花村元司九段は1917年、浜松市生まれ。アマ時代に真剣師で鳴らし、その実力を買われ、1944年、プロ五段試験を行った。2005年に瀬川晶司氏が棋士編入試験を行った際、「61年ぶり」の文字が躍ったが、その第1号が花村九段だった。
花村アマは試験に合格し、1952年A級八段。タイトル戦は名人戦を含め4回登場した。また1977年度の第36期B級1組順位戦では8勝3敗の成績でA級復帰。当時60歳で、大きな話題になったものである。
花村九段の指し手はチャンバラのようで、持駒がなければ駒台を投げる、と言われた。三間飛車に振ったが「いかん、間違うた」と四間飛車に振り直したこともあった。手損など、細かいことは気にしないのである。
1979年に上梓した「ひっかけ将棋入門」(ベストセラーズ)では必勝法として、「(他の駒箱から)あらかじめ金将を懐に忍ばせておき、ここぞという時に打つ」と真面目に説いていた。
そんな花村九段は八段時代の1972年11月24日(放送日は12月24日)、第22回NHK杯戦で中原誠名人と当たった。この年中原名人は大山康晴名人から名人位を奪取し、棋界の第一人者になっていた。それまでの対戦成績も花村八段の0勝6敗。誰もが中原名人が勝つと予想していた。
戦型は花村八段の先手で角換わりになり、中原名人は△5四角と据えた。16日の「将棋フォーカス」で中村太地七段も取り上げた形である。
中盤△1三桂の飛車取りに、花村八段は▲8三銀!(図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/24/5bc93138a86aaf506c4bf8ef0f3b1cc0.png)
これがNHK杯戦史上五指に入る鬼手で、日本全国に「花村の鬼手」をアピールした。
▲8三銀以後は花村八段が2枚の馬を自陣に引きつけ、手厚い指し回しで快勝した。花村九段の、生涯三指に入る名局であった。
そして花村九段は1980年、第37期棋聖戦本戦2回戦で、またも中原名人とまみえた。
中原名人は前期五番勝負で米長邦雄棋王に棋聖を奪われており、リターンマッチの炎を燃やしていた。
一方の花村九段は対中原戦1勝8敗。要するに、あのNHK杯戦でしか勝っていない。よって本局も中原名人の勝ちと思えたが……。
将棋は後手花村九段の中飛車に、中原名人の居飛車穴熊。数手後花村九段は△6二飛と寄り、そこであの奇手が出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/dc/e4227e90fe0742792b104bfc792df896.png)
第1図以下の指し手。△7四金(途中図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/07/c421feaaa5ecebcf4e65a0753cbe6aa2.png)
▲3五歩△同歩▲3八飛△2二角▲3五飛△1三角▲3八飛(第2図)
第1図から△7四金と出たのが、大内延介九段が語った「△7四金」である。私にはまったく狙いが分からず、やぶれかぶれの手にしか見えない。
中原名人は▲3五歩からゆさぶり、△1三角に▲3八飛と引く。名人らしく、泰然自若としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e9/9a42c403ccf63786cc7abb083e49175e.png)
第2図以下の指し手。△8五金▲2四歩△同歩▲6五歩△4三銀▲6四歩△同飛▲6六銀△6二飛▲4六歩△3三歩▲2八飛△5四銀▲6八歩(第3図)
花村九段は△8五金と出たが、先手はとくに恐くない。2筋の突き捨てから▲6五歩と突き出した。これには、次の▲4四角を防いで△4三銀。続く▲6六銀にも△6二飛と引き、▲4六歩には△3三歩。
花村九段、これじゃ平身低頭で、落ち着き過ぎている。花村九段の指し手を「チャンバラの手」と評したが、仔細に見て行くと、やはり常識的な手が多い。私は花村九段の幻影に惑わされていたか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/94/4b2e981c9bc1f03cce993b66cc2d6517.png)
第3図以下の指し手。△2二飛▲3七桂△2五歩▲同飛△同飛▲同桂△4六角▲2二飛△1九角成▲2一飛成△2九飛▲2八歩(第4図)
花村九段は△2二飛と動いていく。中原名人は▲3七桂と跳ね、歓迎の飛車交換である。
素人目にもこの取引は穴熊側が得をしたように見えるが、花村九段はちょっとの不利なら十分指せると判断する楽観派である。△2九飛と下ろして、自信を持っていただろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/37/b56a8facf3d3f9cc0f32b35f4b3e51a2.png)
第4図以下の指し手。△9五歩▲8六歩△8四金▲7五銀△同金▲同歩△9六歩(第5図)
花村九段は△9五歩と伸ばす。中原名人は▲8六歩△8四金を入れたあと、▲7五銀とぶつけた。金銀交換だから先手に利ありだが、△7四金などという奇抜な手を見せられた後だから、この金が捌けただけでも後手大儲け、すなわち作戦成功に見えた。
▲7五同歩に待望の△9六歩。やはり穴熊には端攻めが急所なのだ。重複するが、トップクラスは、同じところに手が行くのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/52/92fddd45a47df962cedaee08e67f5ead.png)
以下も難しい戦いが続いたが、花村九段が優位を持続し、見事に勝ち切ったのだった。
以上、これが私の知る「△7四金局」である。
コンピュータソフトが猛威をふるう現代、ソフトは△7四金を指さないだろう。
