クリスマス、大晦日、正月と何かと酒がついて回る10日間が始まった
私は今年初めから、どうしたわけか酒を飲みたいという気持ちが無くなって、毎日一合程度の酒量に減っていたのだが、5月17日に下腹が急に病んで救急で病院へ行き、大腸がんが発見されて、そのまま入院そして9時間の手術となったわけで、6月の退院以後は11月まで一口も酒を飲まなかった
11月になって信州旅行で焼酎水割り一杯だけ飲んで、その後は先輩との食事会で水割り一杯、同級生との集いで二杯、先日の忘年会で三杯と少しずつ量が増えて来た。 でも家では相変わらず一杯も飲んでいない。
全身にアルコールが回るほど毎日のように飲んでいたのが嘘みたいだ
飲まなくなったのは年齢のせいもあるが、やはり病気をして精神的なものが一番大きいだろう。
食べ物も先生は「何を食べてもいいよ」と言うが、やはり手術をした大腸を思うと何でもという気が起きない
根性悪いことに、食べられないという食材の大部分が私の好物なのだからたまらない
先生からは「大丈夫」と言われたので、ある程度のものは食べるようになった
だけど好物でもほとんど食べないものもある、コンニャク、イカ、ごぼう、サツマイモ、激辛食品、巻貝、イカ塩辛、生野菜など
この頃、寒くなって来て家でも薄い焼酎のお湯割りを飲みたいという気持ちが起きて来た
眠ったままの黒霧島、神津島の盛若、中国の白酒(50度)が「早く飲め」と誘ってくる、シャンペンも「クリスマスだぞ、正月だぞ」と流し目をする
今は養命酒を一日20ミリ2~3杯、それが唯一のアルコールだ
薄い焼酎から少しずつ慣らしていこうと思っている
念願の温泉にも、ようやく入ることが出来たし、マッサージも5年ぶりに受けた
来年は節目の75歳、予定通り四分の三世紀は生き抜いた、平均寿命にはまだ5~6年あるが健康寿命は過ぎた
私も含めて同級生の多くは病んでいる、どれもこれも満身創痍だ
数少ない何もなく過ごしていた私とつー君も今年ついに病を得た、嘆いてみたところで、これが順調な人生街道なのだからあきらめて生きるしかない
これからは病気も道連れ、それでいいのだ!
2025年三度目の人生を始めるには絶好の歳になりそうだ
自分の運勢がようやく大殺界から抜ける頃ではないかと思う、思えばコロナ流行拡大の5年前からずっと酷い毎日が続いた、父母が相次いで亡くなり、兄弟の連れ合いも亡くなり、友人のY子も急死、愛猫も家出、仕事を離れ引っ越しをして、今度はガンを患って手術
たった5年の間にいろんなことがありすぎた、だが全てが悪いこととは思わない
こうした出来事で、逆に良くなったこともいくつかある、これがあったからこそ4匹の野ネコの命も救われて家猫になれたし
仕事を離れて、ようやく体と心を休めることもできた、商売を離れて無職になって見て人生初めて人間らしい生活を味わうこともできている
来年は高嶋暦の厚いのを買ってきて、これからの人生設計を立ててみようと思う。
I WAS BORN TO LOVE YOU - by Queen (lyrics)【和訳】クイーン「君を愛するために生まれてきた」
そして、僕も急に変な病に侵されてしまってビックリするやら困ったで、大変な年越しになるみたいです。一日一ミリずつと思って、日常生活にも支障をきたす痛みに耐えています。
それと、僕も痛み止めの薬がアルコールを飲んだら駄目なので、月初めから全然飲んでいません、年越しも飲めないのはさすがにどうかなと思うのですが、そこまでには治りそうもないので、我慢の年越しになりますかね。来年はお互いに良い年にしましょうね。
今日77歳の先輩女史と電話で話していたら
「あんたはまだ60そこそこだからいいけどさ」なんていうから「もう来年75だよ、Oさんと2歳しか違わないよ」と言ったら
「ええ! 75ほんと? あんた、若いねぇ」なんていわれたけど、体はしっかり75歳、確実に老化が始まってますね
若くいたいのは希望だけど、それで無理したらケガのもと
お互いに今までの半分の力と速度でやっていきましょうね。