神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

父の退院

2017年02月01日 09時03分18秒 | 老人介護

目が覚めるちょっと前まで夢を見ていた

そこはとても広い、けれど何の飾りっ気も無いコンクリート打ちっ放しのがらーんとした床

多分、父の店なんだ

まだ老いていない50歳くらいの母がいた、私は母に訴えている

「とおちゃんは何も教えてくれん、これじゃのちのち困る、ほんとうに困る」

困惑する母に更に父に対する罵詈雑言を続けていたら、いきなり父が現れた

父も60歳前後の若さで、しゃきしゃきと早足で歩いてきて「何を言っとる?」

それで思い切って「とおちゃんは何も教えてくれん、これじゃ困る」ともう一度言った

「何が困ると言うんだ」 「法事を俺がやるようになった時困る」

「そんなもん、やればいいだけだ」 「そうじゃなくて」

「そうじゃなくて、なんだ?」 「だから、いろいろ坊さんにやるだろう」

「ああ」 「いくら払えば良いか、おれは知らん、それを今のうちに教えてもらわんと」

「そんなことか、普通にやっときゃいいだろ」 「普通たって3万円の人もいれば300万の人もいる

家によって違うだろ」

「少なめでいい」 「少なめって平均より下ってこと?」

「ああそうだ,見栄なんか、はらんでええ」

そこで夢は終わった、父と母の若い日の姿がそこにはあった、それが嬉しかった

 

昨日の昼前に病院から電話が来た、案の定退院の話しだった

10日から2週間と言われていた入院期間が、たった4日ほどで終わった

思っていたとおり毎日の様に、看護婦に医者や相部屋の人への悪態を言い続けていたのだろう

それで追い出されることになったに違いない

電話口でも看護婦が「何時頃みえられますか」 「妹とは3時に行こうといってありますが」

「もっと早くなりませんか? 病院の都合もあるので」 「じゃあ2時くらいにしますか」

「・・・・」 「わかりました1時過ぎになるべく早くということで」

「はい、わかりましたそれでお願いします」

病院へ行ったら、若い、本当に若い医師が出てきて

「治りきっているとは言えませんので、2月5日にもう一度検査をして、それで良好ならかかりつけの先生に

診断書を書きますので、来てください」

どうも退院はこの若い担当医の意思では無いらしい

妹が車いすを押して5階のこのフロアーに現れた、「はっ!」何気ないことだが自分には父を階下まで運ぶ事

まで考えがいっていなかった、妹はごく普通に車いすをもってきた(かなわない)と思った

嫁ぎ先で二人の舅を見ながら、実家の二人の父母の面倒まで見ている妹にはおんぶしっぱなしだ

昔の家族体系が壊れた現代、私もまた同様に意気地が無いばかりに家族体系を壊している一人になったのだ

 

部屋に入ると父はウキウキしていた

「早く退院したいと言ったのだ」とか「やっぱりヘルパーさんの方がずっと良い、ここの看護婦は親切で無い」などと

一人悦に入っている

家に帰れば、朝昼晩30代~40代のヘルパーさんが自宅に来て30分間あれこれ世話焼きをしてくれる

「3人も・・・」入院した日に書き取り調査で看護婦が驚いていた、更に週一で市の介護士が風呂に入れるために

やってくる、父は自宅ではハーレムの王様なのだ。

家に戻っても母はいない、介護施設で冬ごもりだ、父は「母が可哀想だから」といって面会したがるが、冬の

3ヶ月はインフルエンザの恐れがあるため完全に面会は禁止になっている、父の心中はわからない

恋しくなったり、しかしそばにいれば腹を立てることも多い、夢の中の50代の二人の姿を現実に見ることは

二度と無い、今は二人とも老いてしまった、母は明後日92歳の誕生日を施設の中で迎えることになる。

 

 

 

 


