割り箸で当たった女性に、マスターが恋人の名前当てを行う。
「(あなたの脳裏に)2人映ってますよ」
と、これはマスターお得意のジョークである。
結局、マスターは恋人のフルネームをピタリと当てた。どうもマスターは、女性の脳裏に浮かぶ漢字を読み取っているようだ。
私たちは驚くが、最もビックリしているのは当てられた本人である。ヒトは本当に驚くと絶句するらしく、彼女も固まっていた。
私の前の子供2人は、あっちに行ったりこっちに行ったりだ。だいたいが子供は毎日が不思議体験の連続で、マジックの不思議な現象もそれほど驚かない。講話に至っては聞く耳すら持たないわけで、ここは退屈な場でしかない。そう、彼らはあんでるせんの客として、無理があったのだ。この母親はそのことを分かっていなかった。
マスターは続いて、好きな芸能人当てをやる。
マスターがカウンターの上に、福山雅治、EXILE・TAKAHIRO、西島秀俊、小栗旬など、9人の俳優or歌手のカードを並べる。また別の女性が当たり、マスターはこれらのカードの中から、彼女の好きな芸能人ベスト5を「順位通り」に当てることになった。
これ、以前は芸能人5人の中からベスト1を当てる形だったが、それだと正解率が20%になってしまう。9人中5人を順序よく当てるとなれば、単純計算で15,120分の1になる。これは相当ハードルが高くなった。
が、マスターはこれもピタリと正解した。彼女は私のナナメ前にいたが、私には彼女の驚く様子が手に取るように分かる。そして私たちは、大歓声と拍手をもって、マスターのマジックに賛辞を贈るのである。
ところで私は、ここまで割り箸が当たっていない。私は比較的当たるほうだったのだが、ここ数年はサッパリだ。「恋人当て」は私もやってもらいたいが、要は私に「当たりたい」という気持ちが薄らいでいるのだろう。
「あなたは将来結婚しますよ」
新たに当たった男性に、マスターは告げる。私もマスターに過去3回そう言われたことがあるのだが、いまだに実現していない。相手の影すらも見えない。
マスターは、釣りに出た親子の話をする。これも定番の話で、偉そうにしている父親も、実は子供と同程度のアタマしかない、というオチである。そこから導かれる教えとして、
「どうせ同程度のアタマなら、のんびりして一生を過ごそう」
「同程度のアタマなら、ちょっと努力したら、みんなより上に行けるのではないか」
という2択に分かれる。マスターとしては、暗に後者を推奨しているわけだ。だが私は、後者にしなければならない、と思いつつ、ラクな前者を選んでしまった。ここに私の精神的弱さがある。私はアリになれないキリギリスだったわけだ。
2時間ぐらい経ったころか。大テーブルの上に立っていた小学生(3人の子供のうちの1人)は、さっきからゴホゴホやっていたが、ついにその場を離れ、近くの椅子の上に横になってしまった。だいぶ体調がわるかったらしい。
例の母親の子供である。たびたび引き合いに出して申し訳ないが、子供の体調がわるかったら、ふつうは家に置いてくるか、外出そのものを中止する。マジックショーで2~3時間立ちっ放しになることを思えば、それは当然の措置であろう。しかし母親は、おのれのマジックショー見たさに、その決断ができなかった。
今度はお客の生年月日当てである。3の女性が割り箸を引くと、若干騒がしい男の子に当たった。
これが抽選の運不運というか、ほかに当たりたい成人がいるだろうに、もったいないことだ。
今回は誕生日当てに加え、悩みごと等をメモに書くと、マスターがそのメモを見ずに、回答してくれる特典がある。しかし子供に悩みはないので、あの母親が「聞きたいこと」を質問することになった。
まず電卓を使って、任意の5人が彼の誕生日を当てる。この方法がまた斬新なのだが、5人の導き出した答えは、まさに彼の誕生日だった。私はマスターのマジックを数百種類と見てきたが、このネタ?が最も分からない。興味ある読者には、もうライヴで見ていただくしかない。
注目の「聞きたいこと」は、「どうして手品を始めるようになったんですか?」だった。
私は彼女自身の悩みごとを聞くと思っていたが、まさかマスターへの質問を記入するとは思わなかった。
マスターは「これは手品ではありませんよ」と否定した。「だって手品じゃ片付けられないこともやっていますからね」。
マスターには珍しく、ちょっとムッとしたように見えた。
このあんでるせん、ネットではその存在が全国的に知られているが、中には快く思わない手合いもいて、その主張は「ただの手品なのに、超能力に思わせている」というものである。
確かにマジックの中には、セロなどの有名マジシャンとほぼ同じネタがあったりするので、私は第三者の意見を全否定しない。しかしマスターの言う通り、マジックでは片づけられないネタもあるのだ。
それらの批判をマスターも知ってか知らずか、表の電光掲示板には「マジックパーラー」と出している。
さらに書けば、マスターのショーはあくまでも余興であって、お代は飲食代のみである。私たちは金銭的被害がないのだから、マスターの批判をするのは見当違いである。
とはいえハッキリ「超能力」と書いてもマスターはこそばゆいだろうから、当ブログでは「マジック」と表記しているわけである。
マスターがA5サイズの用紙に、何やら書き始める。何かの諺らしく、それも母親へのプレゼントとなる。その間マスターは、みなからコインを所望した。すると母親が、
「○○君、この500円、渡してきて」
とお金を渡した。
子供を中継する手があったか!
