goo blog サービス終了のお知らせ 

一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

長い序奏

2020-02-24 11:10:57 | 将棋雑記
「将棋世界」3月号「イメージと読みの大局観Ⅱ」に、師弟戦についての設問があった。
7棋士の回答は省くが、将棋界で師弟戦といえば、古くは大山康晴十五世名人と有吉道夫九段の関係が浮かぶ。その対局数は69で、戦績は大山十五世名人の40勝、有吉九段の28勝+1不戦勝だった。
タイトル戦対決は4回。すなわち

1966年 第7期王位戦 大山康晴王位4○○○●○1有吉道夫八段
1968年 第9期王位戦 大山康晴王位4○○●○●○2有吉道夫八段
1969年 第28期名人戦 大山康晴名人4●○○●●○○3有吉道夫八段
1972年 第21期王将戦 大山康晴王将4●○○○●●○3有吉道夫八段

である。師匠の4勝0敗だが、徐々に有吉八段が追い上げているのが分かる。
2人は大山十五世名人最晩年の第50期A級順位戦(1991年)でも対決し、これは有吉九段が制している。余談ながらこの期に大山十五世名人はプレーオフに進出している。意味のない結果論だが、この将棋に大山十五世名人が勝っていれば、大山十五世名人の名人挑戦が決まっていた。
最近の師弟戦では、畠山鎮七段VS斎藤慎太郎王座戦があったが、それでもB級1組で、A級ではない(註:読者から間違いの指摘があり、私自身の錯覚もあったので、一部文章をこっそり訂正しています)。
つまりA級順位戦で師弟が対決した例を、私は大山VS有吉戦しか知らない。1991年当時、大山十五世名人68歳、有吉九段56歳。遠い将来、ほかのカードが実現したとしても、両者合わせて124歳は越えないだろう。改めて、大山-有吉戦は大変な組み合わせだったのだ。
ところで、師弟戦の最も早い対決は、弟子の何局目か。私が知る限りでは、米長邦雄四段の1局目である。米長永世棋聖は1963年4月1日四段。そのデビュー戦である4月9日に、第13期王将戦予選で佐瀬勇次七段と当たった。結果は佐瀬七段の勝ち。当時19歳で血気盛んな米長四段、師匠に負けることは露ほどにも考えていなかったが、プロの世界はそんなに甘くはなかった。
ここで調子が狂ったか、米長四段は以後も負け続け、気が付けば5連敗。まさかこの弱小新人が、後に名人、永世棋聖を獲る大棋士になろうとは、誰も思っていなかった。
そして次に早い師弟対決は、デビュー2局目の飯田弘之四段と思う。すなわち、VS大内延介八段戦である。
飯田七段は大学在学中の1983年3月4日、四段。得意戦法は師匠譲りの振り飛車である。デビュー戦は4月8日で、第33期王将戦一次予選で神谷広志四段に勝ち、4月27日に同2回戦で大内八段と当たった。
将棋は後手飯田四段の四間飛車に、大内八段の居飛車穴熊。序盤で飯田四段が△7四金(図)と繰り出す奇手を指したが、捻じり合いの末、大内八段が制した。

たしかこの対局の時だったと思うが、局後大内八段は飯田四段に「△7四金なんていう手は、花村(元司)先生じゃないと指しこなせないよ」と諭した。
その後飯田七段は新人王戦で準優勝するなどの活躍を見せたが、大学院でコンピューター研究に重きをおいたため、五段時の1994年に、フリークラスに転出した。
以後飯田七段は学者として研究に専念し、2014年に引退した。飯田七段の風貌は「真面目」が三次元になったごとくで、まさに棋士より学者という感じだった。これも棋士としての立派な生き方だったのだろう。
なおフリークラス制度は、飯田七段のためにできた制度だったようだ。

ところで、である。花村九段が指した「△7四金」の将棋とは、どんなものだったのだろう。
ちょっと記してみよう。
(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鬼畜許すまじ

2020-02-23 02:44:26 | プライベート
先日、神戸市の児童相談所のバカ職員が、真夜中に助けを求めに来た小学生の女児を、ロクに話も聞かず、追い返したという。その職員の言い訳がふるっていて、「女児が大人に見えた」「いたずらだと思った」だった。
近年は虐待事件に対し国民の関心も高まっているが、児童相談所や教育関係者には相変わらず危機感がなく、私は空いた口が塞がらない。
常識的に考えて、女性が夜中に訪ねてきたら(汚らしいオッサンなら話は別)、何はともあれ中に入れ、話のひとつも聞くのが筋じゃないのか?
