目が覚めるちょっと前まで夢を見ていた
そこはとても広い、けれど何の飾りっ気も無いコンクリート打ちっ放しのがらーんとした床
多分、父の店なんだ
まだ老いていない50歳くらいの母がいた、私は母に訴えている
「とおちゃんは何も教えてくれん、これじゃのちのち困る、ほんとうに困る」
困惑する母に更に父に対する罵詈雑言を続けていたら、いきなり父が現れた
父も60歳前後の若さで、しゃきしゃきと早足で歩いてきて「何を言っとる?」
それで思い切って「とおちゃんは何も教えてくれん、これじゃ困る」ともう一度言った
「何が困ると言うんだ」 「法事を俺がやるようになった時困る」
「そんなもん、やればいいだけだ」 「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて、なんだ?」 「だから、いろいろ坊さんにやるだろう」
「ああ」 「いくら払えば良いか、おれは知らん、それを今のうちに教えてもらわんと」
「そんなことか、普通にやっときゃいいだろ」 「普通たって3万円の人もいれば300万の人もいる
家によって違うだろ」
「少なめでいい」 「少なめって平均より下ってこと?」
「ああそうだ,見栄なんか、はらんでええ」
そこで夢は終わった、父と母の若い日の姿がそこにはあった、それが嬉しかった
昨日の昼前に病院から電話が来た、案の定退院の話しだった
10日から2週間と言われていた入院期間が、たった4日ほどで終わった
思っていたとおり毎日の様に、看護婦に医者や相部屋の人への悪態を言い続けていたのだろう
それで追い出されることになったに違いない
電話口でも看護婦が「何時頃みえられますか」 「妹とは3時に行こうといってありますが」
「もっと早くなりませんか? 病院の都合もあるので」 「じゃあ2時くらいにしますか」
「・・・・」 「わかりました1時過ぎになるべく早くということで」
「はい、わかりましたそれでお願いします」
病院へ行ったら、若い、本当に若い医師が出てきて
「治りきっているとは言えませんので、2月5日にもう一度検査をして、それで良好ならかかりつけの先生に
診断書を書きますので、来てください」
どうも退院はこの若い担当医の意思では無いらしい
妹が車いすを押して5階のこのフロアーに現れた、「はっ!」何気ないことだが自分には父を階下まで運ぶ事
まで考えがいっていなかった、妹はごく普通に車いすをもってきた(かなわない)と思った
嫁ぎ先で二人の舅を見ながら、実家の二人の父母の面倒まで見ている妹にはおんぶしっぱなしだ
昔の家族体系が壊れた現代、私もまた同様に意気地が無いばかりに家族体系を壊している一人になったのだ
部屋に入ると父はウキウキしていた
「早く退院したいと言ったのだ」とか「やっぱりヘルパーさんの方がずっと良い、ここの看護婦は親切で無い」などと
一人悦に入っている
家に帰れば、朝昼晩30代~40代のヘルパーさんが自宅に来て30分間あれこれ世話焼きをしてくれる
「3人も・・・」入院した日に書き取り調査で看護婦が驚いていた、更に週一で市の介護士が風呂に入れるために
やってくる、父は自宅ではハーレムの王様なのだ。
家に戻っても母はいない、介護施設で冬ごもりだ、父は「母が可哀想だから」といって面会したがるが、冬の
3ヶ月はインフルエンザの恐れがあるため完全に面会は禁止になっている、父の心中はわからない
恋しくなったり、しかしそばにいれば腹を立てることも多い、夢の中の50代の二人の姿を現実に見ることは
二度と無い、今は二人とも老いてしまった、母は明後日92歳の誕生日を施設の中で迎えることになる。