11日は久し振りに大野金曜教室に行こうと思った。前の週に大野八一雄七段やW氏から電話をいただいたということもあるが、ちょっと将棋で癒されたくなった。
当日はちょいと所用があり、教室に入るのが遅くなった。川口のエキナカで立ち食いソバをたぐったりして、教室に入ったのは午後8時40分ごろだった。金曜夜だが生徒は多く、堀彩乃女流1級ら女性が3人もいた。ふた昔前は考えられなかった光景である。
私がスーツを着ていたからみなは驚いたが、この服装が長く続かないことを、私は本能的に気付いていた。
W氏としばしおしゃべりし、まずは対局待ちの青年と指す。和室を覗くと、佐藤氏、Shin氏、Ok氏らがいた。こっちは誰もいないと思っていたのでビックリ。今夜はどうしたのだろう。
洋室の隅で青年と対峙する。彼とは以前指したことがあるのだろうが、私はすっかり忘れている。
振駒で私の先手になった。▲7六歩に△8四歩と来たので、▲6八銀。私は矢倉を目指したが青年も追随し、正統相矢倉となった。双方の脳裏に、6日のNHK杯(渡辺明名人VS羽生善治九段戦)があったのかもしれない。
私は▲3七銀から▲4六銀。本当はスズメ刺しが好きなのだが、現代将棋では立ち遅れる。
第1図以下の指し手。▲3七桂△4五歩▲同桂△4四銀▲1八飛△4五銀▲同銀△3七角成▲6八角△3三桂▲4六歩△4五桂▲同歩(第2図)
私は何も考えず▲3七桂と跳ねたが、すかさず△4五歩と突かれて参った。これは▲同桂と取るしかないが、△4四銀と上がられて忙しい。私は▲1八飛と寄ったが、馬を作られてしまった。
ここで▲4六角は△4七馬があり不可。よって▲6八角だが、この1回休みは痛かった。
△3三桂には▲3四歩も考えたが、まあ、ない。そこで▲4六歩と突いたが△4五桂と取ってくれたので、被害は最小限で済んだ。
第2図以下の指し手。△3六馬▲7九玉△8六歩▲同銀△1八馬▲同香△4九飛▲8八玉△9四桂▲4四桂△同金▲同歩△8六桂▲同角△同飛(第3図)
第2図の△3六馬はこう指すところなのだろう。私はよろこんで▲7九玉と寄る。
△8六歩に▲同歩は△8七歩がある。矢倉が弱体化するが▲同銀はやむを得ない。ここで青年は1八の飛車を取って王手だが、私は脅威の馬と蟄居の飛車を交換してくれたのでありがたかった。
△9四桂の瞬間に▲4四桂を一発利かす。△4二金寄とも逃げにくく、青年は△同金。この判断はよかったと思う。
△8六桂に▲同角は後手玉が詰めろではないが、相当危ない。騎虎の勢いで△8六同飛も当然であろう。
第3図以下の指し手。▲8六同歩△8七歩▲同金△7八銀▲2一飛△3一桂▲7八玉△6九角▲7七玉△8七角成▲同玉△8九飛成▲8八桂△7八銀▲9六玉△6七銀不成▲6一角△8四桂▲8五玉△7六銀不成(投了図)
まで、青年氏の勝ち。
第3図で私は当然のように▲同歩と取ったが、▲4三銀も考えた。でもさすがにないか、と▲同歩。しかしついに△8七歩が実現し、これで先手敗勢である。▲8七同金に△7九銀▲9八玉△6九飛成でも相当受けにくいと思ったが、青年は△7八銀。玉の腹から銀、でこれでも後手勝ちだ。
私は▲2一飛と王手したが、△3一桂で盤石になってしまった。してみると▲2一飛では▲6一飛だったか。しかしこれも強く△5二玉で負けだ。
以下は青年の寄せを見るのみとなった。
感想戦。第1図からの▲3七桂はやはり悪く、△4五歩からは一本道で後手優勢。青年は第2図からの▲7九玉に△6九銀を考えたというが、本譜△8六歩でいいと思う。ただ、安易に△1八馬と飛車を取ったのは反省していた。
私の主張は第3図で▲4三銀(参考A図)の是非だ。△8六飛を無視しての着手だから青年も驚いたが、△4三同金▲同歩成△同飛成▲8六歩にやはり△8七歩が厳しく、▲同玉△4九竜(参考B図)で後手優勢、の結論になった。
参考B図以下一例は、▲7九金打△9五桂▲9六玉△7九竜だ。
結局、敗着は▲3七桂となった。
アマ1級、と自称する少女と私が大駒落ちで指しそうになったが、彼女は青年と指すことになり、私は大野七段の前に座った。久しぶりの指導対局である。「新宿将棋センター以来ですね」と大野七段。それがいつだったか忘れたが、その間大野教室では指導対局を受けていなかっただろうか。
いつも通り角落ちでお願いした。
初手からの指し手。△6二銀▲7六歩△5四歩▲5六歩△5三銀▲2六歩△4二玉▲2五歩△3二玉▲4八銀△4二金▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2五飛(第1図)
いつも通りの出だしで、私は△2三歩に▲2五飛。いわゆる「一公流▲2五飛戦法」で、大野七段は「懐かしい」とつぶやいた。私は角落ち戦で年中採用しているので、これは△8五飛の形そのものを云ったのだろう。
