俳優の団時朗が、22日、逝去した。享年74歳。
団時朗はモデルを経て、1968年映画デビュー。一大転機になったのは、1971年、特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」(TBS)で、郷秀樹役で主役を務めたことだ。
ウルトラセブンの放映終了から約2年半、ウルトラマンの帰還に、当時の子供たちは熱狂をもって郷秀樹を迎えた。
私が初めて特撮ドラマを見たのも、この「帰マン」だ。1971年11月、上野近くの食事処だった。そのとき私たち家族は食事を終えていたが、据え付けのテレビに映っている怪獣ものが面白く、私はそのまま見続けた。
この11月の放映は傑作ぞろいで、「11月の傑作群」と呼ばれる。私は一発目に、一番面白いドラマを観たのだ。
「帰マン」の話を続ければ、ハヤタ隊員やモロボシ・ダンが冷静沈着、チームの中心だったのに対し、郷秀樹は、MATジャイロの操縦を間違えたり、ロケットの発射を間違えたりと、いささか頼りなかった。しかしそこに人間味があり、私たちは満足したのである。
ちなみに「郷秀樹」の役名は、郷ひろみと西城秀樹の合わせ技と思われそうだが、どちらのアイドルも1972年のデビューで、郷秀樹が先である。
郷秀樹(団時朗=団次郎)は1975年、「少年探偵団BD7」(日本テレビ)に、怪人二十面相役で出演する。しかし怪人二十面相は謎の人であったため、クレジットに「団次郎」の役名は表されなかった。この手法は、最近まで放映されていた「大病院占拠」(日本テレビ)にも踏襲されている。
その後団時朗は舞台に活躍の場を移したようで、テレビではあまり見なかった。ただ、時折ゲストで見かけると「郷秀樹だ」と心躍ったものである。ああ私にとってヒーロー俳優は、役名そのものである。藤岡弘、は本郷猛であり、森次晃嗣はモロボシ・ダンなのだ。
昭和仮面ライダーシリーズでは、ライダーマンの山口豪久、仮面ライダーストロンガーの荒木しげる、仮面ライダータックルの岡田京子がすでに亡くなっているが、ウルトラマンシリーズでは初の悲劇となってしまった。ヒトは誰でもいずれ逝く。だけど人生100年時代、もっともっと生きていてもらいたかった。
いま、郷秀樹の心はM78星雲に帰っているだろうか。日本の特撮史に名を刻んだ名優に、合掌。
団時朗はモデルを経て、1968年映画デビュー。一大転機になったのは、1971年、特撮ドラマ「帰ってきたウルトラマン」(TBS)で、郷秀樹役で主役を務めたことだ。
ウルトラセブンの放映終了から約2年半、ウルトラマンの帰還に、当時の子供たちは熱狂をもって郷秀樹を迎えた。
私が初めて特撮ドラマを見たのも、この「帰マン」だ。1971年11月、上野近くの食事処だった。そのとき私たち家族は食事を終えていたが、据え付けのテレビに映っている怪獣ものが面白く、私はそのまま見続けた。
この11月の放映は傑作ぞろいで、「11月の傑作群」と呼ばれる。私は一発目に、一番面白いドラマを観たのだ。
「帰マン」の話を続ければ、ハヤタ隊員やモロボシ・ダンが冷静沈着、チームの中心だったのに対し、郷秀樹は、MATジャイロの操縦を間違えたり、ロケットの発射を間違えたりと、いささか頼りなかった。しかしそこに人間味があり、私たちは満足したのである。
ちなみに「郷秀樹」の役名は、郷ひろみと西城秀樹の合わせ技と思われそうだが、どちらのアイドルも1972年のデビューで、郷秀樹が先である。
郷秀樹(団時朗=団次郎)は1975年、「少年探偵団BD7」(日本テレビ)に、怪人二十面相役で出演する。しかし怪人二十面相は謎の人であったため、クレジットに「団次郎」の役名は表されなかった。この手法は、最近まで放映されていた「大病院占拠」(日本テレビ)にも踏襲されている。
その後団時朗は舞台に活躍の場を移したようで、テレビではあまり見なかった。ただ、時折ゲストで見かけると「郷秀樹だ」と心躍ったものである。ああ私にとってヒーロー俳優は、役名そのものである。藤岡弘、は本郷猛であり、森次晃嗣はモロボシ・ダンなのだ。
昭和仮面ライダーシリーズでは、ライダーマンの山口豪久、仮面ライダーストロンガーの荒木しげる、仮面ライダータックルの岡田京子がすでに亡くなっているが、ウルトラマンシリーズでは初の悲劇となってしまった。ヒトは誰でもいずれ逝く。だけど人生100年時代、もっともっと生きていてもらいたかった。
いま、郷秀樹の心はM78星雲に帰っているだろうか。日本の特撮史に名を刻んだ名優に、合掌。