女児を保護したって臨時収入があるわけでなし、面倒事が増えるだけ。だから職員は女児を追い返した。目黒区の事件、野田市の事件が全く教訓になっていないのが情けない。ま、職員の職業意識などこんなものだ。
なお今回の女児も親から虐待に遭っていて、女児は警察に駆け込み、無事保護された。
今回の件、たまたま職員が怠惰だったと大半の市民は思っているかもしれないが、私は全国的に行われていると見る。今回はたまたま、「放置」が明るみに出てしまっただけだ。
それなのに以前、児童相談所のお偉方が「市民が児童相談所を介さず警察に駆けこむようになると、児童相談所の存在意義がなくなる」と不満を述べていた。
お前らがこんなふうに怠惰だから、虐待の被害者は直接警察に駆けこまざるを得なくなるのだ。
「児童相談所は無能」は私が当ブログで主張してきたことだが、その思いに微塵の揺るぎもない。

というところで、21日は野田市の事件の初公判があった。私は例によってこの話はなるべく見ない、聞かないようにしているのだが、どうやってもニュースが入ってきてしまう。
今回は女児が亡くなる何ヶ月か前に自分に宛てた手紙が公開されたが、これがとても前向きな力強い内容で、私は涙が抑えきれなかった。
この最中も女児は苛烈な虐待を受けていたわけだが、それを微塵も感じさせない。目黒区の女児の手紙もそうだが、ふたりは大変な文才がある。その才能をメチャクチャにした鬼畜に、私は怒りを抑えきれないのである。
今回は、鬼畜の父親が、虐待は認めたものの、殺人があったその日は、女児に冷水を浴びせたことを否定したという。
それでよい。この鬼畜には容疑を否認し続けてもらい、裁判官の心象を悪くしてもらわないと困る。
目黒区の公判では鬼畜が法廷で泣き崩れたため、求刑が懲役18年だったのに、判決は懲役13年に減刑されてしまった。
あのな、泣いて懲役が短くなるんだったら、やつら鬼畜はいくらでも泣くよ。
女児が何百回泣いて許しを請うても虐待を続けた鬼畜が、反省などするわけなかろう。裁判官も人が良すぎてヘドが出る。今回は絶対に同じ轍をに踏んではいけない。ともあれまず検察は、考え得る最も重い刑を求刑してほしい。
ただ今回は、児童相談所や教育委員会、学校関係者が女児のSOSをそろって無視した上、女児を鬼畜の元に返してしまったという事実がある。確か児童相談所のバカは、「家族間で解決してもらおうと思った」とかぬかしやがった。
バカか。両親揃って鬼畜なのに、話し合いも何もなかろう。この鬼畜は本当にヤバイ男で、関係者もそれが分かっていたのに、関係者は女児を生け贄に差し出した。その鬼畜に対面せねばならなくなった女児の恐怖はいかばかりだったか、それを想像するだけでも震えがくる。
話を戻す。上の関係者の中にひとりだけでもまともな人間がいたら、女児は死なずに済んだのだ。私が御子柴礼司だったらそこを衝く。
だけど裁判所はその主張を無視し、万人が納得する判決を望む。そして近い将来、虐待での死亡事件は殺人罪を適用できるよう、早急の法改正を望むものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんでるせん・ファーストコンタクト(4)

