一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

無冠の期間

2020-02-13 13:07:16 | 将棋雑記
12日は無事帰京したが、昼はなかなかに最悪の1日だった。
何事も情報収集が大事だということか。しかしなあ……。


現在、タイトル獲得数のトップ3は

羽生善治九段 99期
大山康晴十五世名人 80期
中原誠十六世名人 64期

である。
羽生九段は2018年12月に竜王を失冠し、現在も無冠である。羽生九段は史上最強の棋士だと思うが、その地位を確固たるものにするには、今後の戦いにあると思う。すなわちこのまま無冠で終わるようだと、大山十五世名人との評価を逆転される。トップランナーはつねに走り続けなければならないのだ。

大山十五世名人は49歳に無冠に転落したが、その後いくつかタイトルを獲得している。
また中原十六世名人は34歳で無冠に転落したが、その後も名人位などに復位している。
では、両永世名人の、無冠からタイトル奪還までの期間を記してみよう。計算は、タイトル失冠の翌日から、タイトル獲得の前日までとした。

大山十五世名人…
1973年2月21日~1974年1月7日 321日
1978年2月7日~1980年3月10日 763日
1983年3月5日~逝去

中原十六世名人…
1982年9月22日~1982年12月20日 90日
1988年6月4日~1988年9月27日 116日
1993年5月22日~引退

大山十五世名人は1973年2月、中原名人に王将を取られ無冠になったが、翌年中原十段から十段を奪取し無冠を返上した。
1978年、中原名人に虎の子の棋聖を奪われ再び無冠になったが、1980年、加藤一二三王将から王将を奪取し、約2年振りにタイトルホルダーとなった。
1983年、米長邦雄棋王に王将を奪われ、以後無冠で棋士人生を終えたが、63歳で名人挑戦、66歳で棋王挑戦、68歳で名人プレーオフ進出と、最晩年までタイトル争いに絡んだ。

中原十六世名人は1982年、内藤國雄九段に王位を奪われ無冠。しかしその3ヶ月後に加藤一二三十段から十段を奪取し、わずか3ヶ月で無冠返上した。
1988年、谷川浩司王位・棋王に名人を奪われ無冠になったが、その4ヶ月後、塚田泰明王座から王座を奪い、無冠を返上した。
この2回はいずれも短期間だが、中原十六世名人は当時34歳~40歳で、まだバリバリの指し盛り。当然の結果でもあった。
逆にいえば、45歳で無冠になってから、タイトル戦に登場せず引退してしまったことが、期待外れだったともいえる。ただそれだけ、後輩の台頭が大きかったということだ。

タイトル戦の登場は、タイトルホルダーを除く全棋士の中で「優勝」しないといけないから難しい。今年50歳になる羽生九段も例外ではなく、無冠は本日現在、419日を数えてしまった。
羽生九段の今後のタイトル戦登場は、早くても王位戦の7月なので、無冠の550日越えは確実となった。
羽生九段がタイトル戦の舞台に上がれば大盛り上がりになるのだが、さて。
コメント
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