我が儘老人が長寿なので・・・・

2017年01月30日 08時47分55秒 | 老人介護

温泉宴会から戻って以来、どうも風邪っぽい

最初は鼻水が一日中止まらなくて、昨夜からは肺ぐるみの咳に

これは治りかけの兆候といつも思っている、ただ治るまでは多少の痛みを伴う

65歳から5年ごとには無料で肺炎の予防接種をしてくれるということだが、痛いのが嫌で

受けなかった、だが風邪の度に肺に負担が来る様では70歳には、いや有料でも早く受ける

必要があるかもしれない。

一昨日の夕方、病院から電話が来て「おとうさんが言うことを聞かないので、夕食が終わるまで

付き添いをお願いします」

病院では今、インフルの流行を恐れて面会謝絶の措置を執っているが、そうも言っていられないくらい

父の我が儘、面倒が発生したらしい、これは今に始まったことでは無くて、医者や看護婦の態度が

気に染まないと、とことん喧嘩を売る様な態度に出る、それで本人は早く退院しようという魂胆なのだが

今回ばかしは、肺炎を起こして自分から病院に連れて行ってくれと懇願したのだ

それなのにもうこの態度で、家に戻ったところで悪化するのは目に見えている

基本的にこの病院が嫌いで、何度も医者に暴言を吐いては嫌われている「嫌な老人」になってしまった

それで町医者に行っているのだが、その町医者が手に負えなくてここに来たのにだ

 

病院の看護フロアーで早速看護婦が「どうされましたか?」というから「父の事で来る様にとので」

と言ったら、「どうぞ」とすぐに病室に入れてもらった

すでに妹が来ていて「にいちゃん、許可書をもらわないとダメだよ」と言うから

「いや看護婦は何も言わないで入れてくれた」と言ったら、自分は熱まで測らされてOKをもらい

首から入室許可書をぶら下げていた、それを聞いたので鼻水タレの私は部屋に入らず廊下で待機していた

中では父が意地悪く妹に不条理な言葉を連発している、妹も頭にきていて「いい加減にしてよ」とやり返す

どうみても父の方があきらかに悪くて、まったく理屈にならないことばかり言い張る

昔からへそを曲げてしまう性格で、そうなると実の子であっても喧嘩を売ってくる、子供と同じでぐずりたいのだ

相手にされない老人の訴えでもある、ただ聞いている方はタマラナイ、親だからひどいことも言えないし

せいぜい兄妹で愚痴を言って慰め合うしか無い、ここにいない弟をたまにやり玉にして溜飲を下げるというのか

なんの意味も無いので、その話しはすぐに終わってしまう

明らかに父は確信犯で、20年くらい前までは別の総合病院に行っていたのだが、そこの医師には絶対服従で

ガンを宣告されたときでも「先生の言うとおりにします、煮ようと焼こうとお好きな様にお願いします」などと言ってたし

病院に行く前にケーキ屋によって20数個もショートケーキを買って看護婦の控え室というのか、そこへ届けて悦に入る

ようなことが度々あった、僅かな出資もしていたのでその病院が好きだったのだが、理事長らの不正で倒産してしまった

以来、ここに転院したが外様という引け目があって、「だから粗末に扱うのだ」という被害妄想をもったらしい。

「この病院は嫌いだ」「**病院が無くなったために、こんな目に遭ってる」など医師に向かって言うものだから

どんな温厚な医師でも面白くない

先般は母の検査で数日、この病院に通ったけれど、長時間待たされる以外は、医者も看護婦も、検査技師もみんな親切で

とてもいい感じだった、患者が素直なら医者も気分がいい、以心伝心、相身互い、父の様に頑固だと大きな損だと思うが

子の言うことさえ聞く耳持たぬでは手の打ちようが無い、「誰からも愛される老人になりたい」と、この頃特に思う私です

 

 

 

 

 