2020-02-22 00:08:26 | 旅行記・九州編
私の想像をはるかに超えるマジックが展開され、私たち3人は半分混乱していた。なるほど、2回目の時の客が放心状態だったわけだ。
「私は中学生のころからこんなことをやってましてね、喫茶店を開いたとき、ヒマだったからお客さんにマジックを見せたんですよ。そしたらそれが口コミで拡がっちゃってね。このマジックを見るためにお客さんが増えちゃった」
私たちはフンフンと頷く。「だんだん店の前に行列ができましてね、朝の6時くらいから、向こうのほうまで並ぶようになった。おかげで駅前の交番から、随分不審がられました」
そうなるだろう、それは。「それじゃご近所迷惑だというので、いまは下で整理券をお配りしてるんです」
なるほど、あんでるせんには、ずいぶん歴史があるのだ。「特ホウ王国に応募したら、という人もいましたが、ああいうのはいくらでも不正ができますからね」
マスターのマスコミ嫌いは、社長から聞いて知っていた。「だって日本中からこんな田舎までねえ、わざわざ来ていただいて、ありがたいことです」
マスターは、目の前のお客さんを大事にしているのだ。
マスターがスプーンを出した。マジックでは定番のやつである。
「さっきカレーを食べた人はこのスプーンでしたが、ここが二重に捻じれていましたね。さ、じゃああなた、好きな角度を言ってください」
左の男性が30度と言うと、マスターは掌の上のスプーンの柄が、ククク、と上昇し始めた。これが30度なのだろう。
「42度」
マスターはそう言うと、さらにスプーンを曲げる。私たちは驚き疲れてしまって、このあたりのマジックなど、軽いものに思えてしまう。
するとマスターはスプーンを指1本で簡単に捻じり、水飴を巻くかのように、こねくり回した。お玉の角度は90度横に曲がり、
「これでカレーが食べやすくなりますね」
こちらは笑うのも疲れてしまている。
お玉の部分を裏側に半回転し、「これで左利き用」
もう、訳が分からない。
「ユリゲラーとか、曲がれ、曲がれ、って言ってましたね。あれは願望が入っているからよくありません。曲がった、と思わなければいけません」
「……」
「これはね、スプーンを折って離すこともできるんですよ。でもそれはスプーンに可哀想じゃないですか。だから折らずに留めてます」
私たちはただただ静かに聞くのみである。
「コインがあったら出してくれますか?」
私は100玉と50円玉を出した。2人組も10円玉などを出したが、500円玉が出ない。しまった……さっきのコーヒー代で使ってしまった。
左の2人もないようだ。するとマスターはとても残念そうだった。何だか私も、大変な逸機をしでかしたような気がした。
「いいでしょう、ハイこの100円ですね。これを豆腐とイメージしましょう」
マスターがそう言って、私に木片を渡す。「それで叩いて100円玉を割りましょう」
はああ……!? 私は何度か試みるが、100円硬貨が割れるわけがない。
だがマスターが同じことをやると、マスターの掌で、100円玉が3つに割れた!!
