折田翔吾アマの棋士編入試験五番勝負の第3局が27日(月)に迫ってきた。第3局の相手は山本博志四段。
ここまで折田アマの1勝1敗。第4局に棋王戦挑戦者の本田奎五段が控えているので、実質は第3局がカド番みたいなものだ。折田アマは結構崖っ淵に立たされている。
ところで折田アマは受験料の50万円(+消費税)を、クラウドファンディングで調達したことで話題になった。
昨今流行りのアイテムであるが、これが第1局開始前までに500万円以上も集まったというから驚いた。ちなみに私は送金していない。
私はあまり詳しくないのだが、同システムは、金銭の返還のない「寄付型」、金銭の返還がある「投資型」、何らかを購入する「購入型」があるらしい。
私は「投資型」の募集と捉えていたのだが、「寄付型」だったようだ(いや、送金者にはサイン色紙の返礼があるというから、「購入型」ともいえる)。
これだけのお金が一度に入ってきたら、大抵の者は天下を取った気分になるのではないか。
果たして折田アマは盤駒、パソコンを購入し、アマ強豪と練習将棋を行ったようだ。これらが結構な金額になったらしい。お金はあればあったで、遣ってしまうものなのだ。
ただ私のようなひねくれ者は、ついイヤミを言いたくなってしまう。
人生の大勝負にヒト様のお金でトライして、いい結果が出るだろうか、と。
私は米長邦雄永世棋聖の会長としての手腕を高く評価していて、連盟内で何かあるたび、もし米長会長が存命だったらどんな見解を持つか、と考える。
今回は「人生の一大事にヒト様から借りを作るのは、運を逃がしてよくない。貸し方に回るべきである」とか述べる気がしてならないのだ。
折田アマがプロ公式戦で10勝2敗の成績を収めたのは、奨励会時代のプレッシャーから解放されて、伸び伸び指せたことにあると思う。
今回も再びプレッシャーが懸かるわけだが、そこに「寄付をしてくれた人の期待にも応えねばならぬ」と、新たなプレッシャーは加わらないのだろうか。
もちろん、多くの人から施しを受けることで、運も同時にいただく、という考え方もできる。しかし今回は、それが当てはまらない気がする。
また今回折田アマは、潤沢に時間を使って将棋の勉強をしているようだが、人間、時間があれば何でもできるというわけではない。私のようなクズがいい例で、まあそれは措くにしても、時間がないほうが余計なことを考えずに物事に集中できる、ということもある。
よって折田アマは、少しはあるであろう貯金から受験料を捻出し、少ない自由時間をやりくりして、いままで通りの方法で勉強をするべきだったと考える。
受験に際してこれまでのペースを変えるのは、逆に自分を見失うことにもなると思うのだが、どうだろうか。
ここまで折田アマの1勝1敗。第4局に棋王戦挑戦者の本田奎五段が控えているので、実質は第3局がカド番みたいなものだ。折田アマは結構崖っ淵に立たされている。
ところで折田アマは受験料の50万円(+消費税)を、クラウドファンディングで調達したことで話題になった。
昨今流行りのアイテムであるが、これが第1局開始前までに500万円以上も集まったというから驚いた。ちなみに私は送金していない。
私はあまり詳しくないのだが、同システムは、金銭の返還のない「寄付型」、金銭の返還がある「投資型」、何らかを購入する「購入型」があるらしい。
私は「投資型」の募集と捉えていたのだが、「寄付型」だったようだ(いや、送金者にはサイン色紙の返礼があるというから、「購入型」ともいえる)。
これだけのお金が一度に入ってきたら、大抵の者は天下を取った気分になるのではないか。
果たして折田アマは盤駒、パソコンを購入し、アマ強豪と練習将棋を行ったようだ。これらが結構な金額になったらしい。お金はあればあったで、遣ってしまうものなのだ。
ただ私のようなひねくれ者は、ついイヤミを言いたくなってしまう。
人生の大勝負にヒト様のお金でトライして、いい結果が出るだろうか、と。
私は米長邦雄永世棋聖の会長としての手腕を高く評価していて、連盟内で何かあるたび、もし米長会長が存命だったらどんな見解を持つか、と考える。
今回は「人生の一大事にヒト様から借りを作るのは、運を逃がしてよくない。貸し方に回るべきである」とか述べる気がしてならないのだ。
折田アマがプロ公式戦で10勝2敗の成績を収めたのは、奨励会時代のプレッシャーから解放されて、伸び伸び指せたことにあると思う。
今回も再びプレッシャーが懸かるわけだが、そこに「寄付をしてくれた人の期待にも応えねばならぬ」と、新たなプレッシャーは加わらないのだろうか。
もちろん、多くの人から施しを受けることで、運も同時にいただく、という考え方もできる。しかし今回は、それが当てはまらない気がする。
また今回折田アマは、潤沢に時間を使って将棋の勉強をしているようだが、人間、時間があれば何でもできるというわけではない。私のようなクズがいい例で、まあそれは措くにしても、時間がないほうが余計なことを考えずに物事に集中できる、ということもある。
よって折田アマは、少しはあるであろう貯金から受験料を捻出し、少ない自由時間をやりくりして、いままで通りの方法で勉強をするべきだったと考える。
受験に際してこれまでのペースを変えるのは、逆に自分を見失うことにもなると思うのだが、どうだろうか。