昨年末に行われた第45期棋王戦・本田奎四段と佐々木大地五段の挑戦者決定二番勝負第2局は、本田四段の勝ち。本田四段は棋士デビューから史上2番目の早さでタイトル戦登場を決めた。また、初出場棋戦でのタイトル戦は、藤井聡太七段もなし得なかった、史上初の快挙となる。これで本田四段は五段に昇段した。
では、過去に四段でタイトル戦登場を決めた例と、その番勝負を記しておこう。
1989年 第55期棋聖戦 屋敷伸之四段○●●○●中原誠棋聖
1992年 第60期棋聖戦 郷田真隆四段○●●●谷川浩司棋聖
1992年 第33期王位戦 郷田真隆四段○○○●●○谷川浩司王位
以上3例である。やはりC級2組在籍の棋士が挑戦まで辿り着くのは容易ではないのだ。ではその軌跡も詳解しよう。
●第55期棋聖戦の屋敷四段
一次予選…池田修一六段(C級2組)→剱持松二七段(C級1組)→小野敦生五段(C級1組)→佐藤義則七段(C級1組)→安西勝一四段(C級2組)
二次予選…田丸昇七段(B級1組)→桜井昇七段(B級2組)
決勝トーナメント…島朗竜王(B級2組)→桐山清澄九段(A級)→塚田泰明八段(A級)→高橋道雄八段(A級)
屋敷現九段は1988年10月、16歳でデビュー。第55期棋聖戦では一次予選から11連勝した。ことに決勝トーナメントでは時の竜王とA級3名に勝利と、申し分なかった。
挑戦権獲得時は17歳10ヶ月で、デビューから1年2ヶ月。ともに史上最年少と最速記録である。
注目の五番勝負は中原棋聖に2勝3敗で惜敗したが、翌56期ではC級1組五段としてリターンマッチに成功する。結果、2連敗3連勝で逆転奪取。18歳6ヶ月でタイトル獲得は最年少記録、デビューから1年10ヶ月での戴冠も史上最速記録となった。
●第60期棋聖戦の郷田四段
二次予選…鈴木輝彦七段(B級2組)→田丸昇七段(B級1組)→勝浦修九段(B級2組)
決勝トーナメント…羽生善治棋王(B級2組)→加藤一二三九段(B級1組)→中原誠名人→阿部隆五段(C級1組)
郷田現九段は1990年4月、19歳でデビュー。第60期棋聖戦でタイトル戦に初登場した。
だが不思議なことに?この期は二次予選からの出場である。これは初参加の第57期で10連勝し挑戦者決定戦まで勝ち上がり(森下卓六段に敗れる)、翌58期も挑戦者決定戦に勝ち上がり(南芳一王将に敗れる)、翌59期も決勝トーナメントに出場したからである。
つまり第57期で郷田四段が挑戦者決定戦に勝っていたら、デビュー8ヶ月でタイトル戦に登場という、とんでもない記録が生まれていたことになる。
谷川棋聖との五番勝負では、1勝3敗で敗れた。
●第33期王位戦の郷田四段
挑戦者決定リーグ白組…●加藤一二三九段(B級1組)、○杉本昌隆四段(C級2組)、○中原誠名人、○富岡英作七段(B級1組)、●小林健二八段(A級)
プレーオフ…加藤九段→中原名人
挑戦者決定戦…佐藤康光六段(C級1組)
棋聖戦では谷川棋聖に敗れるも、平行して戦っていた第33期王位戦でも大活躍を見せた。
まず、挑戦者決定リーグから出場しているのは、前期予選からリーグ入りし、残留したからである。
第33期リーグ戦では3勝2敗が4人出て、郷田四段はプレーオフのミニトーナメントを勝ち抜き、挑戦者決定戦に進出した。時の中原名人に本割、プレーオフと連勝したのだからすごい。
そして郷田四段は佐藤六段との挑戦者決定戦も勝ち、谷川王位(竜王)から4勝2敗で王位を奪取する。「四段でのタイトル」という快記録となるのである。
なお屋敷四段の時もそうだが、当時はタイトル戦に登場しても特別昇段はなく、この時はタイトル獲得の翌月1日に「類まれなる成績」として、五段昇段となった。よって「四段でタイトル」は、郷田四段だけの記録となった。
このように、「郷田四段」は恐ろしく強かった。新四段はいつの世も強いが、郷田四段こそ歴代最強の四段と思う。
では、第45期棋王戦の本田四段の軌跡も見てみる。
予選…勝又清和六段(フリークラス)→中村修九段(B級2組)→阿部光瑠六段(C級2組)→永瀬拓矢七段(B級1組)→増田康宏六段(C級1組)
挑戦者決定トーナメント…行方尚史八段(A級)→佐藤天彦九段(A級)→村山慈明七段(B級2組)→丸山忠久九段(B級2組)→広瀬章人竜王(A級)→佐々木大地五段(C級1組)
こちらも挑戦者決定トーナメントで、竜王を含むA級3人と、元名人を撃破。堂々の戦績である。
現棋王は渡辺明三冠で、最大の難敵である。屋敷四段と郷田四段の初タイトル戦がいずれも敗退だったことを考えると、本田五段は相当な勝負を覚悟しなければならない。
もっとも本田五段はすでに五段であるし、7日の王位戦予選決勝では、挑戦者決定戦の相手だった佐々木五段が渡辺三冠を破った。これは発奮材料となろう。