こんな光景は見たことがないから、驚くばかりだ。
「今度は繋げますよ」
マスターが手の中で揉むと、一瞬にしたその3つは1つに復元された。
「エエーーーッ!?」
「ちょっとこのあたり、まだ線が残ってますかね」
「……!!」
さらに100円玉に、タバコを「通す」。スッとタバコが抜けると、そこにはタバコ大の穴が開いていた。
「いいいーーーっ!?」
私は、恐るべき世界に迷い込んでしまったのだ。これは現実の世界なのか。いままでの常識が、すべて覆されていく。ただ確実にいえることは、いま私は世界中の誰よりも、不思議で贅沢な空間にいるということだった。
マスターが先ほどの千円札に50円玉を近付ける。すると50円玉が、そのまま紙幣の中に切り込んでいった。
「ええええーーーーーっ!?!?!?」
夏目漱石の眉毛の上で止めて、「サンバイザー」。
頭の上で止めて「ウルトラセブン、ジョアッ!!」
ここは笑わなければいけないのだろう。「1,000円の買物をした時、このまま渡すといいですね。消費税込みで1,050円。でもレジに入れにくい」
これもジョークなのだが、私たちはもう、笑う余裕がない。マスターは左手を広げ、その指の間に右手の指を通す。ちょうどクロスさせる感じだ。
「イメージはこんな感じですよ。分子と分子の間を抜けていく」
いや、そんなの説明されてもできるわけがない。
10円玉は小さくしたり大きくしたりして、ガラス瓶に入れてしまった。
最後は50円玉を、グニュッと半分に曲げてしまった。
「私の握力は400キロ。両手で800キロなんです」
はああ…もうグッタリ。とにかく凄いの一言である。ああ、ここに500円玉があったら、どんなマジックを見せてくれたのだろう。私はとんだ失敗をしてしまった。
気が付けば時刻は午後10時を回り、お開きの時間が近づいてきたようである。最後にマスターは、つねに物事をいいほうに考えること、つねにイメージを持つことを説いた。そして、「今日もいいことがなかったと下を向いて歩いていると、前を歩く人の埃ばかりを吸うことになりますよ」という意味のことを、文語調で語った。
「お名残り惜しいですが、これで終わりです。私のことを超能力者という人もいますが、私は2階にいる、イッカイの喫茶店のマスターです」
私たちは拍手をもって、最大限の賛辞をした。喫茶で1時間半、マジックで1時間半。そしてマジックショーのお代はなし。なるほど、これじゃあ客が殺到するわけだ。
そして、そうか、と思った。マスターが私たちに見せたかったのはマジックではない。今後の人生をいかに豊かに生きるか、そのヒントを与えたかったのだ。
私たち3人は表へ出た。私はこれから宿を取らねばならないが、「ビジネスホテルガイド九州版」は携行している。諫早あたりのホテルに泊まれるだろう。
そうだ、彼らに確認したかったことがある。例の生年月日当ての、彼らが押した数字である。
その数字と私の数字で検算して私の生年月日が再度出れば、マスターの超能力の証明にならないか?
……だが私は、彼らに声を掛けることができなかった。そこが私の欠点で、気軽に他人に声を掛けることができない。もっともそれがフランクにできていれば、夏子さんにも連絡を取っていたはずだ。
いずれにしても、私はあんでるせんにハマってしまった。何より、客がたった3人でも、(たぶん)満席時と同じマジックをやってくれたのが素晴らしい。
私は来年からも、この時期にお邪魔しようと思う。予約は大変そうだが、私がここに再訪するイメージがあるのだから、大丈夫だろう。
日にちはそう、今日と同じ12月の第3土曜日がいい。毎年ここで1年の疲れを落とし、生き方をリセットしようじゃないか。
(おわり)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんでるせん・ファーストコンタクト(3)

2020-02-21 00:07:40 | 旅行記・九州編
マスターはマジックも凄いが、話術が巧みだ。普通の単語を使っているのに話し方と間が絶妙で、私たちは驚きの中にも笑いを交えるのだ。
ただ、マスターの本質はマジメ人間の気がした。ふだんも禁欲的な生活を送っているのではなかろうか。
「ヒトは過去には戻れませんね。30代の人が40代になった。あの頃は若かったナーって思う。40代の人が50代になる。40代は若かったと思います。50代の人が60代になる。やっぱり50代は若かったと思います。いつまで経っても、あの頃は若かったと思う。この繰り返しですね。でも過去をどうこう考えても、人は過去には戻れませんね。