私は母親のしたたかさに脱帽した。
(つづく)
「(あなたの脳裏に)2人映ってますよ」
と、これはマスターお得意のジョークである。
結局、マスターは恋人のフルネームをピタリと当てた。どうもマスターは、女性の脳裏に浮かぶ漢字を読み取っているようだ。
私たちは驚くが、最もビックリしているのは当てられた本人である。ヒトは本当に驚くと絶句するらしく、彼女も固まっていた。
私の前の子供2人は、あっちに行ったりこっちに行ったりだ。だいたいが子供は毎日が不思議体験の連続で、マジックの不思議な現象もそれほど驚かない。講話に至っては聞く耳すら持たないわけで、ここは退屈な場でしかない。そう、彼らはあんでるせんの客として、無理があったのだ。この母親はそのことを分かっていなかった。
マスターは続いて、好きな芸能人当てをやる。
マスターがカウンターの上に、福山雅治、EXILE・TAKAHIRO、西島秀俊、小栗旬など、9人の俳優or歌手のカードを並べる。また別の女性が当たり、マスターはこれらのカードの中から、彼女の好きな芸能人ベスト5を「順位通り」に当てることになった。
これ、以前は芸能人5人の中からベスト1を当てる形だったが、それだと正解率が20%になってしまう。9人中5人を順序よく当てるとなれば、単純計算で15,120分の1になる。これは相当ハードルが高くなった。
が、マスターはこれもピタリと正解した。彼女は私のナナメ前にいたが、私には彼女の驚く様子が手に取るように分かる。そして私たちは、大歓声と拍手をもって、マスターのマジックに賛辞を贈るのである。
ところで私は、ここまで割り箸が当たっていない。私は比較的当たるほうだったのだが、ここ数年はサッパリだ。「恋人当て」は私もやってもらいたいが、要は私に「当たりたい」という気持ちが薄らいでいるのだろう。
「あなたは将来結婚しますよ」
新たに当たった男性に、マスターは告げる。私もマスターに過去3回そう言われたことがあるのだが、いまだに実現していない。相手の影すらも見えない。
マスターは、釣りに出た親子の話をする。これも定番の話で、偉そうにしている父親も、実は子供と同程度のアタマしかない、というオチである。そこから導かれる教えとして、
「どうせ同程度のアタマなら、のんびりして一生を過ごそう」
「同程度のアタマなら、ちょっと努力したら、みんなより上に行けるのではないか」
という2択に分かれる。マスターとしては、暗に後者を推奨しているわけだ。だが私は、後者にしなければならない、と思いつつ、ラクな前者を選んでしまった。ここに私の精神的弱さがある。私はアリになれないキリギリスだったわけだ。
2時間ぐらい経ったころか。大テーブルの上に立っていた小学生(3人の子供のうちの1人)は、さっきからゴホゴホやっていたが、ついにその場を離れ、近くの椅子の上に横になってしまった。だいぶ体調がわるかったらしい。
例の母親の子供である。たびたび引き合いに出して申し訳ないが、子供の体調がわるかったら、ふつうは家に置いてくるか、外出そのものを中止する。マジックショーで2~3時間立ちっ放しになることを思えば、それは当然の措置であろう。しかし母親は、おのれのマジックショー見たさに、その決断ができなかった。
今度はお客の生年月日当てである。3の女性が割り箸を引くと、若干騒がしい男の子に当たった。
これが抽選の運不運というか、ほかに当たりたい成人がいるだろうに、もったいないことだ。
今回は誕生日当てに加え、悩みごと等をメモに書くと、マスターがそのメモを見ずに、回答してくれる特典がある。しかし子供に悩みはないので、あの母親が「聞きたいこと」を質問することになった。
まず電卓を使って、任意の5人が彼の誕生日を当てる。この方法がまた斬新なのだが、5人の導き出した答えは、まさに彼の誕生日だった。私はマスターのマジックを数百種類と見てきたが、このネタ?が最も分からない。興味ある読者には、もうライヴで見ていただくしかない。
注目の「聞きたいこと」は、「どうして手品を始めるようになったんですか?」だった。
私は彼女自身の悩みごとを聞くと思っていたが、まさかマスターへの質問を記入するとは思わなかった。
マスターは「これは手品ではありませんよ」と否定した。「だって手品じゃ片付けられないこともやっていますからね」。
マスターには珍しく、ちょっとムッとしたように見えた。
このあんでるせん、ネットではその存在が全国的に知られているが、中には快く思わない手合いもいて、その主張は「ただの手品なのに、超能力に思わせている」というものである。
確かにマジックの中には、セロなどの有名マジシャンとほぼ同じネタがあったりするので、私は第三者の意見を全否定しない。しかしマスターの言う通り、マジックでは片づけられないネタもあるのだ。
それらの批判をマスターも知ってか知らずか、表の電光掲示板には「マジックパーラー」と出している。
さらに書けば、マスターのショーはあくまでも余興であって、お代は飲食代のみである。私たちは金銭的被害がないのだから、マスターの批判をするのは見当違いである。
とはいえハッキリ「超能力」と書いてもマスターはこそばゆいだろうから、当ブログでは「マジック」と表記しているわけである。
マスターがA5サイズの用紙に、何やら書き始める。何かの諺らしく、それも母親へのプレゼントとなる。その間マスターは、みなからコインを所望した。すると母親が、
「○○君、この500円、渡してきて」
とお金を渡した。
子供を中継する手があったか!
私は母親のしたたかさに脱帽した。
(つづく)