忘れる 痴呆 認知症 アルツハイマー 

2017年01月24日 09時21分52秒 | 老人介護

韓国女優ソン.イェジン主演の「私の頭の中の消しゴム」と言うのがあった

「夏の香り」で見て以来、すっかりファンになった

この映画は、脳がだんだん壊れていく女性の話で、最初は物忘れから始まり

だんだん症状が進んで行き、例えば携帯の使い方がわからなくなる、そのうちに携帯そのものが

何をする道具かわからなくなる、夫さえも認識できなくなり、介護無しでは日常生活が不可能になっていく

これは映画だが、実際に何人もこれに近い症状の人とつきあったり出会ったりしている

60歳前位だと若年性アルツハイマーと呼ばれる

一緒に遊んでいた友達がこれにかかった、ある日電話がかかってきたので「やあ久しぶり」

と言ったら 「あなた誰ですか?」と怒られた

「yottinだよ」と怪訝に思いながら返したら 「私、知りません!」

「何言ってるんだよ、そっちから電話かけておいて」「私はかけていません」

それで彼女の症状がかなり進行したことを知った

 

今も、一人の男と週4日一緒に仕事をしている、というより保護監視している様なモノだ

短い仕事をたくさんするのは苦手、それで一つの仕事を2時間3時間続けさせるが

初めてする仕事は、一度自分の中で決めてしまうと何度言っても修正がきかない

例えば、表にしなければならないモノを裏と決めると、毎回毎に「表だよ」と言った時だけ

表にするが、次の者に移るともう裏にしている、根比べというが根比べにならない

一つをやっている内に、もう忘れてしまうのだから、結局この仕事はさせてもダメと言うことになる

そうして仕事の幅はどんどん減っていく

うまく行っているな、と思う仕事も数をやっていくうちにだんだん不安になってくるらしい

「こんなにたくさん作っていいのだろうか? 自分は言われていない仕事をやっているんじゃ無いだろうか?」

そういう思いが頭をもたげてくると言う、「大丈夫、それだけやる様に言ったのだから」と言っても

失敗を庇ってくれているのでは無いかという疑念を持つ

家庭の中で妻に「失敗するな」と何度も念を押されているのだそうだ、それがプレッシャーとなって「失敗では?」と

考えるらしい。

かれも小さいながら経営者として頑張ってきた男だ、年齢も同じなのでショックである

 

認知症、アルツハイマー、痴呆の違いは素人にはなかなか理解できない

近所のおばあさんは「息子にご飯を食べさせる」と言って、何度もご飯を持ったまま徘徊して保護され

最後は山中でご飯を持ったまま亡くなっていた

 

老人介護施設へ行ったら、一代で飲食店を成功させて数億円のビルと自宅をもった経営者がいた

私の弟の同級生、そんな彼も認知症なのだという

話していると全く普通なのだが、15分もすると同じ話を繰り返す、何度も何度も繰り返す

15分前に話したことを忘れるのだ

同じ症状の大先輩とも年に2回、グループでゴルフをして飲むが、やはり前出の経営者と同じ症状

1日一緒にいる間に少なくとも20回は同じ言葉を繰り返す

こちらは昨年まで社員数十名の会社の会長だった人だ、立派な経営者ばかりなので驚く

 

自分自身も、ど忘れを頻繁にするようになって困っているが、同年代に聞くとたいてい同じ事を

している、これは「物忘れ」で深刻な脳の病気とは違う様だ

それにしても部屋に入った途端、何をしに来たか忘れるのはよろしくない

元の地点に戻ると思い出すという特徴がある

今使わない物を手に持ったまま歩いて「邪魔だなあ」と思ってから気づいたり、捜し物も多くなった

思いついたアイデアも夕方には忘れてしまうから、その都度メモをとることが大事になってきた

約束を忘れるとたいへんだからスケジュール管理だけはしっかりと行っている。

 

 