……過去に戻れる方法が、ひとつだけありますよ。
いま30代の人が、10年先の40代のことを思い浮かべる。そこから10年過去に戻ってきたと考えれば、10年間大儲けですね。そう思ったら、これからの10年間で何をすべきか。うかうかしてられませんね」
なるほど、私はいま30代だが、10年先もいまの会社に勤めているとは思えない。まさかと思うがオヤジの仕事を継いでいるのだろうか。
でも家の仕事に就いたら性質上、もう結婚は無理だ。となればいまから結婚相手を探さねばならないが、候補がまるっきりいない。
角館の美女にはもう会えそうもないし、寝屋川市の真知子さんとも数年間連絡を取っていない。足柄市の夏子さんも同様だ。夏子さんは癒し系で私が押せば何とかなったかもしれないが、肝心なところで私は怖気づいた。要するに、連絡を取らなくなった。
しかしこれから毎度こんな感じだと、いよいよ私は生涯独身になってしまう……。
次はサイコロである。平たいグラスと、大きめのサイコロを出す。
マスターは私にサイコロを渡し、「何を出します?」
「3」
「じゃあ振ってください」
私が振ると、3は真横にあった。「3が出ましたね。
上から見る必要はありません。横から見れば3です」
「ハハハ」
「世の中、なんでもいい方にいい方に考えないといけません。
倦怠期の夫婦でも、お互いイヤになる時がありますね。こういう時旦那さんは、奥さんを隣の住人だと思えばいいのです。
その奥さんがわざわざ夕食まで用意してくれて、お風呂も沸かしてくれる。それでもう帰るのかと思ったら、床まで敷いて、横で寝てくれる。
辛くなったら子供をごらん。仲がいい時にできた子よ、ってね」
マスター、笑いの中にためになる話をぶちこんでくる。「風邪になっても、治りますように、はいけません。それは願望が入っていますから。もう治った、と完了形にしなければいけません。
自動車でも、フロントガラスに御守りを大量にぶら下げている人がいますね。あれは事故をイメージして、事故を起こしますよ、と言っているようなものです」
なるほど、そういうものかと思う。「さ、ではあなたが好きな数字を出しましょう。もちろんあなたが振ります」
「じゃあ5で」
「何回連続で?」
「2回」
「それじゃ少ないですね。せっかくだからもっと多く」
「じゃあ5回で」
それで振り始めると、5ばかりが出た。振っている時は、もちろん私も念じている。そして5回連続5が出たときは、大してギャラリーもいないのに、なぜかホッとした気持ちになった。でもマスターが念を送っていたのは言うまでもない。次に振った時は、違う目が出た。
次にマスターは、マッチ箱と爪楊枝を取り出した。「この楊枝で、このマッチ箱を刺してください」
私は言われるままにやる。楊枝がブスッと刺さり、そのまま沈めると、楊枝は貫通した。そのまま下から楊枝を抜く。
「驚くのはこの次です」
マスターがマッチ箱を開けると、そこにはマッチ箱大の金属が入っていた。ということは、私の楊枝が金属を貫通させてしまったということか!?
「あなたが、マッチ箱の中身は空だとイメージしていたので、これができたのです。イメージすること、これが大事です」
私は口をあんぐりするばかりである。
金属が入ったマッチ箱に私は再び楊枝を通すことを試みたが、もちろん通らなかった。
「今度は写真を撮りましょう」
マスターがポラロイドカメラを出した。マスターがトランプを切り、私に数字のほうを見せる。私は♡の3を選んだ。そのままマスターが私を、カメラで撮った。
1分で写真が浮かんできたが、私の頭上に、♡の3と、マスターの指の一部が映っていた。
「あなたが見た映像をそのまま映し込みましたよ」
そしてその上方には、かわいい女性が映っていた。「オバケならぬオマケですね。一緒に映りこんじゃった」
「ええー」
「かわいいコだね。たぶん高校の同級生でしょう。クラスにいなかった?」
私は高3の時だけ共学クラスだったが、見覚えはない。「廊下や街ですれ違っても、無意識に記憶に残すことはありますよ」
写真にはマスターがサインをしてくれた。名前は何とお読みするのだろう。
ところで、私はさっきからかなりマジックに絡んでいる。私はここに来るまで、マスターのマジックを粛々と観賞するだけだと思っていた。しかしそうではないのだ。もし観客がもっと多かったら、私はこんなに絡めないに違いない。これは、7時の回にずれたことが怪我の功名だったのではないか?