(つづく)
当日はちょいと所用があり、教室に入るのが遅くなった。川口のエキナカで立ち食いソバをたぐったりして、教室に入ったのは午後8時40分ごろだった。金曜夜だが生徒は多く、堀彩乃女流1級ら女性が3人もいた。ふた昔前は考えられなかった光景である。
私がスーツを着ていたからみなは驚いたが、この服装が長く続かないことを、私は本能的に気付いていた。
W氏としばしおしゃべりし、まずは対局待ちの青年と指す。和室を覗くと、佐藤氏、Shin氏、Ok氏らがいた。こっちは誰もいないと思っていたのでビックリ。今夜はどうしたのだろう。
洋室の隅で青年と対峙する。彼とは以前指したことがあるのだろうが、私はすっかり忘れている。
振駒で私の先手になった。▲7六歩に△8四歩と来たので、▲6八銀。私は矢倉を目指したが青年も追随し、正統相矢倉となった。双方の脳裏に、6日のNHK杯(渡辺明名人VS羽生善治九段戦)があったのかもしれない。
私は▲3七銀から▲4六銀。本当はスズメ刺しが好きなのだが、現代将棋では立ち遅れる。
第1図以下の指し手。▲3七桂△4五歩▲同桂△4四銀▲1八飛△4五銀▲同銀△3七角成▲6八角△3三桂▲4六歩△4五桂▲同歩(第2図)
私は何も考えず▲3七桂と跳ねたが、すかさず△4五歩と突かれて参った。これは▲同桂と取るしかないが、△4四銀と上がられて忙しい。私は▲1八飛と寄ったが、馬を作られてしまった。
ここで▲4六角は△4七馬があり不可。よって▲6八角だが、この1回休みは痛かった。
△3三桂には▲3四歩も考えたが、まあ、ない。そこで▲4六歩と突いたが△4五桂と取ってくれたので、被害は最小限で済んだ。
第2図以下の指し手。△3六馬▲7九玉△8六歩▲同銀△1八馬▲同香△4九飛▲8八玉△9四桂▲4四桂△同金▲同歩△8六桂▲同角△同飛(第3図)
第2図の△3六馬はこう指すところなのだろう。私はよろこんで▲7九玉と寄る。
△8六歩に▲同歩は△8七歩がある。矢倉が弱体化するが▲同銀はやむを得ない。ここで青年は1八の飛車を取って王手だが、私は脅威の馬と蟄居の飛車を交換してくれたのでありがたかった。
△9四桂の瞬間に▲4四桂を一発利かす。△4二金寄とも逃げにくく、青年は△同金。この判断はよかったと思う。
△8六桂に▲同角は後手玉が詰めろではないが、相当危ない。騎虎の勢いで△8六同飛も当然であろう。
第3図以下の指し手。▲8六同歩△8七歩▲同金△7八銀▲2一飛△3一桂▲7八玉△6九角▲7七玉△8七角成▲同玉△8九飛成▲8八桂△7八銀▲9六玉△6七銀不成▲6一角△8四桂▲8五玉△7六銀不成(投了図)
まで、青年氏の勝ち。
第3図で私は当然のように▲同歩と取ったが、▲4三銀も考えた。でもさすがにないか、と▲同歩。しかしついに△8七歩が実現し、これで先手敗勢である。▲8七同金に△7九銀▲9八玉△6九飛成でも相当受けにくいと思ったが、青年は△7八銀。玉の腹から銀、でこれでも後手勝ちだ。
私は▲2一飛と王手したが、△3一桂で盤石になってしまった。してみると▲2一飛では▲6一飛だったか。しかしこれも強く△5二玉で負けだ。
以下は青年の寄せを見るのみとなった。
感想戦。第1図からの▲3七桂はやはり悪く、△4五歩からは一本道で後手優勢。青年は第2図からの▲7九玉に△6九銀を考えたというが、本譜△8六歩でいいと思う。ただ、安易に△1八馬と飛車を取ったのは反省していた。
私の主張は第3図で▲4三銀(参考A図)の是非だ。△8六飛を無視しての着手だから青年も驚いたが、△4三同金▲同歩成△同飛成▲8六歩にやはり△8七歩が厳しく、▲同玉△4九竜(参考B図)で後手優勢、の結論になった。
参考B図以下一例は、▲7九金打△9五桂▲9六玉△7九竜だ。
結局、敗着は▲3七桂となった。
アマ1級、と自称する少女と私が大駒落ちで指しそうになったが、彼女は青年と指すことになり、私は大野七段の前に座った。久しぶりの指導対局である。「新宿将棋センター以来ですね」と大野七段。それがいつだったか忘れたが、その間大野教室では指導対局を受けていなかっただろうか。
いつも通り角落ちでお願いした。
初手からの指し手。△6二銀▲7六歩△5四歩▲5六歩△5三銀▲2六歩△4二玉▲2五歩△3二玉▲4八銀△4二金▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2五飛(第1図)
いつも通りの出だしで、私は△2三歩に▲2五飛。いわゆる「一公流▲2五飛戦法」で、大野七段は「懐かしい」とつぶやいた。私は角落ち戦で年中採用しているので、これは△8五飛の形そのものを云ったのだろう。
(つづく)