「△7四金は花村にしか指せん、ケケケ」
花村九段が泉下で笑っているような気がする。
花村アマは試験に合格し、1952年A級八段。タイトル戦は名人戦を含め4回登場した。また1977年度の第36期B級1組順位戦では8勝3敗の成績でA級復帰。当時60歳で、大きな話題になったものである。
花村九段の指し手はチャンバラのようで、持駒がなければ駒台を投げる、と言われた。三間飛車に振ったが「いかん、間違うた」と四間飛車に振り直したこともあった。手損など、細かいことは気にしないのである。
1979年に上梓した「ひっかけ将棋入門」(ベストセラーズ)では必勝法として、「(他の駒箱から)あらかじめ金将を懐に忍ばせておき、ここぞという時に打つ」と真面目に説いていた。
そんな花村九段は八段時代の1972年11月24日(放送日は12月24日)、第22回NHK杯戦で中原誠名人と当たった。この年中原名人は大山康晴名人から名人位を奪取し、棋界の第一人者になっていた。それまでの対戦成績も花村八段の0勝6敗。誰もが中原名人が勝つと予想していた。
戦型は花村八段の先手で角換わりになり、中原名人は△5四角と据えた。16日の「将棋フォーカス」で中村太地七段も取り上げた形である。
中盤△1三桂の飛車取りに、花村八段は▲8三銀!(図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/24/5bc93138a86aaf506c4bf8ef0f3b1cc0.png)
これがNHK杯戦史上五指に入る鬼手で、日本全国に「花村の鬼手」をアピールした。
▲8三銀以後は花村八段が2枚の馬を自陣に引きつけ、手厚い指し回しで快勝した。花村九段の、生涯三指に入る名局であった。
そして花村九段は1980年、第37期棋聖戦本戦2回戦で、またも中原名人とまみえた。
中原名人は前期五番勝負で米長邦雄棋王に棋聖を奪われており、リターンマッチの炎を燃やしていた。
一方の花村九段は対中原戦1勝8敗。要するに、あのNHK杯戦でしか勝っていない。よって本局も中原名人の勝ちと思えたが……。
将棋は後手花村九段の中飛車に、中原名人の居飛車穴熊。数手後花村九段は△6二飛と寄り、そこであの奇手が出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/dc/e4227e90fe0742792b104bfc792df896.png)
第1図以下の指し手。△7四金(途中図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/07/c421feaaa5ecebcf4e65a0753cbe6aa2.png)
▲3五歩△同歩▲3八飛△2二角▲3五飛△1三角▲3八飛(第2図)
第1図から△7四金と出たのが、大内延介九段が語った「△7四金」である。私にはまったく狙いが分からず、やぶれかぶれの手にしか見えない。
中原名人は▲3五歩からゆさぶり、△1三角に▲3八飛と引く。名人らしく、泰然自若としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/e9/9a42c403ccf63786cc7abb083e49175e.png)
第2図以下の指し手。△8五金▲2四歩△同歩▲6五歩△4三銀▲6四歩△同飛▲6六銀△6二飛▲4六歩△3三歩▲2八飛△5四銀▲6八歩(第3図)
花村九段は△8五金と出たが、先手はとくに恐くない。2筋の突き捨てから▲6五歩と突き出した。これには、次の▲4四角を防いで△4三銀。続く▲6六銀にも△6二飛と引き、▲4六歩には△3三歩。
花村九段、これじゃ平身低頭で、落ち着き過ぎている。花村九段の指し手を「チャンバラの手」と評したが、仔細に見て行くと、やはり常識的な手が多い。私は花村九段の幻影に惑わされていたか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/94/4b2e981c9bc1f03cce993b66cc2d6517.png)
第3図以下の指し手。△2二飛▲3七桂△2五歩▲同飛△同飛▲同桂△4六角▲2二飛△1九角成▲2一飛成△2九飛▲2八歩(第4図)
花村九段は△2二飛と動いていく。中原名人は▲3七桂と跳ね、歓迎の飛車交換である。
素人目にもこの取引は穴熊側が得をしたように見えるが、花村九段はちょっとの不利なら十分指せると判断する楽観派である。△2九飛と下ろして、自信を持っていただろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/37/b56a8facf3d3f9cc0f32b35f4b3e51a2.png)
第4図以下の指し手。△9五歩▲8六歩△8四金▲7五銀△同金▲同歩△9六歩(第5図)
花村九段は△9五歩と伸ばす。中原名人は▲8六歩△8四金を入れたあと、▲7五銀とぶつけた。金銀交換だから先手に利ありだが、△7四金などという奇抜な手を見せられた後だから、この金が捌けただけでも後手大儲け、すなわち作戦成功に見えた。
▲7五同歩に待望の△9六歩。やはり穴熊には端攻めが急所なのだ。重複するが、トップクラスは、同じところに手が行くのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/52/92fddd45a47df962cedaee08e67f5ead.png)
以下も難しい戦いが続いたが、花村九段が優位を持続し、見事に勝ち切ったのだった。
以上、これが私の知る「△7四金局」である。
コンピュータソフトが猛威をふるう現代、ソフトは△7四金を指さないだろう。
「△7四金は花村にしか指せん、ケケケ」
花村九段が泉下で笑っているような気がする。