「ヒトはシチュエーションによって、考えることが違いますね。ある旅館で、宿泊の男性がポンポンと手を叩く。池の鯉は餌が貰えるかと思って近づいてくる。電線のカラスはビックリして逃げてゆく。仲居さんは用があるかと思って飛んでくる」
マスターが伝票を破った。
「では、ここにあなたの名前、ご両親の名前、生年月日を書いてください」
私は渡された伝票に、それらを書く。もちろんマスターに見えないように、である。それを小さく畳んで、ワイングラスに入れた。
「お父さんは、これなんと読むのかな。お母さんは、ミヨちゃん」
2人とも当てられ、私は驚いた。そんなことまで分かるのか!
マスターは電卓を取り出す。数字板に紙片で目隠しをすると、マスターは最も左の彼に「5ケタの好きな数字を押してください」と言った。そして左の彼にも、私にも同じことを言った。私は「12345」と打つ。
2周目に入り、「4ケタの好きな数字を足して」「3ケタの数字を引いて」と続く。私には、2ケタを指示された。私は「12」と打つ。いったい、何が起こるのだろう。
ここでマスターの指示があり、私が紙片を取ると、5ケタの数字が点灯しており、それが私の生年月日だった!!
「ええええーーーーーッ!!」
左の2人組は、なぜ私が驚いているのか分からない。
もちろん私の名前も当てられた。い、いまのもマジックだというのか!?
だが私がどの数字を押すか、マスターに分かるわけがない。そもそも生年月日自体を知らないのだ。何が、どうなっているのだ!?
私は混乱するばかりだった。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんでるせん・ファーストコンタクト(2)

2020-02-20 00:10:00 | 旅行記・九州編
私は奥さんと思しきママさんにカウンター席を勧められ、座った。
すぐに、男性の2人組が入店した。彼らはテーブル席に座った。
店内を見回すと、出入り口の近くに大きなツリーがあり、天井まで届かんとしている。その下は大テーブルで、7~8人くらい座れそうだ。あとは4人掛けのテーブル席がいくつかあり、窓際のそれはゲーセンのテーブルだった。あれは100円を入れれば遊べるのだろうか。
壁には芸能人を思しきポラロイド写真が何枚か貼られている。なるほど芸能人からも知られた店なのか。
奥の厨房にはママさんと、そしてマスターがいるはずだ。
ママさんが注文を取りに来た。2人組はカレーライスとブレンドコーヒーを頼んだが、私はコーヒーのみとした。504円で、東京料金だ。私としてはこれだけでも十分な出費である。それに、もうお腹自体が一杯だった。
運ばれてきたコーヒーは普通の味だった。男性2人も、黙々とカレーを食べている。なんだかこれじゃあ、普通の喫茶店と変わらない。ここでマジックは行われるのだろうが、とてもそんな感じがしないのだ。
彼らも、この店を超能力マジックと認識しているのだろうか。たんに喫茶店として利用しているんじゃないか? いや違う、私の整理券は3だった。1と2が、この2人組なのだ。
私はコーヒーを飲み終えたが、マジックはまだ準備中である。例の社長は、このお茶の時間が随分長いと言っていた。私は、長い分には一向に構わない。
カウンターの端には、電話番号が記されてあった。そうか、まずは電話予約をしてこの店に来るのが手順だったのだ。知らぬこととはいえ、私は随分危ない橋を渡っていたようだ。
私はボンヤリと今年の旅行を思い出す。9月の沖縄も楽しかったが、槇原敬之が覚醒剤所持で捕まったニュースにはビックリしたな……。
追加の客は入って来ない。7時の回は、毎日あるのだろうか。まさか私たちだけのために、臨時で開いてくれたのだろうか。
そういえば今夜は9時からテレビ朝日の土曜ワイド劇場で、「混浴露天風呂連続殺人」がある。推理の楽しみはどうでもいいが、温泉ギャルのオッパイは観賞したい。
どうなんだろう。マスターのマジックは高が知れているだろうし、もう会計を済ませてどこかの宿に直行し、テレビを観ようか。今からなら温泉シーンにギリギリ間に合うんじゃないか?
