一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

あんでるせん・ファーストコンタクト(4)

2020-02-22 00:08:26 | 旅行記・九州編
私の想像をはるかに超えるマジックが展開され、私たち3人は半分混乱していた。なるほど、2回目の時の客が放心状態だったわけだ。
「私は中学生のころからこんなことをやってましてね、喫茶店を開いたとき、ヒマだったからお客さんにマジックを見せたんですよ。そしたらそれが口コミで拡がっちゃってね。このマジックを見るためにお客さんが増えちゃった」
私たちはフンフンと頷く。「だんだん店の前に行列ができましてね、朝の6時くらいから、向こうのほうまで並ぶようになった。おかげで駅前の交番から、随分不審がられました」
そうなるだろう、それは。「それじゃご近所迷惑だというので、いまは下で整理券をお配りしてるんです」
なるほど、あんでるせんには、ずいぶん歴史があるのだ。「特ホウ王国に応募したら、という人もいましたが、ああいうのはいくらでも不正ができますからね」
マスターのマスコミ嫌いは、社長から聞いて知っていた。「だって日本中からこんな田舎までねえ、わざわざ来ていただいて、ありがたいことです」
マスターは、目の前のお客さんを大事にしているのだ。
マスターがスプーンを出した。マジックでは定番のやつである。
「さっきカレーを食べた人はこのスプーンでしたが、ここが二重に捻じれていましたね。さ、じゃああなた、好きな角度を言ってください」
左の男性が30度と言うと、マスターは掌の上のスプーンの柄が、ククク、と上昇し始めた。これが30度なのだろう。
「42度」
マスターはそう言うと、さらにスプーンを曲げる。私たちは驚き疲れてしまって、このあたりのマジックなど、軽いものに思えてしまう。
するとマスターはスプーンを指1本で簡単に捻じり、水飴を巻くかのように、こねくり回した。お玉の角度は90度横に曲がり、
「これでカレーが食べやすくなりますね」
こちらは笑うのも疲れてしまている。
お玉の部分を裏側に半回転し、「これで左利き用」
もう、訳が分からない。
「ユリゲラーとか、曲がれ、曲がれ、って言ってましたね。あれは願望が入っているからよくありません。曲がった、と思わなければいけません」
「……」
「これはね、スプーンを折って離すこともできるんですよ。でもそれはスプーンに可哀想じゃないですか。だから折らずに留めてます」
私たちはただただ静かに聞くのみである。
「コインがあったら出してくれますか?」
私は100玉と50円玉を出した。2人組も10円玉などを出したが、500円玉が出ない。しまった……さっきのコーヒー代で使ってしまった。
左の2人もないようだ。するとマスターはとても残念そうだった。何だか私も、大変な逸機をしでかしたような気がした。
「いいでしょう、ハイこの100円ですね。これを豆腐とイメージしましょう」
マスターがそう言って、私に木片を渡す。「それで叩いて100円玉を割りましょう」
はああ……!? 私は何度か試みるが、100円硬貨が割れるわけがない。
だがマスターが同じことをやると、マスターの掌で、100円玉が3つに割れた!!
こんな光景は見たことがないから、驚くばかりだ。
「今度は繋げますよ」
マスターが手の中で揉むと、一瞬にしたその3つは1つに復元された。
「エエーーーッ!?」
「ちょっとこのあたり、まだ線が残ってますかね」
「……!!」
さらに100円玉に、タバコを「通す」。スッとタバコが抜けると、そこにはタバコ大の穴が開いていた。
「いいいーーーっ!?」
私は、恐るべき世界に迷い込んでしまったのだ。これは現実の世界なのか。いままでの常識が、すべて覆されていく。ただ確実にいえることは、いま私は世界中の誰よりも、不思議で贅沢な空間にいるということだった。
マスターが先ほどの千円札に50円玉を近付ける。すると50円玉が、そのまま紙幣の中に切り込んでいった。
「ええええーーーーーっ!?!?!?」
夏目漱石の眉毛の上で止めて、「サンバイザー」。
頭の上で止めて「ウルトラセブン、ジョアッ!!」
ここは笑わなければいけないのだろう。「1,000円の買物をした時、このまま渡すといいですね。消費税込みで1,050円。でもレジに入れにくい」
これもジョークなのだが、私たちはもう、笑う余裕がない。マスターは左手を広げ、その指の間に右手の指を通す。ちょうどクロスさせる感じだ。
「イメージはこんな感じですよ。分子と分子の間を抜けていく」
いや、そんなの説明されてもできるわけがない。
10円玉は小さくしたり大きくしたりして、ガラス瓶に入れてしまった。
最後は50円玉を、グニュッと半分に曲げてしまった。
「私の握力は400キロ。両手で800キロなんです」
はああ…もうグッタリ。とにかく凄いの一言である。ああ、ここに500円玉があったら、どんなマジックを見せてくれたのだろう。私はとんだ失敗をしてしまった。
気が付けば時刻は午後10時を回り、お開きの時間が近づいてきたようである。最後にマスターは、つねに物事をいいほうに考えること、つねにイメージを持つことを説いた。そして、「今日もいいことがなかったと下を向いて歩いていると、前を歩く人の埃ばかりを吸うことになりますよ」という意味のことを、文語調で語った。
「お名残り惜しいですが、これで終わりです。私のことを超能力者という人もいますが、私は2階にいる、イッカイの喫茶店のマスターです」
私たちは拍手をもって、最大限の賛辞をした。喫茶で1時間半、マジックで1時間半。そしてマジックショーのお代はなし。なるほど、これじゃあ客が殺到するわけだ。
そして、そうか、と思った。マスターが私たちに見せたかったのはマジックではない。今後の人生をいかに豊かに生きるか、そのヒントを与えたかったのだ。
私たち3人は表へ出た。私はこれから宿を取らねばならないが、「ビジネスホテルガイド九州版」は携行している。諫早あたりのホテルに泊まれるだろう。
そうだ、彼らに確認したかったことがある。例の生年月日当ての、彼らが押した数字である。
その数字と私の数字で検算して私の生年月日が再度出れば、マスターの超能力の証明にならないか?
……だが私は、彼らに声を掛けることができなかった。そこが私の欠点で、気軽に他人に声を掛けることができない。もっともそれがフランクにできていれば、夏子さんにも連絡を取っていたはずだ。
いずれにしても、私はあんでるせんにハマってしまった。何より、客がたった3人でも、(たぶん)満席時と同じマジックをやってくれたのが素晴らしい。
私は来年からも、この時期にお邪魔しようと思う。予約は大変そうだが、私がここに再訪するイメージがあるのだから、大丈夫だろう。
日にちはそう、今日と同じ12月の第3土曜日がいい。毎年ここで1年の疲れを落とし、生き方をリセットしようじゃないか。
(おわり)
コメント (2)
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