私のデスクにはパソコン2台とフォトフレームが2つ
フォトフレームの一つの写真は、私が修行した新潟の店の前で、24歳頃の私と同期生2人
そして社長夫婦の5人の写真。
社長夫妻はもう亡くなり、われわれ同期の一番若い男前も50歳で他界した、もう一人の
同期、私の兄弟分も2度卒中で倒れて、今は会話も聞き取りづらくなっている
もう一枚の写真は去年の2月に、この店で新年会をしたときに撮った写真、65歳の私と
去年の12月に急逝したねえちゃん(この店の女将)と、20代の時、少し人生のタイミングがずれていたら
もしかして・・・・・になったかもしれない後輩の彼女の3人が写っている。
ねえちゃんと社長夫妻は親子で、だけどねえちゃんは、もう一つの写真の社長夫妻よりも写真の中では
年上なんだ。
ねえちゃんは72歳の時の写真(50代にしか見えないが)、母親の社長の奥さんは60歳頃の写真
子の方が年上という写真のマジック、でも見比べるとやっぱり親子だよく似ている
社長夫妻はこの時、去年の私より年下なのだ、不思議な気がする
それに二つの写真の7人のうち既に4人が亡くなっているというのも不思議な気分で、人の人生の
はかなさ短さを感じずにはいられない
友達や先輩が一人亡くなる度に、私の人生を語ってくれる人が一人減ってしまうと言うことになる
老いて生きる寂しさは、まさにそこで、友が知り合いが減っていくのは、自分の記憶が消えていくのと
同じ、自分の存在が忘れ去られていく、あの日の思い出を語り合う人がいなくなる
それは老人ばかりでなく、私だってこの頃は少しずつそんな気持ちになっているのだ
例えば、修行した新潟の店での20代の出来事を語ろうにも同期5人の内2人が死んでしまい
私たちに仕事を直接仕込んでくれた専務も60歳で亡くなり、その奥さんも亡くなり
私の相棒(卒中で倒れた)の奥さんも40歳という若さでずっと昔に亡くなった
だから、ねえちゃんが最後の砦だったのに、そのねえちゃんも昨年逝ってしまうし、もう私の第二の家
だと思っていたこの店で、私を歓迎してくれる人はいなくなってしまった。
思いおこせば、私もここで修行しているときに先輩が来ると嫌な気持ちになったものだ、今もこの店では
20代が何人も働いているが、名前も顔も知らないし、会ったことも無い、先輩後輩と言ってもまったく
他人だ、今の幹部連中も両者を取り持とうという気持ちが全然無いのでかってあった「OB会」も消滅した
この店で学んだ事は誇りだったけれど、その店が無くなってしまった気分だ、寂しくて仕方ない
これで相棒がもう一度倒れてしまったら、まったく拠り所が無くなってしまう、それは私の人生の一画が
崩れ去った事になる。
新潟市は好きだ、だけど行き場所がない、観光客として訪れるだけの町になってしまう
20代の思い出ががっさりと抜け落ちる、語る相手がいないから
こうやってどんどん孤独になっていくのかな? だからどんどん新しい仲間を増やしていかなけりゃ
終わった思い出に泣くんじゃ無くて、新しい思い出つくりに励まなきゃ
そう思ったら少し元気が出てきた、「めんこい弟子」とも再会して飲まなきゃね、20歳になったら二人で
飲もうって言ってたんだ
昨日、「めんこい弟子」のおじいちゃんとも一緒に飲んだので、言付けをお願いしておいた
だけど伝わるんだろうか? 「めんこい弟子」の父親に頼んだ方が良さそうだ
こうして新しい事を考えると胸がわくわくしてくる、いつまでも楽しいことを追いかけていこう。