高齢化日本の危惧

2017年01月07日 13時42分01秒 | 老人介護

高齢者の定義が75歳からになりそうだ、何年か前に後期高齢者という定義を作って

70代80代の人たちからひんしゅくをかったが、今回はどんな反応があるのだろうか

高齢者という言葉は平均寿命が60歳そこそこの時にできたらしい

今は男性80歳、女性90歳が平均寿命で20歳近くも寿命が延びている

寿命だけで無く、体力も気持ちも見た目も内臓などの健康状態も全てが昔より勝っているのは

確かだ。

それに伴って50歳55歳が定年だった仕事も、今は65歳70歳と伸びてきている、年金支払いに

四苦八苦の現在、70歳でも75歳でも会社が雇用を続けるのが好ましいだろう。

しかし気持ちは若く、見た目も若くても体の中はかなりガタが来ている

目も老眼や白内障というのも多いし、長時間の肉体労働にも耐えられない、さらに痴呆や物忘れも

する様になってくる。

働くのはやぶさかではないが、短時間労働のパートやアルバイト、経験を生かした補助作業がよいだろう

大きな責任を持つ仕事はリスクが大きい

 

それにしても50歳の女性がまだ40年生きていくのもたいへんだが、90歳になっても普通なのだから

長寿社会、老人社会で生きていくのはかなりこれからはキツいかも知れない。

これまでのように平和にどっぷりつかって生きてきた時代も、最近は日本の周囲もきな臭い

中国、北朝鮮、韓国、アメリカの動きは活発化していくだろう

緊張する世界の中で日本だけが平成元禄というわけにはいかなくなるだろう。

超高齢化していく日本、心配事が山積みだ

 

 


ご長寿の楽しみ

2017年01月02日 15時54分02秒 | 老人介護

ほんとうに良い新年で、今日は時折陽も差し、のどかな朝だ

年末はやたら忙しくて、とうとう女房殿の父上を訪ねてお歳暮を届けることができなかった

今日は、午前中に父上宅を訪ねてお年始を届けてきた。

町の中心部から7~8㎞入った山間部の農村地帯が女房殿の実家で、今は一人暮らし

で住んでいるが、隣は長男が住んでいて毎日顔を出している様だ。

今年で数えで言えば95歳になる

「どこも悪いところはないですか?」

「ああ、雪が無いで良い正月だ」

「・・・ど・こ・も・悪いとこないですか!?」

「ああ、どこもわるないよ、耳がよく聞こえん」

「耳がきこえんと長生きしますよ」

「ああ?」

「耳が・き・こ・え・ん・と・長生きします」

「長生きしたから、もおええよ」

「ラクーターはラクでええ」

こんな調子で会話はかなりキツいですが、それじゃ聞き役に徹した方が良いかと

飾ってある絵を興味深げに見たら

「ああ、それは川合玉堂だ」

「この絵は田舎の農家の屋根ですよね」

「そう、玉堂は八王子に住んでいたから、奥多摩なんかの農家を描いたんだろう」

「あっ、これはコローですよね」

「いや、それはモネだ、去年長岡に特別展があったんで見に行ってきた、モネは蓮を良く

描くんだが、フランスでは絵が売れないで、日本にも来たことがあって蓮をもって帰国

した、一生貧乏だった見たいだ。」

「ルノワールと同じ時代に生きていて、交際もあったようだが、ルノワールもやっぱり絵が

売れんで貧乏だったが、風景をやめて女の裸の絵を描き出したら、飛ぶ様に売れて

ルノワールは大金持ちになった。 モネの生活の援助をしてたらしい」

「ロダンもやはり売れないで日本に来て作っていたらしいが、一体だけ考える人を置いて行った

日本にあるのはロダンの本物」

などと、95歳になっても農村知識人は健在である、田舎で質素堅実に生きてきた

飾ることも気取ることも威張ることも無く、自然と共に生きてきた農家植物博士

無理をせず、飽食をせず、花や夕陽や田舎の田園風景を写真に撮るのが好きで

退職後は30年もの間、庭師をやって市役所の花壇を飾ったり、門松を作ったり

お寺の奉仕をしたり、人生は充分楽しんだのだろう

こんな状態なら90歳以上まで生きていてもいいなあと思った。

 

