月には荒天による土砂で、家屋の大部分が埋まってしまった。
ここを見学して折り返そうとも思ったが、何しろ交通費が「無料」である。私は降りられなかった。
右手には、遠くに高架橋が見える。島原鉄道は先の災害で運休を余儀なくされたが、1997年4月1日、被災鉄路を高架にし、全線開通した。
その鉄路に私も乗車したことがあるが、見晴らしがよくなった半面、1990年6月3日の火砕流で43人の命が犠牲になったことを思うと、複雑な気分だった。
だがその開通部分も含め、2008年4月1日に島原外港-加津佐間35.3kmが廃止になってしまう。南島原から加津佐までの赤字額がひどく、同路線には同社の路線バスも通じていたから、苦汁の決断だった。
とはいえ、全線開通からわずか11年である。復旧までに多額のおカネをつぎこんだわけで、それなら高千穂鉄道のように、休止のまま廃止にしてもよかったのではないか。
いま高架を見ると、クルマが走って見える。一般道に活用されたのだろうか。
車窓から廃線跡をチラチラ窺う。県道は意外にアップダウンしており、廃線跡がそのたびに反対側に移る。鉄道の敵は急激な高低差だから、平たい土地に鉄路が敷かれている。それゆえに意外なコースを通るから、鉄路からの車窓はおもしろいのだ。
気が付けば、廃線跡に薄い板が敷かれていた。まさか廃線跡訪問者への道しるべでもあるまいが、目印が出来て分かりやすくなった。
口之津着。隣接した港から島原フェリーの天草行きが出ているが、いくら無料でもこれに乗るわけにはいかない。
12時27分、加津佐海水浴場前着。先の電話で確認したが、島原港からここまで1時間10分もかかるとは、やや誤算だった。この調子では熊本下通アーケード街での食事はおろか、熊本をただの中継地点にせざるを得ない。
すぐ近くに旧加津佐駅があった。この駅は廃止後も一度訪れたことがあるが、トタン風の駅舎は健在で、寂れ具合もヒドくなっていなかった。
ただし見物するとなるとこれで終わりで、帰りのバスは13時ちょうどである。
近くに温泉神社、なる愉快な名前があったので、お参りする。神社は急峻な崖の中途にあり、ここが観光地ならもっと知られているのにと思う。
麓に下りるが、とくに食事処もない。あっても食す時間がない。近くのコンビニでおにぎりを1個買い、バス停の近くで頬張った。今日の行程イメージにはない行動だ。
定刻を2分遅れのバスに乗った。ほかに乗客は数人いたが、私の感覚では多い方である。車内では眠気が襲ってうつらうつらしたが、この感覚は嫌いではない。
島原港には、定刻を6分遅れの14時16分に着いた。次の熊本行きフェリーは14時50分である。熊本港からは熊本駅まで無料のシャトルバスが出ている。私はチケット(780円)を買い、シャトルバスの予約も済ませ、とりあえず表へ出た。この近くに、うまい皿うどんを食べさせる店があるからだ。
ところが…。
(つづく)