もとより本田五段に恐いものはなく、無心で五番勝負に臨むだろう。五番勝負は2月1日(土)、金沢市で開幕する。
では、過去に四段でタイトル戦登場を決めた例と、その番勝負を記しておこう。
1989年 第55期棋聖戦 屋敷伸之四段○●●○●中原誠棋聖
1992年 第60期棋聖戦 郷田真隆四段○●●●谷川浩司棋聖
1992年 第33期王位戦 郷田真隆四段○○○●●○谷川浩司王位
以上3例である。やはりC級2組在籍の棋士が挑戦まで辿り着くのは容易ではないのだ。ではその軌跡も詳解しよう。
●第55期棋聖戦の屋敷四段
一次予選…池田修一六段(C級2組)→剱持松二七段(C級1組)→小野敦生五段(C級1組)→佐藤義則七段(C級1組)→安西勝一四段(C級2組)
二次予選…田丸昇七段(B級1組)→桜井昇七段(B級2組)
決勝トーナメント…島朗竜王(B級2組)→桐山清澄九段(A級)→塚田泰明八段(A級)→高橋道雄八段(A級)
屋敷現九段は1988年10月、16歳でデビュー。第55期棋聖戦では一次予選から11連勝した。ことに決勝トーナメントでは時の竜王とA級3名に勝利と、申し分なかった。
挑戦権獲得時は17歳10ヶ月で、デビューから1年2ヶ月。ともに史上最年少と最速記録である。
注目の五番勝負は中原棋聖に2勝3敗で惜敗したが、翌56期ではC級1組五段としてリターンマッチに成功する。結果、2連敗3連勝で逆転奪取。18歳6ヶ月でタイトル獲得は最年少記録、デビューから1年10ヶ月での戴冠も史上最速記録となった。
●第60期棋聖戦の郷田四段
二次予選…鈴木輝彦七段(B級2組)→田丸昇七段(B級1組)→勝浦修九段(B級2組)
決勝トーナメント…羽生善治棋王(B級2組)→加藤一二三九段(B級1組)→中原誠名人→阿部隆五段(C級1組)
郷田現九段は1990年4月、19歳でデビュー。第60期棋聖戦でタイトル戦に初登場した。
だが不思議なことに?この期は二次予選からの出場である。これは初参加の第57期で10連勝し挑戦者決定戦まで勝ち上がり(森下卓六段に敗れる)、翌58期も挑戦者決定戦に勝ち上がり(南芳一王将に敗れる)、翌59期も決勝トーナメントに出場したからである。
つまり第57期で郷田四段が挑戦者決定戦に勝っていたら、デビュー8ヶ月でタイトル戦に登場という、とんでもない記録が生まれていたことになる。
谷川棋聖との五番勝負では、1勝3敗で敗れた。
●第33期王位戦の郷田四段
挑戦者決定リーグ白組…●加藤一二三九段(B級1組)、○杉本昌隆四段(C級2組)、○中原誠名人、○富岡英作七段(B級1組)、●小林健二八段(A級)
プレーオフ…加藤九段→中原名人
挑戦者決定戦…佐藤康光六段(C級1組)
棋聖戦では谷川棋聖に敗れるも、平行して戦っていた第33期王位戦でも大活躍を見せた。
まず、挑戦者決定リーグから出場しているのは、前期予選からリーグ入りし、残留したからである。
第33期リーグ戦では3勝2敗が4人出て、郷田四段はプレーオフのミニトーナメントを勝ち抜き、挑戦者決定戦に進出した。時の中原名人に本割、プレーオフと連勝したのだからすごい。
そして郷田四段は佐藤六段との挑戦者決定戦も勝ち、谷川王位(竜王)から4勝2敗で王位を奪取する。「四段でのタイトル」という快記録となるのである。
なお屋敷四段の時もそうだが、当時はタイトル戦に登場しても特別昇段はなく、この時はタイトル獲得の翌月1日に「類まれなる成績」として、五段昇段となった。よって「四段でタイトル」は、郷田四段だけの記録となった。
このように、「郷田四段」は恐ろしく強かった。新四段はいつの世も強いが、郷田四段こそ歴代最強の四段と思う。
では、第45期棋王戦の本田四段の軌跡も見てみる。
予選…勝又清和六段(フリークラス)→中村修九段(B級2組)→阿部光瑠六段(C級2組)→永瀬拓矢七段(B級1組)→増田康宏六段(C級1組)
挑戦者決定トーナメント…行方尚史八段(A級)→佐藤天彦九段(A級)→村山慈明七段(B級2組)→丸山忠久九段(B級2組)→広瀬章人竜王(A級)→佐々木大地五段(C級1組)
こちらも挑戦者決定トーナメントで、竜王を含むA級3人と、元名人を撃破。堂々の戦績である。
現棋王は渡辺明三冠で、最大の難敵である。屋敷四段と郷田四段の初タイトル戦がいずれも敗退だったことを考えると、本田五段は相当な勝負を覚悟しなければならない。
もっとも本田五段はすでに五段であるし、7日の王位戦予選決勝では、挑戦者決定戦の相手だった佐々木五段が渡辺三冠を破った。これは発奮材料となろう。
もとより本田五段に恐いものはなく、無心で五番勝負に臨むだろう。五番勝負は2月1日(土)、金沢市で開幕する。