こんな景色の中で生きてきた義父

   

 


恐ろしい高齢化時代

2016年05月05日 19時51分39秒 | 老人介護

ブラッドピットが主演男優賞をとった2008年の映画「ベンジャミン.バトン 数奇な人生」を見た

死の直前の老人の姿で誕生し、だんだん若返っていき、最後は認知症の赤ん坊の姿で死んでいく

成長の過程が普通の人間と全く逆という奇想天外な発想の映画

内容を再検討してみれば、捨てられていた(醜い)赤ん坊を何の迷いもなく拾い育てた

老人ホームで働く、熱心なプロテスタントの黒人女性が感動的なだけで、それ以外は?みたいな映画

何か考えさせられただろうか? 考えようとしたけれど 何も思いつかなかった

唯一思っていたのは、「どんな終焉が待っているのか」だったが、これは認知症の小さな子供ということで

けりがついた、これは正道ながら「あっぱれ」

70年、80年生きて、最後が認知症の赤ん坊で終わるなら最高の死に方かもしれない

誰にも迷惑かけず、徘徊老人の心配もない

だが現実はそうはいかない、これからも平均寿命はどんどん延びて、高齢者の数は増すばかり

老人福祉、介護医療、高齢者対策、身寄りのない老人の世話、一人暮らしの高齢者

徘徊老人、危険運転老人、年金の問題、極貧老人 足りない病院 足りない介護士 

恐ろしい時代がやってくる、間違いなくやってくる、その本流の中をオレたち年代は走って行かなければならない

結婚しない子供たちが、遙かに多い老人世代とどう向き合っていくのか

これは戦争以上に戦争なのではないだろうか

 


ぞっとする話 2030年 長寿社会

2016年04月03日 21時04分11秒 | 老人介護

考えただけで怖くなります

東京、横浜、大阪など都会が老人で溢れる日

高速道路では毎日老人がらみの大事故が起こる

商店に飛び込む車 歩道に突っ込む車 銀座や渋谷を徘徊するアルツハイマーの老人

年金掛け金は75才まで 支給も75才から 厚生年金支給額8万円/月

頼りの年金が減って生活出来なくなった老夫婦の心中、飢え死  貧困老人世帯増加

老後の面倒を見る子供は居ない、子供達も自分の事で精一杯

それも、いずれ身寄りの無い老人になる

子供を持たない生涯独身老人の孤独死頻発

ひっきりなしの救急通報でノイローゼになる救急隊員

寝る時間が無い医師たちもノイローゼに

豊かな老人がため込んだ財産を狙う詐欺と強盗が頻繁に

モラルの低下 ニューヨーク並みの犯罪都市誕生 東京 大阪 神戸 福岡 名古屋

教育レベルの低下 国民度が世界の中位以下に  所得も昭和45年の水準に落ち込む

まったく足りない、病院、老人ホーム、介護施設 職員

病院に入れないで病死する老人が増加

国も打つ手が無い 何しろ定年延長で役人も70才以上がざらになる

気がついたら課長が痴呆だったなんてことも

中小企業は老人の定年延長で若い社員を雇用できず

若者は就職できず 結婚できず 子供が出来ず ますます人口は減る

空き家 空きアパート 空きマンション 空き店舗 空き商店街 破綻都市

若者が居ない国 国土の防衛はどうなる  日本経済は?

2050年、団塊世代死滅  日本が最も華々しく豊かな時代を築いた世代、生き証人たち

あの豊かな日本の記憶は団塊世代の死滅と共に消える

残るのは殺伐とした暗く貧しい夢の無い国

その時、日本はどうなるの?

