先日、神戸市の児童相談所のバカ職員が、真夜中に助けを求めに来た小学生の女児を、ロクに話も聞かず、追い返したという。その職員の言い訳がふるっていて、「女児が大人に見えた」「いたずらだと思った」だった。
近年は虐待事件に対し国民の関心も高まっているが、児童相談所や教育関係者には相変わらず危機感がなく、私は空いた口が塞がらない。
常識的に考えて、女性が夜中に訪ねてきたら(汚らしいオッサンなら話は別)、何はともあれ中に入れ、話のひとつも聞くのが筋じゃないのか?
女児を保護したって臨時収入があるわけでなし、面倒事が増えるだけ。だから職員は女児を追い返した。目黒区の事件、野田市の事件が全く教訓になっていないのが情けない。ま、職員の職業意識などこんなものだ。
なお今回の女児も親から虐待に遭っていて、女児は警察に駆け込み、無事保護された。
今回の件、たまたま職員が怠惰だったと大半の市民は思っているかもしれないが、私は全国的に行われていると見る。今回はたまたま、「放置」が明るみに出てしまっただけだ。
それなのに以前、児童相談所のお偉方が「市民が児童相談所を介さず警察に駆けこむようになると、児童相談所の存在意義がなくなる」と不満を述べていた。
お前らがこんなふうに怠惰だから、虐待の被害者は直接警察に駆けこまざるを得なくなるのだ。
「児童相談所は無能」は私が当ブログで主張してきたことだが、その思いに微塵の揺るぎもない。
というところで、21日は野田市の事件の初公判があった。私は例によってこの話はなるべく見ない、聞かないようにしているのだが、どうやってもニュースが入ってきてしまう。
今回は女児が亡くなる何ヶ月か前に自分に宛てた手紙が公開されたが、これがとても前向きな力強い内容で、私は涙が抑えきれなかった。
この最中も女児は苛烈な虐待を受けていたわけだが、それを微塵も感じさせない。目黒区の女児の手紙もそうだが、ふたりは大変な文才がある。その才能をメチャクチャにした鬼畜に、私は怒りを抑えきれないのである。
今回は、鬼畜の父親が、虐待は認めたものの、殺人があったその日は、女児に冷水を浴びせたことを否定したという。
それでよい。この鬼畜には容疑を否認し続けてもらい、裁判官の心象を悪くしてもらわないと困る。
目黒区の公判では鬼畜が法廷で泣き崩れたため、求刑が懲役18年だったのに、判決は懲役13年に減刑されてしまった。
あのな、泣いて懲役が短くなるんだったら、やつら鬼畜はいくらでも泣くよ。
女児が何百回泣いて許しを請うても虐待を続けた鬼畜が、反省などするわけなかろう。裁判官も人が良すぎてヘドが出る。今回は絶対に同じ轍をに踏んではいけない。ともあれまず検察は、考え得る最も重い刑を求刑してほしい。
ただ今回は、児童相談所や教育委員会、学校関係者が女児のSOSをそろって無視した上、女児を鬼畜の元に返してしまったという事実がある。確か児童相談所のバカは、「家族間で解決してもらおうと思った」とかぬかしやがった。
バカか。両親揃って鬼畜なのに、話し合いも何もなかろう。この鬼畜は本当にヤバイ男で、関係者もそれが分かっていたのに、関係者は女児を生け贄に差し出した。その鬼畜に対面せねばならなくなった女児の恐怖はいかばかりだったか、それを想像するだけでも震えがくる。
話を戻す。上の関係者の中にひとりだけでもまともな人間がいたら、女児は死なずに済んだのだ。私が御子柴礼司だったらそこを衝く。
だけど裁判所はその主張を無視し、万人が納得する判決を望む。そして近い将来、虐待での死亡事件は殺人罪を適用できるよう、早急の法改正を望むものである。
近年は虐待事件に対し国民の関心も高まっているが、児童相談所や教育関係者には相変わらず危機感がなく、私は空いた口が塞がらない。
常識的に考えて、女性が夜中に訪ねてきたら(汚らしいオッサンなら話は別)、何はともあれ中に入れ、話のひとつも聞くのが筋じゃないのか?
女児を保護したって臨時収入があるわけでなし、面倒事が増えるだけ。だから職員は女児を追い返した。目黒区の事件、野田市の事件が全く教訓になっていないのが情けない。ま、職員の職業意識などこんなものだ。
なお今回の女児も親から虐待に遭っていて、女児は警察に駆け込み、無事保護された。
今回の件、たまたま職員が怠惰だったと大半の市民は思っているかもしれないが、私は全国的に行われていると見る。今回はたまたま、「放置」が明るみに出てしまっただけだ。
それなのに以前、児童相談所のお偉方が「市民が児童相談所を介さず警察に駆けこむようになると、児童相談所の存在意義がなくなる」と不満を述べていた。
お前らがこんなふうに怠惰だから、虐待の被害者は直接警察に駆けこまざるを得なくなるのだ。
「児童相談所は無能」は私が当ブログで主張してきたことだが、その思いに微塵の揺るぎもない。
というところで、21日は野田市の事件の初公判があった。私は例によってこの話はなるべく見ない、聞かないようにしているのだが、どうやってもニュースが入ってきてしまう。
今回は女児が亡くなる何ヶ月か前に自分に宛てた手紙が公開されたが、これがとても前向きな力強い内容で、私は涙が抑えきれなかった。
この最中も女児は苛烈な虐待を受けていたわけだが、それを微塵も感じさせない。目黒区の女児の手紙もそうだが、ふたりは大変な文才がある。その才能をメチャクチャにした鬼畜に、私は怒りを抑えきれないのである。
今回は、鬼畜の父親が、虐待は認めたものの、殺人があったその日は、女児に冷水を浴びせたことを否定したという。
それでよい。この鬼畜には容疑を否認し続けてもらい、裁判官の心象を悪くしてもらわないと困る。
目黒区の公判では鬼畜が法廷で泣き崩れたため、求刑が懲役18年だったのに、判決は懲役13年に減刑されてしまった。
あのな、泣いて懲役が短くなるんだったら、やつら鬼畜はいくらでも泣くよ。
女児が何百回泣いて許しを請うても虐待を続けた鬼畜が、反省などするわけなかろう。裁判官も人が良すぎてヘドが出る。今回は絶対に同じ轍をに踏んではいけない。ともあれまず検察は、考え得る最も重い刑を求刑してほしい。
ただ今回は、児童相談所や教育委員会、学校関係者が女児のSOSをそろって無視した上、女児を鬼畜の元に返してしまったという事実がある。確か児童相談所のバカは、「家族間で解決してもらおうと思った」とかぬかしやがった。
バカか。両親揃って鬼畜なのに、話し合いも何もなかろう。この鬼畜は本当にヤバイ男で、関係者もそれが分かっていたのに、関係者は女児を生け贄に差し出した。その鬼畜に対面せねばならなくなった女児の恐怖はいかばかりだったか、それを想像するだけでも震えがくる。
話を戻す。上の関係者の中にひとりだけでもまともな人間がいたら、女児は死なずに済んだのだ。私が御子柴礼司だったらそこを衝く。
だけど裁判所はその主張を無視し、万人が納得する判決を望む。そして近い将来、虐待での死亡事件は殺人罪を適用できるよう、早急の法改正を望むものである。