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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(229) 甲越 川中島血戦 56

2024年10月21日 20時06分52秒 | 甲越軍記
 桔梗が原に押し出した武田軍は、木曽口に抑えの兵を置き
小笠原には先備え甘利左衛門尉、飫冨三郎兵衛尉、馬場民部少輔、内藤修理正、春日弾正の五将に歴戦の勇士数多従う
信玄は山本、真田、日向、原、秋山、芦田、諸角の諸大将を従えてすでに桔梗が原に押し出す。

小笠原長時は、一家の江間治部少輔以下三千余人で桔梗が原に馳向かい五月六日両軍睨み合う間もなく鉄砲を雨あられと撃ちあう
煙の消えぬ間に、早くも小笠原勢は槍を入れて攻め寄せた、江間が火水となって戦えども、武田勢の優勢に叶い難く、戦い負けて、討ち取られたる者は六百七十九人、江間らは這う這うの体で深志城に逃げ帰る。

小笠原長時は大いに敗北を怒り、いよいよ全軍四千五百を率いて再度、桔梗が原に攻め寄せた
両陣営、鶴翼に魚鱗に自在に陣形を巡らせて戦う、小笠原勢は今日を限りにと必死に戦えば激しき事は雷神の如し、味方の屍を超えてなおも武田勢を薙ぎ払い、切りまわる
これにより、武田勢の馬場、飫冨らの先陣は切り崩されて手負い死人数知れず
勇士名高き、米倉、広瀬、曲淵、金丸、志村、三科らは踏みとどまって防ぐけれど、いずれも二か所、三か所の手傷を負って、こらえきれずに退いた。

長時は、この優位に満足して「信玄の坊主頭の首を取ってもてあそぶべし」と士卒を励まして、いよいよ信玄本陣に切り入らんとする
このとき甘利左衛門は本陣の遊軍として控えていたが、味方の劣勢を見ると「いまこそ遊軍の働く時である」と言って、小笠原勢を弓手に引き受けて数百の鉄砲を一斉に放てば、勢いのままに行く小笠原勢は奇襲を受けてたちまち打倒される
そこへ、甘利勢横合いより突き出せば、いよいよ小笠原勢は混乱して切り倒される、これを見た飫冨、春日、馬場、内藤勢も「引き返して攻め討てや」と味方を励まして、再び小笠原勢の鼻面に向けて攻めかかる

されども小笠原勢もここに踏みこらえて戦えば、中でも江間治部少輔、刑部少輔の兄弟の働きはめざましく武田勢の攻撃に踏みこたえる
しかし数に勝る武田勢の勢いは強く、傷負うこと数か所、ついに敗れる
小笠原長時は大音声にて「義を思う者はここに討ち死にせよ、誉を子孫に伝えるべし」と味方を励ます
長時自ら範を示して猛威を振るえば、騎馬武者四騎、徒歩武者七人をたちまち切り倒す
されど長時の奮戦も、怖気づいた敗兵は助けず、深志へと落ち行く
長時も仕方なく敗兵に引きたてられて深志へと落ち行く
三科肥前守ら三十余人の勇士は、長時の首をんと追いかけて無二無三に突きかかれば「うるさき者どもよ」と、長時は太刀にて打ち払う
そして三科の突き出す槍を粉々に打ち砕き、電光の如く三科に打ち下ろせば、三科はきわどく身を沈めてこれをかわしたが、馬を打たれて落馬する
長時はとどめをうたんと思えども、敵は迫りくる、長時も傷を負えば、三科の首取るをあきらめて深志の城に入る。

この日、小笠原勢の討ち取られた首は一千四百九十二級なり。





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