こんな事にならないように 今我々国民や政治家は最善の道を進まなければ

ならない。「待ったなし!」

 

  


介護も楽しい

2016年03月20日 16時06分38秒 | 老人介護

一時はどうなるかと思った父の容体は、薬が替わったとたん

ぐんぐんと良くなって、もう介護の必要が無いほどに回復した

ずっと泊まり込みでいたが、とぼけた親父で

「どうして毎日泊まる?おまえは別居したのか」などと真顔で言うから、あきれて

「看病の為じゃないか」とちょっとムキになると

親父は当然わかって言ってるわけで、からかう余裕も出てきた

「今日からもう自宅へ帰れ」などとお許しもでた

この間、風呂に入れたり、昔話を聞いたりしたが

随分と父の人生のエピソードは本人以上に知っているつもりだったが

新しい情報が次々と出てくる

子供の頃、東京での青年時代、兵隊での出来事、戦後の生活など誠に面白い

こんな時間を父と二人で過ごすことが出来て感謝している

介護してこそ出来た時間だった、父と二時間も毎日話すなど過去にはなかった

「持つべきものは子供だ」と言われたのが一番嬉しかった。

 

 


超老老介護

2015年10月02日 07時35分54秒 | 老人介護

母は介護4、家の中ではベッドで横になっている 健忘症がかなり進んでいる

父はおぼつかないなりにも、家の中では歩き、2人分の朝食昼食を作る、それでもかなり危ういし

イライラするようになった

夕食も作っていたが、さすがに根気も体力も無くなって、ようやくSOSを私に出した

*負けん気が強いというのか、子供の世話になることを極端に嫌う人

そこで夕食は嫁いでいった近隣に住む妹と私が後退で作っている

当初はあれこれうるさかったものの、ようやく現実を受け入れて我慢しているようだ

疲れてくると母に当たることもあって、ショートスティを進めるが、父が絶対に拒む

母は週3日ディサービスに行っているが、これだって父はかたくなに反対して出そうとしなかった

父が体調を崩して5日ほど入院した間に、妹と相談して介護施設にディサービスを申し込んだ

父は帰ってきて気に入らない様子だったが、昼に昼寝が出来る時間が出来て、本当は楽な様だ

だが、そんな事は口に出さないのが大正生まれの頑固さだ。

母の下の世話も、自分がやらないと気が済まない様だったが、さすがに体力が落ちて、これも介護士を

毎日朝夕2回頼んでしてもらうようになった。

これもやってみれば父の負担が軽くなるわけで、今では「気の利いた若い女の人が来てくれる」

と珍しく満足の感情を言葉に出した。

問題は父が寝込んだときだ、この頑固な男は自分が施設や介護士の世話になることなどまったく

想定していない

まだまだ私と妹の悩みは続く、そしてそのうち我々も介護される立場になるだろう


老人天国か老人地獄か

2015年10月01日 20時13分38秒 | 老人介護

何年先か忘れたが、女性の平均寿命が97歳になるとか

我が町でも人口の0.1%が100歳以上

99歳の予備軍も0.1%以上居るので、毎年100歳以上は増えていく

この調子で行けば、いまに100歳以上と新生児の数が同じになるかもしれない

考えれば恐ろしい話だ

長寿は人間の夢だったはずだ、不老不死の薬を手に入れたいという願望も強かったはず

だがそれは、人生50年、60年の時代の話

医学の進歩で間違いなく長寿社会は実現している

だが、生きているだけで楽しくない老人、つらい老人、苦しむ老人は多いのでは

長寿は健康な体と楽しみあってこそだ

寝たきりではどうなんだろう?

アルツハイマーも含め、高齢化していく子供達の負担も厳しくなっていく

老人介護施設は不足するばかり、まともでない介護士を雇用すれば入所者虐待もおこる

そしてわれわれ団塊世代が、団塊老人として控えている

15年後の日本は老人天国か老人地獄か?

戦争戦争と言うが、もう一つの戦争が待ったなしで起こる