きょうは私の誕生日だった。当年57歳。1980年、大山康晴十五世名人が王将を奪取したときが56歳だったから、私はそれより年長になってしまったわけだ。でも私は人間的に未熟で、まだ30歳代前半のように思える。この四半世紀、私は何をしていたのだろう。
私は独身なので、生き甲斐というものがない。強いて言えば、庭の桃の木である。約20年前、私が山梨県の種苗業者に出向き、桃の苗木を買ってきた。1,500円だった。
帰りは中央本線に乗り、桃の木を眺めた。店の人は、土の相性があるから、枯れる可能性もある、と言ったが、それまでこの庭には30年以上も桃の木があった。絶対に育つと思った。
その年の桃の花は7つだった。神セブンである。
その翌年は51。さらにその翌年からは、もういっぱい花が咲いて、数え切れなくなった。
桃の木がグングン伸び、私の身長の3倍くらいになった。実もなるようになった。その写真は当ブログにも何度かアップした。
ところが桃の実が多くなると、湧いてくるのが桃泥棒である。毎年何個か盗まれていたが、ひどかったのは数年前の泥棒だ。深夜に庭の塀に立ち、大量の桃を盗んだ。私はその泥棒を目撃していながら、逃げられてしまった。
だがおののいたのはオフクロである。こんなに桃の木が大きくなったのがいけないとばかり、立ち枝切りバサミで、狂ったように桃の木の枝を伐りまくった。
桃の木はたちまち小さくなり、その翌年から、段々枯れ始めた。桃の木はキズに弱い。伐ったらその切り口に防腐剤の類を塗らないと、水が染みて腐ってしまう。そうならないまでも、病気に感染しやすくなる。
それを承知していながら、何も手を打たなかった私も悪かった。
もう、まともに生きているのは、一本の太い枝のみである。そこもおととしは、ほとんど花が咲かなかった。
でも昨年はそこから枝が伸び、多くの花が咲いた。実も多くなった。
ところが今年は、その枝全体が黒ずみ、腐ってしまった。きのう、隣に住んでいる叔父が来て、「桃の花が咲いてるね」と言った。だが多く咲いているとは思えなかった。
今朝家を出るときのことだ。私の前の前に桃の木がある。そのまま視線を上げれば、花がいくつ咲いているか確認できる。誕生日プレゼントが確認できる。でも、できなかった。この大きな桃の木に、花が2つか3つしか咲いていなかったら、落胆してしまうからだ。
人間の寿命は精神的なものがあると思う。独身者は既婚者より数年、寿命が短いという。それはそうだろう。生きる楽しみがないのに、長生きしたってしょうがない。
私の生き甲斐は桃の木だったのに、それがなくなってしまった。
思い切っていまの木を伐採し、また新たな桃の木を植えようか。だけどそれが成長するのに何年かかる? この歳になったらいつ何があるか分からないのに、数年先を見据えた行動を取るのはイヤだ。
それに、枯死寸前でも、花が1つでも咲いているなら、その木は生きているわけだ。
この木が自分だと思って、もう少し見守っていこうか。
私は独身なので、生き甲斐というものがない。強いて言えば、庭の桃の木である。約20年前、私が山梨県の種苗業者に出向き、桃の苗木を買ってきた。1,500円だった。
帰りは中央本線に乗り、桃の木を眺めた。店の人は、土の相性があるから、枯れる可能性もある、と言ったが、それまでこの庭には30年以上も桃の木があった。絶対に育つと思った。
その年の桃の花は7つだった。神セブンである。
その翌年は51。さらにその翌年からは、もういっぱい花が咲いて、数え切れなくなった。
桃の木がグングン伸び、私の身長の3倍くらいになった。実もなるようになった。その写真は当ブログにも何度かアップした。
ところが桃の実が多くなると、湧いてくるのが桃泥棒である。毎年何個か盗まれていたが、ひどかったのは数年前の泥棒だ。深夜に庭の塀に立ち、大量の桃を盗んだ。私はその泥棒を目撃していながら、逃げられてしまった。
だがおののいたのはオフクロである。こんなに桃の木が大きくなったのがいけないとばかり、立ち枝切りバサミで、狂ったように桃の木の枝を伐りまくった。
桃の木はたちまち小さくなり、その翌年から、段々枯れ始めた。桃の木はキズに弱い。伐ったらその切り口に防腐剤の類を塗らないと、水が染みて腐ってしまう。そうならないまでも、病気に感染しやすくなる。
それを承知していながら、何も手を打たなかった私も悪かった。
もう、まともに生きているのは、一本の太い枝のみである。そこもおととしは、ほとんど花が咲かなかった。
でも昨年はそこから枝が伸び、多くの花が咲いた。実も多くなった。
ところが今年は、その枝全体が黒ずみ、腐ってしまった。きのう、隣に住んでいる叔父が来て、「桃の花が咲いてるね」と言った。だが多く咲いているとは思えなかった。
今朝家を出るときのことだ。私の前の前に桃の木がある。そのまま視線を上げれば、花がいくつ咲いているか確認できる。誕生日プレゼントが確認できる。でも、できなかった。この大きな桃の木に、花が2つか3つしか咲いていなかったら、落胆してしまうからだ。
人間の寿命は精神的なものがあると思う。独身者は既婚者より数年、寿命が短いという。それはそうだろう。生きる楽しみがないのに、長生きしたってしょうがない。
私の生き甲斐は桃の木だったのに、それがなくなってしまった。
思い切っていまの木を伐採し、また新たな桃の木を植えようか。だけどそれが成長するのに何年かかる? この歳になったらいつ何があるか分からないのに、数年先を見据えた行動を取るのはイヤだ。
それに、枯死寸前でも、花が1つでも咲いているなら、その木は生きているわけだ。
この木が自分だと思って、もう少し見守っていこうか。