いやいや、さすがにそれはない。わざわざここまで来たんだから、マジックを見るのが筋だ。
ようやく会計になり、私は504円をピッタリ払った。そしていよいよ、マジックとなった。男性2人組は、私の左に座った。やはり私が3番目のようだった。しかし客はこれだけである。この3人から、ついに人は増えなかった。
カウンターの前に出てきたのは40代と思しき男性で、丹波哲郎の息子の丹波義隆に似ていた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。マジックで束の間の時間を楽しんでください」
マスターは客が少ないことも意に介さず、マジックを開始した。まず、客からタバコを所望する。2人組がそれを差し出すと、マスターはそれを掌に載せる。そのタバコがクククとせり上がったので驚いた!
それをテーブルに置くと、ピン、とすっ飛んだ。私たちは口あんぐりである。
続けてマスターは、ボルトを取り出した。それにはナットが嵌まっている。マスターはそれをアクリル状の円筒に入れてカウンターに置くと、両手に拳を作り、気を入れた。するとボルトがカタカタ動き、ナットがシュルシュルと外れてしまった。
「うげー!!」
私たちは驚く。
「イメージですよ。ボルトとナットが外れるところをイメージする。結果をイメージするのです。3ヶ月練習すればできるようになります」
マスターが再び気を入れると、今度はボルトにナットが嵌まった。
「……!!」
マスターは千円札を所望すると、それを小さく折り畳み、中空に浮かせてしまった。お札はマスターが作った指の輪をくぐり、自由自在に動く。私たち3人はまたも奇声を発し、絶句する。マスターが「ハウス!」というと、お札がマスターの肩の上に乗った。
はああ……!! いままでこんなマジックは見たことがない。私はこれだけでもう、心を奪われた。
マスターがESPカードを取り出した。「丸、四角、星、十字、波形……世の中のあらゆるものは、これらの組み合わせでできていますね」
マスターはその5種類をカウンターに伏せて置く。その配置を私たちが当てる、という趣向だった。左の2人が3種類をテーブルに乗せる。私が残り2枚を乗せる。マスターが順番に開いていくと、それらはすべて同じ記号だった。
何が驚くって、私たちより先にマスターがカードを置いたということだ。これでは細工のしようがない。
「私は結果から見てますからね」
続いてトランプを取り出した。「トランプは13枚の4種類ですね。これで1年を表しているといいます。13週でひとつの季節。ドラマでも1クールは13週ですね。13×7日で91日、それが四季で364日。それにジョーカーを足して365日。うるう年は……エクストラジョーカーを足して、366日になります」
なんだかこじつけのようだが、私たちはウンウンと頷いてしまう。そしてここでもマスターは鮮やかなマジックを繰り出していった。
いくつか終えたあと、マスターが52枚のカードを拡げ、私に好きなカードをイメージさせた。
「♠の7です」
「ここから取ってください」
私が任意の1枚を取ると、それは♠の7だった!
「驚くのはここからですよ」
マスターが残りのカードを開くと、それは全部白だった!!
「エエーーーーッ!!」
「あなたがこの場所の♠の7を取ることが分かっていましたからね。ほかの数字はもう必要ないんです」
「……!!」
私は、とんでもない場に来たのではないか? 混浴露天風呂を回避して本当によかったと、私は胸をなで下ろした。
(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする